大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問7 (第1問(評論) 問7)
問題文
次の文章は、高岡文章(たかおかふみあき)「観光は『見る』ことである/ない ――― 『観光のまなざし』をめぐって」の一部で、ジョン・アーリをはじめとする研究者の見解をふまえて書かれたものである。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で表記を一部改めている。
アーリは「文化的なメガネ」という卓抜な表現をもちいて、見ることの社会性を明るみにだしている。まなざしの枠組は規範や様式といった社会/文化的な制度によって規定されているのであって、決して個人が自由に個性的に対象をまなざしている訳ではない。鈴木涼太郎によれば、ベトナムを訪れる日本人が観光みやげとして好むのは「ベトナムの伝統文化」を表象する手作りザッ( ア )カであるのに対し、欧米からの観光客は「東洋文化」を表象する美術品としての大型の壺を求めるという。ここでは観光者が所属する社会によって、訪問地へのまなざしが異なっているのだ。
山口誠はグアムを訪れる日本人観光客の多くが楽園やリゾートといったグアム的記号にあふれたタモン湾から一歩も出ず、その周囲にひろがる多様な現実への想像力から目を背けていると指摘する。人はフレームをとおしてものを見る。何かを「見る」ことは、他の何かを「見ない」ことでもある。まなざしには常に選別がともなっている。
まなざしの線引きをおこなっているのはゲストだけではない。橋本和也は観光者が期待する(押しつける)イメージに適合的な役割を観光地住民が再演することは、観光という荒波から自らの生活文化を守るためのホスト側の「戦略」でもあるという。
(注1)「刹那的」であると同時に(であるがゆえに)対象に魅力を感じるという観光のまなざしの暴力性はとどまるところがない。一九世紀から二〇世紀にかけて世界各地でおこなわれた(注2)万国博覧会では、植民地住民の「展示」がおこなわれた。悪名高い「人間動物園」である。見る主体(多くは西洋の男性)と見られる客体(多くは非西洋の女性)のあいだには乗り越えがたい線が引かれていて、まなざしは境界線の恣意性を見えづらくし、その権力性を再生産する役割を果たす。
近代以前の刑罰は多くの場合、見せしめのためにおこなわれ、それは格好の「見世物」であった。現代でも(注3)ダークツーリズムと名を変えて、おぞましいものへの欲望が観光(の一部)を支えている。それゆえ、A観光地住民の「戦略」は常に綱渡りである。アメリカの社会学者ディーン・マキャーネルが『ザ・ツーリスト』で指摘したように、観光者は「演出」に飽き足らずその「舞台裏」を見たがるのだから。ありのままを見せる生活観光は、出口の見えない(注4)隘路(あいろ)でもあるだろう。そこでは観光のまなざしが全域化していく。
B観光において「見る」ことは問題含みであるだけでなく、とくに「する」こととの対比において、価値のないものとみなされてもきた。
見る主体と見られる客体という、乗り越えがたい(ようにみえた)関係性は、意外な形で反転する。観光者がまなざすのは、たいてい(自分以外の)人びとの生活実践やその痕跡である。偉大な芸術、壮大な遺跡、珍しい風習、初めて出会う食文化などなど。観光の場面において彼らは「見るだけ」のよそ者だ。ここでは見られる側、つまり生活「する」側が主役であり、それを「見る」側は観客にすぎない。文化人類学や地域社会学、環境社会学による地域研究/観光研究は、生活者の視点にウエイトを置く。土地に暮らし働く人びとこそが当事者なのであり、彼らの生活や文化を覗くために訪れて、そそくさと立ち去っていく観光者たちは招かれざる客として位置づけられてきた。
観光のまなざしにおける消費主義や薄っぺらさを鋭く批判したのはブーアスティンだった。一九世紀のなかばに旅行が変容したと彼は述べる。かつての旅人(トラベラー)が没落したかわりに観光客(ツーリスト)が台頭した。それは、旅行が「自分のからだを動かすスポーツから、見るスポーツへと変化した」ことを意味していた。「する」から「見る」への転換。旅は能動的で命がけの行為から、購入するだけのお気楽な商品へと、「無意味」で「空虚」なものへと成りさがったと彼は考えたのだった。
ブーアスティンの嘆きを時代錯誤と笑うことはたやすい。彼の観光論は、あたかも理想的で「ほんとうの」旅がどこかに存在するかのような幻想にさいなまれているというのが、後続の観光研究におけるお定まりの批判なのであるが、Cことはそれほど単純でもない。
表層的な観光のありかたへの飽き足らなさや批判は、現実に観光の形を大きく変えてきた。従来の大衆観光が観光地社会への無理解や無関心といった特徴を帯びていたのに対して、2000年以降、新しい観光/オルタナティヴ・ツーリズムが提唱され実践されてきたのだ。キーワードは「体験」「交流」「学習」である。地元住民の案内によって現地を歩きながら「ほんもの」の歴史や文化を学んだり、農村や漁村の民家に宿泊して「その土地ならでは」の生活を体験したりするような、活動的なプログラムが提供されている。「見る」観光から「する」観光への転換は、個人旅行のみならず、こんにちでは修学旅行をはじめとする団体旅行においてすら主要なメニューとなりつつある。(注5)冒頭に述べた京都祇園(ぎおん)の着物観光は、このような動向の延長線上においてこそ、よりよく理解することができるだろう。
近年、観光現象だけでなく観光研究の視座までもが更新を迫られるようになった。研究対象としての観光が「見る」から「する」へと変化しただけではない。そもそも観光は、はたしてほんとうに「見る」ことだったのかという根本的な問いが突きつけられている。たとえばアルン・サルダンハはアーリのまなざし論を批判して、「観光者は、泳がないのか、山へ登らないのか、サン( イ )サクしないのか、スキーをしないのか」との疑問を( ウ )テイした。
観光研究は、アーリのまなざし論を乗り越えるべく理論的な発展を試みてきた。観光における身体性やふるまいを重視する視点を「パフォーマンス的転回」と呼ぶ。視覚のみならず嗅覚や聴覚、触覚、味覚など多様な感覚との連関において観光をとらえたり、観光者の身体性やしぐさ、パフォーマンスに分析の力点を傾けたりするような研究が積み重ねられてきた。アーリ自身もヨーナス・ラースンの助力をえて改訂した『観光のまなざし』第三版にパフォーマンスをめぐる章を設け、観光(研究)におけるパフォーマンス概念の重要性に注意を促すにいたっている。
観光はもはや「見る」ことだけで説明できるほど素朴な行為ではない。とはいえ、アーリとラースンは、視覚でどこまで説明できるかといえば「それには限界がある」と認めつつも、「視覚が観光体験の中心にある」と食い下がる。彼らにしたがえば「見る」か「する」かの二者択一は不毛なのであって、まなざしとパフォーマンスはD「ともに踊る」関係なのだ。観光のまなざし論はパフォーマンス的転回によってイッ( エ )ソウされたのではなく、それを取り込みつつ生き長らえる。
かつて、人類学者たちは調査地に観光客が訪れることを毛嫌いしてきた。「文明に毒されていない」「未踏の」伝統文化こそを欲望するまなざしは、下世話な観光客たちを巧妙に排除してきたのだ。「観光者を見ない技術」は私たちにも心当たりがあるだろう。海外で出会う日本人観光客をあえて見ないふりをしたり、「誰もない風景」をカメラにおさめるために観光客が通り過ぎるのを待ち続けたりといった経験をしたことはないだろうか。ここでは、アーヴィング・ゴフマンのいう「儀礼的無関心」が駆使されていて、互いが互いの観光を邪魔しないよう高度なコミュニケーションが交わされている。
他方、「観光者を見る技術」も巧みにもちいられている。アーリは、山の頂上や森の奥など、他の観光者がいないことがその場所の観光的価値を高めるような状況を「ロマン主義的まなざし」と呼び、それに対して、他の観光者も同じ場所に来ているという事実がその場所の観光的価値を高める状況を「集合的まなざし」と呼んだ。後者においては、他者の存在が愉快さ、祝祭的気分、活況を与える。
他者を排除するまなざしにしても、それを取り込むまなざしにしても、ここでは他者の身体性が問題となっている。吉見俊哉は『都市のドラマトゥルギー』のなかで、都市を歩く人の身体性にいち早く言及していた。1973年に(注6)パルコが渋谷・公園通りに開店した際のキャッチコピーは「すれ違う人が美しい」であった。パルコは渋谷という都市を舞台、そこを歩く人びとを主役と見立てて都市空間を演出した。渋谷を訪れる若者たちがまなざしたのは、資本が演出する記号のみならず、それらと、E「ともに踊る」身体なのであった。吉見によれば、都市は「「見ること」と「見られること」を媒介する役割」を果たしていた。
ゲストは他のゲストからだけでなくホストからも「見られ」ている。ダリヤ・マオズは観光者が地元住民をまなざすとともに地元住民も観光者をまなざすのだと述べて、それを「相互のまなざし」と名づけた。こんにち、京都でバルセロナでヴェネツィアで、(注7)オーバーツーリズムの張本人として観光者は冷たい視線を浴びせられている。新型コロナウイルス感染症の流行は、観光者をこの世界で最も( オ )イまわしい存在とみなした。
F観光における「見る/見られる」を考えるうえで、サファリパークは示唆的である。動物のリアルな生態に肉迫するべく、人びとは車に乗り込んで特等席を確保する。動物たちは車に群がり、物欲しげに人間をまなざす。人間はふたたび動物園の檻に閉じ込められて、まなざしの対象となる。かつての万国博覧会とは違って、彼らを見ているのはもはや人間ではない。
(注1)「刹那的」であると同時に(であるがゆえに)対象に魅力を感じるという観光のまなざし ――― 本文より前のところで、歴史学者のヴォルフガング・シヴェルブシュが、鉄道が人間にもたらした知覚のあり方について「対象をその刹那的性格のゆえに、逆に魅力あるものと見なす知覚」と指摘したことが紹介されており、こうした知覚のあり方が観光のまなざしにも見られることが述べられている。
(注2)万国博覧会 ――― 複数の国々が一つの場所に集い、自国の技術や生産品を展示する催し。
(注3)ダークツーリズム ――― 戦跡など、人びとを襲った不幸や悲劇にまつわる場所を観光地として訪れること。
(注4)隘路 ――― 狭くて通りにくい通路。
(注5)冒頭に述べた京都祇園の着物観光 ――― 本文を含む論考全体の冒頭で、観光客がレンタル着物に身を包み、祇園を歩く様子が紹介されている。
(注6)パルコ ――― 東京都渋谷区にある複合商業ビル。若者文化を発信する拠点とされた。
(注7)オーバーツーリズム ――― 観光客の著しい増加によって、住民の生活や自然環境が脅かされること。
下線部B「観光において『見る』ことは問題含みであるだけでなく、とくに『する』こととの対比において、価値のないものとみなされてもきた。」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。
問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問7(第1問(評論) 問7) (訂正依頼・報告はこちら)
次の文章は、高岡文章(たかおかふみあき)「観光は『見る』ことである/ない ――― 『観光のまなざし』をめぐって」の一部で、ジョン・アーリをはじめとする研究者の見解をふまえて書かれたものである。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で表記を一部改めている。
アーリは「文化的なメガネ」という卓抜な表現をもちいて、見ることの社会性を明るみにだしている。まなざしの枠組は規範や様式といった社会/文化的な制度によって規定されているのであって、決して個人が自由に個性的に対象をまなざしている訳ではない。鈴木涼太郎によれば、ベトナムを訪れる日本人が観光みやげとして好むのは「ベトナムの伝統文化」を表象する手作りザッ( ア )カであるのに対し、欧米からの観光客は「東洋文化」を表象する美術品としての大型の壺を求めるという。ここでは観光者が所属する社会によって、訪問地へのまなざしが異なっているのだ。
山口誠はグアムを訪れる日本人観光客の多くが楽園やリゾートといったグアム的記号にあふれたタモン湾から一歩も出ず、その周囲にひろがる多様な現実への想像力から目を背けていると指摘する。人はフレームをとおしてものを見る。何かを「見る」ことは、他の何かを「見ない」ことでもある。まなざしには常に選別がともなっている。
まなざしの線引きをおこなっているのはゲストだけではない。橋本和也は観光者が期待する(押しつける)イメージに適合的な役割を観光地住民が再演することは、観光という荒波から自らの生活文化を守るためのホスト側の「戦略」でもあるという。
(注1)「刹那的」であると同時に(であるがゆえに)対象に魅力を感じるという観光のまなざしの暴力性はとどまるところがない。一九世紀から二〇世紀にかけて世界各地でおこなわれた(注2)万国博覧会では、植民地住民の「展示」がおこなわれた。悪名高い「人間動物園」である。見る主体(多くは西洋の男性)と見られる客体(多くは非西洋の女性)のあいだには乗り越えがたい線が引かれていて、まなざしは境界線の恣意性を見えづらくし、その権力性を再生産する役割を果たす。
近代以前の刑罰は多くの場合、見せしめのためにおこなわれ、それは格好の「見世物」であった。現代でも(注3)ダークツーリズムと名を変えて、おぞましいものへの欲望が観光(の一部)を支えている。それゆえ、A観光地住民の「戦略」は常に綱渡りである。アメリカの社会学者ディーン・マキャーネルが『ザ・ツーリスト』で指摘したように、観光者は「演出」に飽き足らずその「舞台裏」を見たがるのだから。ありのままを見せる生活観光は、出口の見えない(注4)隘路(あいろ)でもあるだろう。そこでは観光のまなざしが全域化していく。
B観光において「見る」ことは問題含みであるだけでなく、とくに「する」こととの対比において、価値のないものとみなされてもきた。
見る主体と見られる客体という、乗り越えがたい(ようにみえた)関係性は、意外な形で反転する。観光者がまなざすのは、たいてい(自分以外の)人びとの生活実践やその痕跡である。偉大な芸術、壮大な遺跡、珍しい風習、初めて出会う食文化などなど。観光の場面において彼らは「見るだけ」のよそ者だ。ここでは見られる側、つまり生活「する」側が主役であり、それを「見る」側は観客にすぎない。文化人類学や地域社会学、環境社会学による地域研究/観光研究は、生活者の視点にウエイトを置く。土地に暮らし働く人びとこそが当事者なのであり、彼らの生活や文化を覗くために訪れて、そそくさと立ち去っていく観光者たちは招かれざる客として位置づけられてきた。
観光のまなざしにおける消費主義や薄っぺらさを鋭く批判したのはブーアスティンだった。一九世紀のなかばに旅行が変容したと彼は述べる。かつての旅人(トラベラー)が没落したかわりに観光客(ツーリスト)が台頭した。それは、旅行が「自分のからだを動かすスポーツから、見るスポーツへと変化した」ことを意味していた。「する」から「見る」への転換。旅は能動的で命がけの行為から、購入するだけのお気楽な商品へと、「無意味」で「空虚」なものへと成りさがったと彼は考えたのだった。
ブーアスティンの嘆きを時代錯誤と笑うことはたやすい。彼の観光論は、あたかも理想的で「ほんとうの」旅がどこかに存在するかのような幻想にさいなまれているというのが、後続の観光研究におけるお定まりの批判なのであるが、Cことはそれほど単純でもない。
表層的な観光のありかたへの飽き足らなさや批判は、現実に観光の形を大きく変えてきた。従来の大衆観光が観光地社会への無理解や無関心といった特徴を帯びていたのに対して、2000年以降、新しい観光/オルタナティヴ・ツーリズムが提唱され実践されてきたのだ。キーワードは「体験」「交流」「学習」である。地元住民の案内によって現地を歩きながら「ほんもの」の歴史や文化を学んだり、農村や漁村の民家に宿泊して「その土地ならでは」の生活を体験したりするような、活動的なプログラムが提供されている。「見る」観光から「する」観光への転換は、個人旅行のみならず、こんにちでは修学旅行をはじめとする団体旅行においてすら主要なメニューとなりつつある。(注5)冒頭に述べた京都祇園(ぎおん)の着物観光は、このような動向の延長線上においてこそ、よりよく理解することができるだろう。
近年、観光現象だけでなく観光研究の視座までもが更新を迫られるようになった。研究対象としての観光が「見る」から「する」へと変化しただけではない。そもそも観光は、はたしてほんとうに「見る」ことだったのかという根本的な問いが突きつけられている。たとえばアルン・サルダンハはアーリのまなざし論を批判して、「観光者は、泳がないのか、山へ登らないのか、サン( イ )サクしないのか、スキーをしないのか」との疑問を( ウ )テイした。
観光研究は、アーリのまなざし論を乗り越えるべく理論的な発展を試みてきた。観光における身体性やふるまいを重視する視点を「パフォーマンス的転回」と呼ぶ。視覚のみならず嗅覚や聴覚、触覚、味覚など多様な感覚との連関において観光をとらえたり、観光者の身体性やしぐさ、パフォーマンスに分析の力点を傾けたりするような研究が積み重ねられてきた。アーリ自身もヨーナス・ラースンの助力をえて改訂した『観光のまなざし』第三版にパフォーマンスをめぐる章を設け、観光(研究)におけるパフォーマンス概念の重要性に注意を促すにいたっている。
観光はもはや「見る」ことだけで説明できるほど素朴な行為ではない。とはいえ、アーリとラースンは、視覚でどこまで説明できるかといえば「それには限界がある」と認めつつも、「視覚が観光体験の中心にある」と食い下がる。彼らにしたがえば「見る」か「する」かの二者択一は不毛なのであって、まなざしとパフォーマンスはD「ともに踊る」関係なのだ。観光のまなざし論はパフォーマンス的転回によってイッ( エ )ソウされたのではなく、それを取り込みつつ生き長らえる。
かつて、人類学者たちは調査地に観光客が訪れることを毛嫌いしてきた。「文明に毒されていない」「未踏の」伝統文化こそを欲望するまなざしは、下世話な観光客たちを巧妙に排除してきたのだ。「観光者を見ない技術」は私たちにも心当たりがあるだろう。海外で出会う日本人観光客をあえて見ないふりをしたり、「誰もない風景」をカメラにおさめるために観光客が通り過ぎるのを待ち続けたりといった経験をしたことはないだろうか。ここでは、アーヴィング・ゴフマンのいう「儀礼的無関心」が駆使されていて、互いが互いの観光を邪魔しないよう高度なコミュニケーションが交わされている。
他方、「観光者を見る技術」も巧みにもちいられている。アーリは、山の頂上や森の奥など、他の観光者がいないことがその場所の観光的価値を高めるような状況を「ロマン主義的まなざし」と呼び、それに対して、他の観光者も同じ場所に来ているという事実がその場所の観光的価値を高める状況を「集合的まなざし」と呼んだ。後者においては、他者の存在が愉快さ、祝祭的気分、活況を与える。
他者を排除するまなざしにしても、それを取り込むまなざしにしても、ここでは他者の身体性が問題となっている。吉見俊哉は『都市のドラマトゥルギー』のなかで、都市を歩く人の身体性にいち早く言及していた。1973年に(注6)パルコが渋谷・公園通りに開店した際のキャッチコピーは「すれ違う人が美しい」であった。パルコは渋谷という都市を舞台、そこを歩く人びとを主役と見立てて都市空間を演出した。渋谷を訪れる若者たちがまなざしたのは、資本が演出する記号のみならず、それらと、E「ともに踊る」身体なのであった。吉見によれば、都市は「「見ること」と「見られること」を媒介する役割」を果たしていた。
ゲストは他のゲストからだけでなくホストからも「見られ」ている。ダリヤ・マオズは観光者が地元住民をまなざすとともに地元住民も観光者をまなざすのだと述べて、それを「相互のまなざし」と名づけた。こんにち、京都でバルセロナでヴェネツィアで、(注7)オーバーツーリズムの張本人として観光者は冷たい視線を浴びせられている。新型コロナウイルス感染症の流行は、観光者をこの世界で最も( オ )イまわしい存在とみなした。
F観光における「見る/見られる」を考えるうえで、サファリパークは示唆的である。動物のリアルな生態に肉迫するべく、人びとは車に乗り込んで特等席を確保する。動物たちは車に群がり、物欲しげに人間をまなざす。人間はふたたび動物園の檻に閉じ込められて、まなざしの対象となる。かつての万国博覧会とは違って、彼らを見ているのはもはや人間ではない。
(注1)「刹那的」であると同時に(であるがゆえに)対象に魅力を感じるという観光のまなざし ――― 本文より前のところで、歴史学者のヴォルフガング・シヴェルブシュが、鉄道が人間にもたらした知覚のあり方について「対象をその刹那的性格のゆえに、逆に魅力あるものと見なす知覚」と指摘したことが紹介されており、こうした知覚のあり方が観光のまなざしにも見られることが述べられている。
(注2)万国博覧会 ――― 複数の国々が一つの場所に集い、自国の技術や生産品を展示する催し。
(注3)ダークツーリズム ――― 戦跡など、人びとを襲った不幸や悲劇にまつわる場所を観光地として訪れること。
(注4)隘路 ――― 狭くて通りにくい通路。
(注5)冒頭に述べた京都祇園の着物観光 ――― 本文を含む論考全体の冒頭で、観光客がレンタル着物に身を包み、祇園を歩く様子が紹介されている。
(注6)パルコ ――― 東京都渋谷区にある複合商業ビル。若者文化を発信する拠点とされた。
(注7)オーバーツーリズム ――― 観光客の著しい増加によって、住民の生活や自然環境が脅かされること。
下線部B「観光において『見る』ことは問題含みであるだけでなく、とくに『する』こととの対比において、価値のないものとみなされてもきた。」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- 観光研究が土地に暮らす人々の生活を覗くためだけに観光地を訪れる観光者を批判し、また、ブーアスティンが旅に命をかけてきた旅人に意味を見出(みいだ)したことによって、「見る」主体の位置づけに変化が生じたということ。
- 観光で重視すべきは観光地住民の生活を体験することであり、旅行は本来「する」ものであるということが、観光研究やブーアスティンによって指摘されたことで、観光における「見る」ことの役割が後退したということ。
- その土地に暮らす当事者の視点を重視した観光研究によって観光者はよそ者として位置づけられ、能動的な旅を充実したものと捉えるブーアスティンによって「見る」だけの観光が軽薄なものと考えられたということ。
- 自らの生活や文化に価値を認める生活者の視点を重視する観光研究と、「する」から「見る」への旅行の変容を嘆くブーアスティンの見解が重なることで、「見る」側の観光者が無意味な存在に貶(おとし)められたということ。
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (1件)
01
本問を読み解く上で重要なヒントとなるのは、下線部Bの後にある以下の文章です。
文化人類学や地域社会学、環境社会学による地域研究/観光研究は、生活者の視点にウエイトを置く。土地に暮らし働く人びとこそが当事者なのであり、彼らの生活や文化を覗くために訪れて、そそくさと立ち去っていく観光者たちは招かれざる客として位置づけられてきた。
地域研究/観光研究においてはその土地で暮らし働く当事者(=「する」側)が主役であり、彼らを覗くために立ち寄るだけの観光客は招かれざる客とみなされていました。
このような考え方の一つとして、ブーアスティンは観光のまなざしにおける消費主義や薄っぺらさを鋭く批判したのです。
ここで注意したいのは、本文に書かれているのは、ブーアスティンは上記のような批判を行ったという事実までで、これによって「○○という変化が起こった」といった因果関係は記されていないという点です。
これらの点をふまえ、要点を的確に説明している選択肢を選びましょう。
「ブーアスティンが~変化が生じた」という解釈は誤りです。
彼の指摘によって何らかの変化が生じたといった因果関係は本文で語られていません。
全体的に解釈が誤っています。
観光研究やブーアスティンが観光者という存在を「招かれざる客」「消費主義」とみなしていた事実は書かれていますが、これによって何らかの変化(観光における「見る」ことの役割が後退した等)が起こったとは書かれていません。
本文に即して要点を押さえているこの選択肢が正解です。
「自らの生活や文化に価値を認める生活者」という表現は本文にありません。
また、ブーアスティンの指摘は観光研究の考え方に属するものの一例として挙げられているのであり、「観光研究とブーアスティンの見解が重なることで(以下略)」という解釈も誤りと判断できます。
「ブーアスティンの見解」に関する記述が本文中でどのような役割を果たしているか適切に読み取れたでしょうか。
筆者は彼の論を、「観光研究」の考え方の一例として提示しています。しかし、本文ではあくまでブーアスティンの見解を紹介することにとどまっており、「それによって○○が△△となった」という因果関係にまでは言及していないことに注意しましょう。
参考になった数0
この解説の修正を提案する
前の問題(問6)へ
令和7年度(2025年度)本試験 問題一覧
次の問題(問8)へ