大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問9 (第1問(評論) 問9)
問題文
次の文章は、高岡文章(たかおかふみあき)「観光は『見る』ことである/ない ――― 『観光のまなざし』をめぐって」の一部で、ジョン・アーリをはじめとする研究者の見解をふまえて書かれたものである。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で表記を一部改めている。
アーリは「文化的なメガネ」という卓抜な表現をもちいて、見ることの社会性を明るみにだしている。まなざしの枠組は規範や様式といった社会/文化的な制度によって規定されているのであって、決して個人が自由に個性的に対象をまなざしている訳ではない。鈴木涼太郎によれば、ベトナムを訪れる日本人が観光みやげとして好むのは「ベトナムの伝統文化」を表象する手作りザッ( ア )カであるのに対し、欧米からの観光客は「東洋文化」を表象する美術品としての大型の壺を求めるという。ここでは観光者が所属する社会によって、訪問地へのまなざしが異なっているのだ。
山口誠はグアムを訪れる日本人観光客の多くが楽園やリゾートといったグアム的記号にあふれたタモン湾から一歩も出ず、その周囲にひろがる多様な現実への想像力から目を背けていると指摘する。人はフレームをとおしてものを見る。何かを「見る」ことは、他の何かを「見ない」ことでもある。まなざしには常に選別がともなっている。
まなざしの線引きをおこなっているのはゲストだけではない。橋本和也は観光者が期待する(押しつける)イメージに適合的な役割を観光地住民が再演することは、観光という荒波から自らの生活文化を守るためのホスト側の「戦略」でもあるという。
(注1)「刹那的」であると同時に(であるがゆえに)対象に魅力を感じるという観光のまなざしの暴力性はとどまるところがない。一九世紀から二〇世紀にかけて世界各地でおこなわれた(注2)万国博覧会では、植民地住民の「展示」がおこなわれた。悪名高い「人間動物園」である。見る主体(多くは西洋の男性)と見られる客体(多くは非西洋の女性)のあいだには乗り越えがたい線が引かれていて、まなざしは境界線の恣意性を見えづらくし、その権力性を再生産する役割を果たす。
近代以前の刑罰は多くの場合、見せしめのためにおこなわれ、それは格好の「見世物」であった。現代でも(注3)ダークツーリズムと名を変えて、おぞましいものへの欲望が観光(の一部)を支えている。それゆえ、A観光地住民の「戦略」は常に綱渡りである。アメリカの社会学者ディーン・マキャーネルが『ザ・ツーリスト』で指摘したように、観光者は「演出」に飽き足らずその「舞台裏」を見たがるのだから。ありのままを見せる生活観光は、出口の見えない(注4)隘路(あいろ)でもあるだろう。そこでは観光のまなざしが全域化していく。
B観光において「見る」ことは問題含みであるだけでなく、とくに「する」こととの対比において、価値のないものとみなされてもきた。
見る主体と見られる客体という、乗り越えがたい(ようにみえた)関係性は、意外な形で反転する。観光者がまなざすのは、たいてい(自分以外の)人びとの生活実践やその痕跡である。偉大な芸術、壮大な遺跡、珍しい風習、初めて出会う食文化などなど。観光の場面において彼らは「見るだけ」のよそ者だ。ここでは見られる側、つまり生活「する」側が主役であり、それを「見る」側は観客にすぎない。文化人類学や地域社会学、環境社会学による地域研究/観光研究は、生活者の視点にウエイトを置く。土地に暮らし働く人びとこそが当事者なのであり、彼らの生活や文化を覗くために訪れて、そそくさと立ち去っていく観光者たちは招かれざる客として位置づけられてきた。
観光のまなざしにおける消費主義や薄っぺらさを鋭く批判したのはブーアスティンだった。一九世紀のなかばに旅行が変容したと彼は述べる。かつての旅人(トラベラー)が没落したかわりに観光客(ツーリスト)が台頭した。それは、旅行が「自分のからだを動かすスポーツから、見るスポーツへと変化した」ことを意味していた。「する」から「見る」への転換。旅は能動的で命がけの行為から、購入するだけのお気楽な商品へと、「無意味」で「空虚」なものへと成りさがったと彼は考えたのだった。
ブーアスティンの嘆きを時代錯誤と笑うことはたやすい。彼の観光論は、あたかも理想的で「ほんとうの」旅がどこかに存在するかのような幻想にさいなまれているというのが、後続の観光研究におけるお定まりの批判なのであるが、Cことはそれほど単純でもない。
表層的な観光のありかたへの飽き足らなさや批判は、現実に観光の形を大きく変えてきた。従来の大衆観光が観光地社会への無理解や無関心といった特徴を帯びていたのに対して、2000年以降、新しい観光/オルタナティヴ・ツーリズムが提唱され実践されてきたのだ。キーワードは「体験」「交流」「学習」である。地元住民の案内によって現地を歩きながら「ほんもの」の歴史や文化を学んだり、農村や漁村の民家に宿泊して「その土地ならでは」の生活を体験したりするような、活動的なプログラムが提供されている。「見る」観光から「する」観光への転換は、個人旅行のみならず、こんにちでは修学旅行をはじめとする団体旅行においてすら主要なメニューとなりつつある。(注5)冒頭に述べた京都祇園(ぎおん)の着物観光は、このような動向の延長線上においてこそ、よりよく理解することができるだろう。
近年、観光現象だけでなく観光研究の視座までもが更新を迫られるようになった。研究対象としての観光が「見る」から「する」へと変化しただけではない。そもそも観光は、はたしてほんとうに「見る」ことだったのかという根本的な問いが突きつけられている。たとえばアルン・サルダンハはアーリのまなざし論を批判して、「観光者は、泳がないのか、山へ登らないのか、サン( イ )サクしないのか、スキーをしないのか」との疑問を( ウ )テイした。
観光研究は、アーリのまなざし論を乗り越えるべく理論的な発展を試みてきた。観光における身体性やふるまいを重視する視点を「パフォーマンス的転回」と呼ぶ。視覚のみならず嗅覚や聴覚、触覚、味覚など多様な感覚との連関において観光をとらえたり、観光者の身体性やしぐさ、パフォーマンスに分析の力点を傾けたりするような研究が積み重ねられてきた。アーリ自身もヨーナス・ラースンの助力をえて改訂した『観光のまなざし』第三版にパフォーマンスをめぐる章を設け、観光(研究)におけるパフォーマンス概念の重要性に注意を促すにいたっている。
観光はもはや「見る」ことだけで説明できるほど素朴な行為ではない。とはいえ、アーリとラースンは、視覚でどこまで説明できるかといえば「それには限界がある」と認めつつも、「視覚が観光体験の中心にある」と食い下がる。彼らにしたがえば「見る」か「する」かの二者択一は不毛なのであって、まなざしとパフォーマンスはD「ともに踊る」関係なのだ。観光のまなざし論はパフォーマンス的転回によってイッ( エ )ソウされたのではなく、それを取り込みつつ生き長らえる。
かつて、人類学者たちは調査地に観光客が訪れることを毛嫌いしてきた。「文明に毒されていない」「未踏の」伝統文化こそを欲望するまなざしは、下世話な観光客たちを巧妙に排除してきたのだ。「観光者を見ない技術」は私たちにも心当たりがあるだろう。海外で出会う日本人観光客をあえて見ないふりをしたり、「誰もない風景」をカメラにおさめるために観光客が通り過ぎるのを待ち続けたりといった経験をしたことはないだろうか。ここでは、アーヴィング・ゴフマンのいう「儀礼的無関心」が駆使されていて、互いが互いの観光を邪魔しないよう高度なコミュニケーションが交わされている。
他方、「観光者を見る技術」も巧みにもちいられている。アーリは、山の頂上や森の奥など、他の観光者がいないことがその場所の観光的価値を高めるような状況を「ロマン主義的まなざし」と呼び、それに対して、他の観光者も同じ場所に来ているという事実がその場所の観光的価値を高める状況を「集合的まなざし」と呼んだ。後者においては、他者の存在が愉快さ、祝祭的気分、活況を与える。
他者を排除するまなざしにしても、それを取り込むまなざしにしても、ここでは他者の身体性が問題となっている。吉見俊哉は『都市のドラマトゥルギー』のなかで、都市を歩く人の身体性にいち早く言及していた。1973年に(注6)パルコが渋谷・公園通りに開店した際のキャッチコピーは「すれ違う人が美しい」であった。パルコは渋谷という都市を舞台、そこを歩く人びとを主役と見立てて都市空間を演出した。渋谷を訪れる若者たちがまなざしたのは、資本が演出する記号のみならず、それらと、E「ともに踊る」身体なのであった。吉見によれば、都市は「「見ること」と「見られること」を媒介する役割」を果たしていた。
ゲストは他のゲストからだけでなくホストからも「見られ」ている。ダリヤ・マオズは観光者が地元住民をまなざすとともに地元住民も観光者をまなざすのだと述べて、それを「相互のまなざし」と名づけた。こんにち、京都でバルセロナでヴェネツィアで、(注7)オーバーツーリズムの張本人として観光者は冷たい視線を浴びせられている。新型コロナウイルス感染症の流行は、観光者をこの世界で最も( オ )イまわしい存在とみなした。
F観光における「見る/見られる」を考えるうえで、サファリパークは示唆的である。動物のリアルな生態に肉迫するべく、人びとは車に乗り込んで特等席を確保する。動物たちは車に群がり、物欲しげに人間をまなざす。人間はふたたび動物園の檻に閉じ込められて、まなざしの対象となる。かつての万国博覧会とは違って、彼らを見ているのはもはや人間ではない。
(注1)「刹那的」であると同時に(であるがゆえに)対象に魅力を感じるという観光のまなざし ――― 本文より前のところで、歴史学者のヴォルフガング・シヴェルブシュが、鉄道が人間にもたらした知覚のあり方について「対象をその刹那的性格のゆえに、逆に魅力あるものと見なす知覚」と指摘したことが紹介されており、こうした知覚のあり方が観光のまなざしにも見られることが述べられている。
(注2)万国博覧会 ――― 複数の国々が一つの場所に集い、自国の技術や生産品を展示する催し。
(注3)ダークツーリズム ――― 戦跡など、人びとを襲った不幸や悲劇にまつわる場所を観光地として訪れること。
(注4)隘路 ――― 狭くて通りにくい通路。
(注5)冒頭に述べた京都祇園の着物観光 ――― 本文を含む論考全体の冒頭で、観光客がレンタル着物に身を包み、祇園を歩く様子が紹介されている。
(注6)パルコ ――― 東京都渋谷区にある複合商業ビル。若者文化を発信する拠点とされた。
(注7)オーバーツーリズム ――― 観光客の著しい増加によって、住民の生活や自然環境が脅かされること。
下線部D「『ともに踊る』」はアーリとラースンの『観光のまなざし』第三版からの引用表現であり、筆者は下線部E「『ともに踊る』」でその表現を再度用いている。これらの表現の説明として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問9(第1問(評論) 問9) (訂正依頼・報告はこちら)
次の文章は、高岡文章(たかおかふみあき)「観光は『見る』ことである/ない ――― 『観光のまなざし』をめぐって」の一部で、ジョン・アーリをはじめとする研究者の見解をふまえて書かれたものである。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で表記を一部改めている。
アーリは「文化的なメガネ」という卓抜な表現をもちいて、見ることの社会性を明るみにだしている。まなざしの枠組は規範や様式といった社会/文化的な制度によって規定されているのであって、決して個人が自由に個性的に対象をまなざしている訳ではない。鈴木涼太郎によれば、ベトナムを訪れる日本人が観光みやげとして好むのは「ベトナムの伝統文化」を表象する手作りザッ( ア )カであるのに対し、欧米からの観光客は「東洋文化」を表象する美術品としての大型の壺を求めるという。ここでは観光者が所属する社会によって、訪問地へのまなざしが異なっているのだ。
山口誠はグアムを訪れる日本人観光客の多くが楽園やリゾートといったグアム的記号にあふれたタモン湾から一歩も出ず、その周囲にひろがる多様な現実への想像力から目を背けていると指摘する。人はフレームをとおしてものを見る。何かを「見る」ことは、他の何かを「見ない」ことでもある。まなざしには常に選別がともなっている。
まなざしの線引きをおこなっているのはゲストだけではない。橋本和也は観光者が期待する(押しつける)イメージに適合的な役割を観光地住民が再演することは、観光という荒波から自らの生活文化を守るためのホスト側の「戦略」でもあるという。
(注1)「刹那的」であると同時に(であるがゆえに)対象に魅力を感じるという観光のまなざしの暴力性はとどまるところがない。一九世紀から二〇世紀にかけて世界各地でおこなわれた(注2)万国博覧会では、植民地住民の「展示」がおこなわれた。悪名高い「人間動物園」である。見る主体(多くは西洋の男性)と見られる客体(多くは非西洋の女性)のあいだには乗り越えがたい線が引かれていて、まなざしは境界線の恣意性を見えづらくし、その権力性を再生産する役割を果たす。
近代以前の刑罰は多くの場合、見せしめのためにおこなわれ、それは格好の「見世物」であった。現代でも(注3)ダークツーリズムと名を変えて、おぞましいものへの欲望が観光(の一部)を支えている。それゆえ、A観光地住民の「戦略」は常に綱渡りである。アメリカの社会学者ディーン・マキャーネルが『ザ・ツーリスト』で指摘したように、観光者は「演出」に飽き足らずその「舞台裏」を見たがるのだから。ありのままを見せる生活観光は、出口の見えない(注4)隘路(あいろ)でもあるだろう。そこでは観光のまなざしが全域化していく。
B観光において「見る」ことは問題含みであるだけでなく、とくに「する」こととの対比において、価値のないものとみなされてもきた。
見る主体と見られる客体という、乗り越えがたい(ようにみえた)関係性は、意外な形で反転する。観光者がまなざすのは、たいてい(自分以外の)人びとの生活実践やその痕跡である。偉大な芸術、壮大な遺跡、珍しい風習、初めて出会う食文化などなど。観光の場面において彼らは「見るだけ」のよそ者だ。ここでは見られる側、つまり生活「する」側が主役であり、それを「見る」側は観客にすぎない。文化人類学や地域社会学、環境社会学による地域研究/観光研究は、生活者の視点にウエイトを置く。土地に暮らし働く人びとこそが当事者なのであり、彼らの生活や文化を覗くために訪れて、そそくさと立ち去っていく観光者たちは招かれざる客として位置づけられてきた。
観光のまなざしにおける消費主義や薄っぺらさを鋭く批判したのはブーアスティンだった。一九世紀のなかばに旅行が変容したと彼は述べる。かつての旅人(トラベラー)が没落したかわりに観光客(ツーリスト)が台頭した。それは、旅行が「自分のからだを動かすスポーツから、見るスポーツへと変化した」ことを意味していた。「する」から「見る」への転換。旅は能動的で命がけの行為から、購入するだけのお気楽な商品へと、「無意味」で「空虚」なものへと成りさがったと彼は考えたのだった。
ブーアスティンの嘆きを時代錯誤と笑うことはたやすい。彼の観光論は、あたかも理想的で「ほんとうの」旅がどこかに存在するかのような幻想にさいなまれているというのが、後続の観光研究におけるお定まりの批判なのであるが、Cことはそれほど単純でもない。
表層的な観光のありかたへの飽き足らなさや批判は、現実に観光の形を大きく変えてきた。従来の大衆観光が観光地社会への無理解や無関心といった特徴を帯びていたのに対して、2000年以降、新しい観光/オルタナティヴ・ツーリズムが提唱され実践されてきたのだ。キーワードは「体験」「交流」「学習」である。地元住民の案内によって現地を歩きながら「ほんもの」の歴史や文化を学んだり、農村や漁村の民家に宿泊して「その土地ならでは」の生活を体験したりするような、活動的なプログラムが提供されている。「見る」観光から「する」観光への転換は、個人旅行のみならず、こんにちでは修学旅行をはじめとする団体旅行においてすら主要なメニューとなりつつある。(注5)冒頭に述べた京都祇園(ぎおん)の着物観光は、このような動向の延長線上においてこそ、よりよく理解することができるだろう。
近年、観光現象だけでなく観光研究の視座までもが更新を迫られるようになった。研究対象としての観光が「見る」から「する」へと変化しただけではない。そもそも観光は、はたしてほんとうに「見る」ことだったのかという根本的な問いが突きつけられている。たとえばアルン・サルダンハはアーリのまなざし論を批判して、「観光者は、泳がないのか、山へ登らないのか、サン( イ )サクしないのか、スキーをしないのか」との疑問を( ウ )テイした。
観光研究は、アーリのまなざし論を乗り越えるべく理論的な発展を試みてきた。観光における身体性やふるまいを重視する視点を「パフォーマンス的転回」と呼ぶ。視覚のみならず嗅覚や聴覚、触覚、味覚など多様な感覚との連関において観光をとらえたり、観光者の身体性やしぐさ、パフォーマンスに分析の力点を傾けたりするような研究が積み重ねられてきた。アーリ自身もヨーナス・ラースンの助力をえて改訂した『観光のまなざし』第三版にパフォーマンスをめぐる章を設け、観光(研究)におけるパフォーマンス概念の重要性に注意を促すにいたっている。
観光はもはや「見る」ことだけで説明できるほど素朴な行為ではない。とはいえ、アーリとラースンは、視覚でどこまで説明できるかといえば「それには限界がある」と認めつつも、「視覚が観光体験の中心にある」と食い下がる。彼らにしたがえば「見る」か「する」かの二者択一は不毛なのであって、まなざしとパフォーマンスはD「ともに踊る」関係なのだ。観光のまなざし論はパフォーマンス的転回によってイッ( エ )ソウされたのではなく、それを取り込みつつ生き長らえる。
かつて、人類学者たちは調査地に観光客が訪れることを毛嫌いしてきた。「文明に毒されていない」「未踏の」伝統文化こそを欲望するまなざしは、下世話な観光客たちを巧妙に排除してきたのだ。「観光者を見ない技術」は私たちにも心当たりがあるだろう。海外で出会う日本人観光客をあえて見ないふりをしたり、「誰もない風景」をカメラにおさめるために観光客が通り過ぎるのを待ち続けたりといった経験をしたことはないだろうか。ここでは、アーヴィング・ゴフマンのいう「儀礼的無関心」が駆使されていて、互いが互いの観光を邪魔しないよう高度なコミュニケーションが交わされている。
他方、「観光者を見る技術」も巧みにもちいられている。アーリは、山の頂上や森の奥など、他の観光者がいないことがその場所の観光的価値を高めるような状況を「ロマン主義的まなざし」と呼び、それに対して、他の観光者も同じ場所に来ているという事実がその場所の観光的価値を高める状況を「集合的まなざし」と呼んだ。後者においては、他者の存在が愉快さ、祝祭的気分、活況を与える。
他者を排除するまなざしにしても、それを取り込むまなざしにしても、ここでは他者の身体性が問題となっている。吉見俊哉は『都市のドラマトゥルギー』のなかで、都市を歩く人の身体性にいち早く言及していた。1973年に(注6)パルコが渋谷・公園通りに開店した際のキャッチコピーは「すれ違う人が美しい」であった。パルコは渋谷という都市を舞台、そこを歩く人びとを主役と見立てて都市空間を演出した。渋谷を訪れる若者たちがまなざしたのは、資本が演出する記号のみならず、それらと、E「ともに踊る」身体なのであった。吉見によれば、都市は「「見ること」と「見られること」を媒介する役割」を果たしていた。
ゲストは他のゲストからだけでなくホストからも「見られ」ている。ダリヤ・マオズは観光者が地元住民をまなざすとともに地元住民も観光者をまなざすのだと述べて、それを「相互のまなざし」と名づけた。こんにち、京都でバルセロナでヴェネツィアで、(注7)オーバーツーリズムの張本人として観光者は冷たい視線を浴びせられている。新型コロナウイルス感染症の流行は、観光者をこの世界で最も( オ )イまわしい存在とみなした。
F観光における「見る/見られる」を考えるうえで、サファリパークは示唆的である。動物のリアルな生態に肉迫するべく、人びとは車に乗り込んで特等席を確保する。動物たちは車に群がり、物欲しげに人間をまなざす。人間はふたたび動物園の檻に閉じ込められて、まなざしの対象となる。かつての万国博覧会とは違って、彼らを見ているのはもはや人間ではない。
(注1)「刹那的」であると同時に(であるがゆえに)対象に魅力を感じるという観光のまなざし ――― 本文より前のところで、歴史学者のヴォルフガング・シヴェルブシュが、鉄道が人間にもたらした知覚のあり方について「対象をその刹那的性格のゆえに、逆に魅力あるものと見なす知覚」と指摘したことが紹介されており、こうした知覚のあり方が観光のまなざしにも見られることが述べられている。
(注2)万国博覧会 ――― 複数の国々が一つの場所に集い、自国の技術や生産品を展示する催し。
(注3)ダークツーリズム ――― 戦跡など、人びとを襲った不幸や悲劇にまつわる場所を観光地として訪れること。
(注4)隘路 ――― 狭くて通りにくい通路。
(注5)冒頭に述べた京都祇園の着物観光 ――― 本文を含む論考全体の冒頭で、観光客がレンタル着物に身を包み、祇園を歩く様子が紹介されている。
(注6)パルコ ――― 東京都渋谷区にある複合商業ビル。若者文化を発信する拠点とされた。
(注7)オーバーツーリズム ――― 観光客の著しい増加によって、住民の生活や自然環境が脅かされること。
下線部D「『ともに踊る』」はアーリとラースンの『観光のまなざし』第三版からの引用表現であり、筆者は下線部E「『ともに踊る』」でその表現を再度用いている。これらの表現の説明として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- 下線部Dでは観光研究においてまなざしとパフォーマンスが重要な視点であることを表し、下線部Eでは都市の研究において商業施設と若者の身体が都市という舞台を考えるうえでともに重要な対象であることを表している。このように「ともに踊る」という表現は、複数の視点を組み合わせることにより新しい研究が可能になることを示している。
- 下線部Dでは観光におけるまなざしが観光者の身体と関わって成り立っていることを表し、下線部Eでは都市を彩るイメージと人々の身体がともに都市という舞台を形作っていることを表している。このように「ともに踊る」という表現は、「見る」人が見るだけではなく、行為する存在でありかつ他者のまなざしの対象でもあることを示している。
- 下線部Dでは他の観光者とともにあることが観光地の価値を高めるという観光のあり方を表し、下線部Eでは都市を歩く人とそれにまなざしを向ける若者の存在とが都市の魅力を高めている様子を表している。このように「ともに踊る」という表現は、他者の身体とそれを「見る」人がともに観光地や都市の価値を高めていることを示している。
- 下線部Dでは「見る」人と「する」人とが互いに高度なやり取りを行っている観光体験のありようを表し、下線部Eでは「見る」人と「見られる」人とがともに行き交う都市空間のありようを表している。このように「ともに踊る」という表現は、ふるまいとまなざしとの区別や主役と観客との区別が分かちがたいものであることを示している。
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この過去問の解説 (1件)
01
冒頭から前半にかけては観光における「見る」から「する」への転換、観光研究の再構築について論じられ、下線部D以降は「見る/する」は一体のものであるという論にもとづいてその詳細が具体例とともに説明されています。
選択肢はいずれも「下線部Dでは【①】ということを表し、下線部Eでは【②】ということを表している。このように、『ともに踊る』という表現は、【③】ということを示している」という構造になっています。したがって、解答にあたっては、①~③の全てが本文に合致しているものを選ぶことになります。
まず、下線部Dから下線部Eに共通する、最も重要な軸となる一文に注目しましょう。
他者を排除するまなざしにしても、それを取り込むまなざしにしても、ここでは他者の身体性が問題となっている。
この文章から、正解を絞り込む上では、「他者の身体性」に着目することが重要であると分かります。
ここで、「ともに踊る」という表現が用いられている文脈を、他者の身体性という軸に注意しながら整理してみましょう。
【下線部D】
・海外で出会う日本人観光客をあえて見ないふり
・「誰もない風景」をカメラにおさめるために観光客が通り過ぎるのを待ち続ける
・他の観光者がいないことがその場所の観光的価値を高める「ロマン主義的まなざし」
・他の観光者も同じ場所に来ているという事実がその場所の観光的価値を高める「集合的まなざし」
→つまり、まなざしとパフォーマンスはD「ともに踊る」関係である
【下線部E】
・都市を歩く人の身体性
・パルコが渋谷・公園通りに開店した際のキャッチコピー「すれ違う人が美しい」
・渋谷という都市を舞台、そこを歩く人びとを主役と見立てた都市空間の演出
→渋谷を訪れる若者がまなざしたのは、資本が演出する記号とE「ともに踊る」身体だった
→渋谷を訪れる若者は都市とそこを歩く人々を見る存在でありながら、他の観光客に見られる都市空間の一部としても機能することになる
上記の点をふまえて各選択肢を見ていきましょう。
下線部D、下線部Eともに「重要な」という表現が使われていますが、何がどのように重要なのかを述べていないため、説明が不足しています。選択肢の絞り込みにあたっては、明らかに本文と離れた内容だけでなく、このように説明が不足している記述も不正解となりうることに注意しましょう。
下線部D、下線部Eの説明ともに、両者に共通する主軸である「身体」というキーワードを絡めて適切に記述されています。
また、観光においては「見る」と「する」は共存するものである点、そして「見る人」は「する人」かつ「他者に見られる人」でもあるという点も本文を的確に捉えているため、この選択肢が正解となります。
この選択肢では「価値を高める」「魅力を高める」という表現が使われていますが、本文では下線部D、下線部Eのいずれについても価値を高めるという論点での記述は無いため、誤りです。
明らかに本文と異なる表現がされている訳ではないので判断に迷うところですが、「ありよう」についての説明が具体性に欠けるため、やや不適と判断できます。選択肢の中にもっと具体的で本文に即したものがあれば、こちらは不正解となります。
下線部Dから下線部Eにかけては話題が大きく転換するため、主旨を読み取るのが難しかったかもしれません。
また、不正解の選択肢の中には、明らかに本文と異なる記述がされていないものもあり、非常に判断に迷う問題だったでしょう。
解答の絞り込みに際しては、本文と離れた内容だけでなく、説明が不足している記述も不正解となりうることに注意しましょう。
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