大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問15 (第2問(小説) 問5)
問題文
次の文章は、蜂飼耳(はちかいみみ)「繭の遊戯」(2005年発表)の一節である。周囲の大人たちから「厄介者」扱いされている「おじさん」は、小屋に籠もって何かを作っていることが多かった。その小屋に幼いころの「わたし」はよく遊びに行っていた。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に①〜⑱の番号を付してある。
① 壁に、ギターが掛けられていた。触りたい。「あれ取って」。すぐには取ってもらえない。「あれ、取ってよ。ちょっとだけ」。おじさんは、取るかどうかわざと迷うふりをしながら、金具を外しギターを下ろす。受け取り、抱えてみる。鳴らしてみる。どんなメロディーにもなりはしない。つまらないというより、不安だった。自分でばら撒(ま)いたおかしな音に、自分で不安になるのだった。「返す」「もう、いいの」。
② なにか弾いてよ。頼むと弾いてくれる。いつも同じ曲だ。最後まで全部、聞いたことはない。いつも途中で、「あれ」と首を傾(かし)げる。「あれ、あれ」。凧(たこ)が落下するときのように、見えない糸が不意に弛(ゆる)みはじめて、ぷつんと止まる。「あれ、わからなくなった」。いつものことだが、いつも、がっかりする。Ⅰがっかり、という気もちには、かわいそうだ、と思う気もちが混ざっていた。生意気にも。五つや六つの子どもでも、そうしてこっそり、大人を哀れむときがあるのだ。
③ 気まずくなり、いつも同じ質問をする。「なんていう曲」。つづきがわからないということは、どちらにもわかっていて、暗黙の了解なのに、おじさんは目を泳がせて、A音を探すふりをする。心をこめるように爪弾く。(注1)「アルハンブラの思い出だよ」。アルハンブラってなに、とは聞けなかった。思い出というからには、人の名前だろう。きっと女の人の名前だ。そう思いこみ、恥ずかしさに密封されて、聞けないのだった。
④ おじさんが厄介者にされているのは、仕事をしてお金を稼ぐということをしないからだった。とはいえ、働かなくても済むような資産があるわけではない。ときどき、トラックの運転手などをして、そのときに必要な分だけ稼ぐのだった。いまでいうところのフリーターだ。快く思わない人は親戚中にいて、誰彼と顔を合わせるたび、叱られているようだった。ちゃんと仕事しなさい。もっとも口うるさいのは、おじさんの姉、つまり、わたしの母だった。説教がはじまれば、早く終わらないかな、とうんざりして、柱の陰から見ていた。大人に怒られる大人は、子どものようなものだった。おじさんは大人なのに、と悔しかった。
⑤ いったい、なにをしているのだろう、おじさんは。不思議だった。というのは、いつでも、忙しそうにしているからだ。自分で建てた小屋という繭に籠(こも)り、でも、眠ってはいない。じっとしてはいない。いつも、くるくると動きまわっている。器械をいじったり、なにか組み立てたり、切ったり、削ったりと。不思議だった。「なにしてるの」と聞けば必ず、「仕事」という答えが返ってくる。いつもなにかを作っているようだったが、その成果が見えるかたちで現れることは滅多(めった)にないのだった。
⑥ 「いつまでも親のスネかじって」。ある日、おじさんの姉、つまり、わたしの母が大声を上げて怒りはじめた。おじさんは耳が聞こえなくなった鳥のように、なにもかも無視して、(注2)母屋からすっと抜けて行った。「お母さん、なんとかいってよ」「いってるよ、いつも」「お母さんが甘いからよ」「もうわかった、あたしが死ねばいいんでしょ、じゃあ、死ぬよ」。祖母は罵りながら、豆の殻を剥(む)いた。豆の匂いは喧嘩(けんか)の匂い。いやになり、庭へ出て、小屋へと歩く。夜風がある。(注3)南天の繁(しげ)みがあたまを振る。重たくざわつく。闇のなかに四角く切り取られたおじさんの窓。叩(たた)く。聞こえないのかな。重たくざわつく南天の繁み。もう少し強く叩く。
⑦ 「あたしだよ」。ほそく開いた。閉じこめられた虎のように、外のようすを窺(うかが)う。「おばあちゃんたち、喧嘩してるよ」。おじさんのせいだよ、とは口にしない。おじさんは、わたしがなにか企(たくら)んでいないかどうか、じいっと目をほそめて観察する。わたしはその瞬間的な観察に耐える。なにもないとわかると、上げてくれた。小屋のなかは、いつもインドの匂いがした。アルハンブラがわからないと同様、インドもよくわからなかった。インドで買ってきたんだ、と見せてくれたお香の包みの上で、目ばかり大きな赤い顔、青い顔が見つめ合っている。「手がいっぱいあって怖い」「神さまだよ」「これが」「インドの」。
⑧ 仏壇に立てられるものより、ずっと長くて甘やかな香りのお香をもくもくと焚(た)き、おじさんは緑色の瓶の液体を飲んでいた。「それなに」(注4)「シードル」「飲みたいな」「子どもの飲み物じゃないよ」「ちょっとだけ」。シードルを固まりのように飲みこんで、おじさんはため息をつく。シードルを舐(な)めて、わたしもため息をついた。おじさんに隠して。擦り切れたカーペットの上に、さまざまな色のガラスの欠片(かけら)。赤、青、黄、緑、ピンク、紫、だいだい、縞(しま)模様。そばには、作りかけのランプの笠(かさ)のようなもの。
⑨ 「そうだ、これ、どう思う」。ベッドの隅に腰掛けていたおじさんが、力なく立ち上がる。緊張する。意見を求められることなど、はじめてだったからだ。汚れた壁と黒い本棚の隙間から引き出されたのはステンドグラスの絵だった。ガラスはすべて嵌(は)めこまれ、完成品のようだった。鳥が二羽、空を渡っていくところ。「どう思う。わかるかな、鶴だけど」。
⑩ 五つや六つの子どもの目にも、その鶴にはなにか足りないと、わかった。鶴というより、もっとずんぐりした鳥に見える。翼をもう少しほそく長くしたら、いいのではないか。子どもの目にも、そんな意見が浮かぶほど、なにかが欠けていた。いま思うと、つまり、切れがなかったのだ。「悪くないよね」と、おじさん。いい、といってほしいのか。それとも、子どもは思った通りを口にすると期待して、本当の意見を待っているのか、わからない。そこのところがわからなかった。「悪くないでしょ」。Bそのとき、わたしのなかでむくむくと目を覚ましたのは、母に似たものだった。
⑪ 「あひるみたい」。おじさんの顔が内側から崩れる。「鶴ってもっと、スマートだよ」。崩れる。思いがけないほど、あっさりと。それを見ると、取り返しのつかないことをした、という気もちになった。同時に満足だった。いいと思わないものを、いいとはいえない。いってはいけない。これで嫌われるのなら、それはそれでしかたないと、にわかに強気になり、息を吐いた。満足と孤独。しのびこんだ蛾が、押せない窓を押して暴れ、しきりに乾いた音を立てる。そのとき、わたしはなにかを、教えられていたのだ。でも、そういう考えをひろげることはできず、なにか大事なものを自分で探り当てたつもりになり、昂揚(こうよう)していた。おじさんの手にこびりつく、石鹸(せっけん)では落とせない塗料。眠くなったふりをして、小屋を出た。
⑫ それからしばらくして、今度は陶芸の虫が、おじさんに取り憑(つ)いた。どこから土を運んで来るのか、周りが気づいたときにはもう、小屋の入口(いりぐち)に敷いた古いビニールシートの上に、大小の器がいくつもならんでいた。「あんなに器用なんだったら、少しは活(い)かせばいいようなものだけど。」母がいないとき祖母はそんなふうに呟(つぶや)いた。でも、母がいて、母に責められるときには、決してそうはいわない。「だって、あたしが産んだんだから、どうしようもない」という。「焼き物をやるっていっても、なにも習わないで、そんな我流でやっているだけじゃどうしようもない、仕事になんかならない」と、母。
⑬ 五つや六つの子どもにとって、大人は二種類に分かれる。遊んでくれる人と、そうでない人。おじさんは遊んでくれるばかりか、いつもなにかを熱心に作っていた。他の大人たちが心配してため息をつくほど無力だとは、思えないのだった。小屋の陰にしゃがんで蟻(あり)の巣を見ていると、壁を通して、削ったり切ったりする音が漏れ出てくる。おじさんは確かに、なにかしている。それだけは、わかった。
⑭ 「ちょっと、ちょっと」。池のそばに座りこみ、(注5)ゲンゴロウを探していたら、おじさんに呼ばれた。小屋の窓が開き、意に反して閉じこめられた虎のように、手招きする。ゲンゴロウは見つからない。金魚が上がってきて静かな水面へ口をつけ、波紋をひろげる。ひょっとすると、どこかへ飛んでいったかなゲンゴロウ、と思いながら答える。「いま行く」。見せたいものがあるか、用をいいつけるか、どちらかだ。
⑮ 小屋を覗(のぞ)いて、おどろいた。奇妙なかたちの白いものが、整列している。どれにも穴がずらりと開いていて、笛かな、と思う。(注6)「オカリナだよ」。乾かしているのだった。「こんなにたくさん作ったの」というと、「売るんだ」。秘密の計画を打ち明けて、声をひそめた。「だけど、ちゃんと鳴るの」「鳴るよ、もちろん」。信用しないでいると、おじさんは「試作品」といって、箱のなかから、完成した水色のオカリナを取り出した。両手で持って、口をつける。迷子の梟(ふくろう)のような音。塗られた水色の濃淡は、模様のようにも、ただの斑(むら)のようにも見える。きれいかどうかわからない布で吹き口を拭い、わたしに渡した。
⑯ 吹く。鳴ることは鳴る。でも、ばらばらの音。「これ見ればわかるよ」といって、おじさんはこまかく折った紙切れを出した。(注7)運指法が載っていたが、見てもよくわからなかった。ただ鳴らしているだけでも、三つ四つの音階に、たどり着くことはできる。欲しくなった。「ちょうだい」と頼むと、その願いを聞き入れるかどうか深く悩む、というふりをしながら、「じゃあ、あげよう」。それから、取り出される別の木箱。古びた木箱色のついたオカリナが、いくつも息を殺して夜明けの玉子のようにじっとしていた。「いっぱいあるから」。勝ち誇ったようにわらう。
⑰ Ⅱすごい、と思いながら、がっかりした。こんなふうに自分の手でオカリナを作ることができても、オカリナを作れない他の大人たちから、怒られつづけ、文句をいわれつづけるのか、と。拾った枝で池の水を掻(か)きまわしながら、あたまを悩ませた。他の人たちから見れば意味が薄いことを、自分の熱意だけでつづける。どこへ繋(つな)がっていくのか、わかりもしないまま。C触角の取れた虫。方向感覚を破壊された鳥。それは、どういうことなのだろう、と。おじさんの心配をしながら、自分も晴れない霧につつまれた。オカリナどころか、なにも作れない自分は、どうすればいいんだろう、と。
⑱ だれもいないところへ行って、オカリナを吹く。D曲にはならない。ただ、ばらばらの音。吹いていると、身体の表面が分厚く剥がれ落ちる気がする。それを拾い集めるべきかどうか、わからない。捨てておいていい、殻のようなものかもしれない。おじさんは、たくさんのオカリナを、バザーで売るというのだった。運指法の説明もつけて、とそれがすごいアイデアであるかのように、いうのだった。
(注1)アルハンブラの思い出 ――― ギターの曲名。アルハンブラはスペインにある宮殿の名前。
(注2)母屋 ――― 住居のなかで、生活の主な場となっている建物。
(注3)南天 ――― 小さな赤い実をつける低木。
(注4)シードル ――― リンゴの果汁を発酵させた発泡酒。
(注5)ゲンゴロウ ――― 池や沼にすむ昆虫。
(注6)オカリナ ――― 鳥の形を模した土製の笛。
(注7)運指法 ――― 楽器を演奏するときの指の運び方。
本文の表現に関する説明として適当でないものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問15(第2問(小説) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)
次の文章は、蜂飼耳(はちかいみみ)「繭の遊戯」(2005年発表)の一節である。周囲の大人たちから「厄介者」扱いされている「おじさん」は、小屋に籠もって何かを作っていることが多かった。その小屋に幼いころの「わたし」はよく遊びに行っていた。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に①〜⑱の番号を付してある。
① 壁に、ギターが掛けられていた。触りたい。「あれ取って」。すぐには取ってもらえない。「あれ、取ってよ。ちょっとだけ」。おじさんは、取るかどうかわざと迷うふりをしながら、金具を外しギターを下ろす。受け取り、抱えてみる。鳴らしてみる。どんなメロディーにもなりはしない。つまらないというより、不安だった。自分でばら撒(ま)いたおかしな音に、自分で不安になるのだった。「返す」「もう、いいの」。
② なにか弾いてよ。頼むと弾いてくれる。いつも同じ曲だ。最後まで全部、聞いたことはない。いつも途中で、「あれ」と首を傾(かし)げる。「あれ、あれ」。凧(たこ)が落下するときのように、見えない糸が不意に弛(ゆる)みはじめて、ぷつんと止まる。「あれ、わからなくなった」。いつものことだが、いつも、がっかりする。Ⅰがっかり、という気もちには、かわいそうだ、と思う気もちが混ざっていた。生意気にも。五つや六つの子どもでも、そうしてこっそり、大人を哀れむときがあるのだ。
③ 気まずくなり、いつも同じ質問をする。「なんていう曲」。つづきがわからないということは、どちらにもわかっていて、暗黙の了解なのに、おじさんは目を泳がせて、A音を探すふりをする。心をこめるように爪弾く。(注1)「アルハンブラの思い出だよ」。アルハンブラってなに、とは聞けなかった。思い出というからには、人の名前だろう。きっと女の人の名前だ。そう思いこみ、恥ずかしさに密封されて、聞けないのだった。
④ おじさんが厄介者にされているのは、仕事をしてお金を稼ぐということをしないからだった。とはいえ、働かなくても済むような資産があるわけではない。ときどき、トラックの運転手などをして、そのときに必要な分だけ稼ぐのだった。いまでいうところのフリーターだ。快く思わない人は親戚中にいて、誰彼と顔を合わせるたび、叱られているようだった。ちゃんと仕事しなさい。もっとも口うるさいのは、おじさんの姉、つまり、わたしの母だった。説教がはじまれば、早く終わらないかな、とうんざりして、柱の陰から見ていた。大人に怒られる大人は、子どものようなものだった。おじさんは大人なのに、と悔しかった。
⑤ いったい、なにをしているのだろう、おじさんは。不思議だった。というのは、いつでも、忙しそうにしているからだ。自分で建てた小屋という繭に籠(こも)り、でも、眠ってはいない。じっとしてはいない。いつも、くるくると動きまわっている。器械をいじったり、なにか組み立てたり、切ったり、削ったりと。不思議だった。「なにしてるの」と聞けば必ず、「仕事」という答えが返ってくる。いつもなにかを作っているようだったが、その成果が見えるかたちで現れることは滅多(めった)にないのだった。
⑥ 「いつまでも親のスネかじって」。ある日、おじさんの姉、つまり、わたしの母が大声を上げて怒りはじめた。おじさんは耳が聞こえなくなった鳥のように、なにもかも無視して、(注2)母屋からすっと抜けて行った。「お母さん、なんとかいってよ」「いってるよ、いつも」「お母さんが甘いからよ」「もうわかった、あたしが死ねばいいんでしょ、じゃあ、死ぬよ」。祖母は罵りながら、豆の殻を剥(む)いた。豆の匂いは喧嘩(けんか)の匂い。いやになり、庭へ出て、小屋へと歩く。夜風がある。(注3)南天の繁(しげ)みがあたまを振る。重たくざわつく。闇のなかに四角く切り取られたおじさんの窓。叩(たた)く。聞こえないのかな。重たくざわつく南天の繁み。もう少し強く叩く。
⑦ 「あたしだよ」。ほそく開いた。閉じこめられた虎のように、外のようすを窺(うかが)う。「おばあちゃんたち、喧嘩してるよ」。おじさんのせいだよ、とは口にしない。おじさんは、わたしがなにか企(たくら)んでいないかどうか、じいっと目をほそめて観察する。わたしはその瞬間的な観察に耐える。なにもないとわかると、上げてくれた。小屋のなかは、いつもインドの匂いがした。アルハンブラがわからないと同様、インドもよくわからなかった。インドで買ってきたんだ、と見せてくれたお香の包みの上で、目ばかり大きな赤い顔、青い顔が見つめ合っている。「手がいっぱいあって怖い」「神さまだよ」「これが」「インドの」。
⑧ 仏壇に立てられるものより、ずっと長くて甘やかな香りのお香をもくもくと焚(た)き、おじさんは緑色の瓶の液体を飲んでいた。「それなに」(注4)「シードル」「飲みたいな」「子どもの飲み物じゃないよ」「ちょっとだけ」。シードルを固まりのように飲みこんで、おじさんはため息をつく。シードルを舐(な)めて、わたしもため息をついた。おじさんに隠して。擦り切れたカーペットの上に、さまざまな色のガラスの欠片(かけら)。赤、青、黄、緑、ピンク、紫、だいだい、縞(しま)模様。そばには、作りかけのランプの笠(かさ)のようなもの。
⑨ 「そうだ、これ、どう思う」。ベッドの隅に腰掛けていたおじさんが、力なく立ち上がる。緊張する。意見を求められることなど、はじめてだったからだ。汚れた壁と黒い本棚の隙間から引き出されたのはステンドグラスの絵だった。ガラスはすべて嵌(は)めこまれ、完成品のようだった。鳥が二羽、空を渡っていくところ。「どう思う。わかるかな、鶴だけど」。
⑩ 五つや六つの子どもの目にも、その鶴にはなにか足りないと、わかった。鶴というより、もっとずんぐりした鳥に見える。翼をもう少しほそく長くしたら、いいのではないか。子どもの目にも、そんな意見が浮かぶほど、なにかが欠けていた。いま思うと、つまり、切れがなかったのだ。「悪くないよね」と、おじさん。いい、といってほしいのか。それとも、子どもは思った通りを口にすると期待して、本当の意見を待っているのか、わからない。そこのところがわからなかった。「悪くないでしょ」。Bそのとき、わたしのなかでむくむくと目を覚ましたのは、母に似たものだった。
⑪ 「あひるみたい」。おじさんの顔が内側から崩れる。「鶴ってもっと、スマートだよ」。崩れる。思いがけないほど、あっさりと。それを見ると、取り返しのつかないことをした、という気もちになった。同時に満足だった。いいと思わないものを、いいとはいえない。いってはいけない。これで嫌われるのなら、それはそれでしかたないと、にわかに強気になり、息を吐いた。満足と孤独。しのびこんだ蛾が、押せない窓を押して暴れ、しきりに乾いた音を立てる。そのとき、わたしはなにかを、教えられていたのだ。でも、そういう考えをひろげることはできず、なにか大事なものを自分で探り当てたつもりになり、昂揚(こうよう)していた。おじさんの手にこびりつく、石鹸(せっけん)では落とせない塗料。眠くなったふりをして、小屋を出た。
⑫ それからしばらくして、今度は陶芸の虫が、おじさんに取り憑(つ)いた。どこから土を運んで来るのか、周りが気づいたときにはもう、小屋の入口(いりぐち)に敷いた古いビニールシートの上に、大小の器がいくつもならんでいた。「あんなに器用なんだったら、少しは活(い)かせばいいようなものだけど。」母がいないとき祖母はそんなふうに呟(つぶや)いた。でも、母がいて、母に責められるときには、決してそうはいわない。「だって、あたしが産んだんだから、どうしようもない」という。「焼き物をやるっていっても、なにも習わないで、そんな我流でやっているだけじゃどうしようもない、仕事になんかならない」と、母。
⑬ 五つや六つの子どもにとって、大人は二種類に分かれる。遊んでくれる人と、そうでない人。おじさんは遊んでくれるばかりか、いつもなにかを熱心に作っていた。他の大人たちが心配してため息をつくほど無力だとは、思えないのだった。小屋の陰にしゃがんで蟻(あり)の巣を見ていると、壁を通して、削ったり切ったりする音が漏れ出てくる。おじさんは確かに、なにかしている。それだけは、わかった。
⑭ 「ちょっと、ちょっと」。池のそばに座りこみ、(注5)ゲンゴロウを探していたら、おじさんに呼ばれた。小屋の窓が開き、意に反して閉じこめられた虎のように、手招きする。ゲンゴロウは見つからない。金魚が上がってきて静かな水面へ口をつけ、波紋をひろげる。ひょっとすると、どこかへ飛んでいったかなゲンゴロウ、と思いながら答える。「いま行く」。見せたいものがあるか、用をいいつけるか、どちらかだ。
⑮ 小屋を覗(のぞ)いて、おどろいた。奇妙なかたちの白いものが、整列している。どれにも穴がずらりと開いていて、笛かな、と思う。(注6)「オカリナだよ」。乾かしているのだった。「こんなにたくさん作ったの」というと、「売るんだ」。秘密の計画を打ち明けて、声をひそめた。「だけど、ちゃんと鳴るの」「鳴るよ、もちろん」。信用しないでいると、おじさんは「試作品」といって、箱のなかから、完成した水色のオカリナを取り出した。両手で持って、口をつける。迷子の梟(ふくろう)のような音。塗られた水色の濃淡は、模様のようにも、ただの斑(むら)のようにも見える。きれいかどうかわからない布で吹き口を拭い、わたしに渡した。
⑯ 吹く。鳴ることは鳴る。でも、ばらばらの音。「これ見ればわかるよ」といって、おじさんはこまかく折った紙切れを出した。(注7)運指法が載っていたが、見てもよくわからなかった。ただ鳴らしているだけでも、三つ四つの音階に、たどり着くことはできる。欲しくなった。「ちょうだい」と頼むと、その願いを聞き入れるかどうか深く悩む、というふりをしながら、「じゃあ、あげよう」。それから、取り出される別の木箱。古びた木箱色のついたオカリナが、いくつも息を殺して夜明けの玉子のようにじっとしていた。「いっぱいあるから」。勝ち誇ったようにわらう。
⑰ Ⅱすごい、と思いながら、がっかりした。こんなふうに自分の手でオカリナを作ることができても、オカリナを作れない他の大人たちから、怒られつづけ、文句をいわれつづけるのか、と。拾った枝で池の水を掻(か)きまわしながら、あたまを悩ませた。他の人たちから見れば意味が薄いことを、自分の熱意だけでつづける。どこへ繋(つな)がっていくのか、わかりもしないまま。C触角の取れた虫。方向感覚を破壊された鳥。それは、どういうことなのだろう、と。おじさんの心配をしながら、自分も晴れない霧につつまれた。オカリナどころか、なにも作れない自分は、どうすればいいんだろう、と。
⑱ だれもいないところへ行って、オカリナを吹く。D曲にはならない。ただ、ばらばらの音。吹いていると、身体の表面が分厚く剥がれ落ちる気がする。それを拾い集めるべきかどうか、わからない。捨てておいていい、殻のようなものかもしれない。おじさんは、たくさんのオカリナを、バザーで売るというのだった。運指法の説明もつけて、とそれがすごいアイデアであるかのように、いうのだった。
(注1)アルハンブラの思い出 ――― ギターの曲名。アルハンブラはスペインにある宮殿の名前。
(注2)母屋 ――― 住居のなかで、生活の主な場となっている建物。
(注3)南天 ――― 小さな赤い実をつける低木。
(注4)シードル ――― リンゴの果汁を発酵させた発泡酒。
(注5)ゲンゴロウ ――― 池や沼にすむ昆虫。
(注6)オカリナ ――― 鳥の形を模した土製の笛。
(注7)運指法 ――― 楽器を演奏するときの指の運び方。
本文の表現に関する説明として適当でないものを、次のうちから一つ選べ。
- 「繭に籠り」(段落番号⑤)、「耳が聞こえなくなった鳥のように」(段落番号⑥)、「閉じこめられた虎のように」(段落番号⑦)は、いずれもおじさんが不本意な状況におかれていることを比喩で表している。
- 「叩く。聞こえないのかな。重たくざわつく南天の繁み。もう少し強く叩く。」(段落番号⑥)は、「わたし」がおじさんの小屋を訪れた体験をその時点に立って臨場感をもって表している。
- 「そのとき、わたしはなにかを、教えられていたのだ。」(段落番号⑪)は、語り手「わたし」が幼少期の体験を振り返り、現在の視点からの解釈も加えて語っていることを表している。
- 「オカリナが、いくつも息を殺して夜明けの玉子のようにじっとしていた」(段落番号⑯)は、オカリナを玉子になぞらえるとともに擬人法を用いて、おじさんの作品を印象的に表している。
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残念...
この過去問の解説 (1件)
01
適当でないものを選ぶ問題です。
適当なものを選んでしまうというケアレスミスをしないよう気を付けましょう。
おじさんが不本意な状況におかれている、すなわち自分が意図しない境遇におかれているかどうかは本文からは読み取れません。
むしろ働くこともなく興味の向くままに物作りをしている姿は、不本意とは逆の状況と言えるでしょう。
したがって、「繭に籠り」(段落番号⑤)、「耳が聞こえなくなった鳥のように」(段落番号⑥)、「閉じこめられた虎のように」(段落番号⑦)を、おじさんが不本意な状況におかれていることを比喩していると解釈するのは適切ではありません。
そのため、この選択肢が正解となります。
適切な解釈です。
本問は適当でないものを選ぶ問題ですので、誤ってこの選択肢を選ばないよう注意しましょう。
適切な解釈です。
本問は適当でないものを選ぶ問題ですので、誤ってこの選択肢を選ばないよう注意しましょう。
適切な解釈です。
「玉子のように」という比喩が使われていることからで擬人法という説明が正しいのか迷う人もいるかもしれませんが、擬人法は「息を殺して」に対する説明です。息を殺すという、本来なら人間が行う動作をオカリナに用いることで、おじさんの作品を印象的に表しています。
ただし本問は適当でないものを選ぶ問題ですので、誤ってこの選択肢を選ばないよう注意しましょう。
正誤の判断自体はそれほど難しくないので、適当でないものを選ぶという指示さえ間違えなければ比較的容易に得点できる問題です。
ケアレスミスをしないよう注意しましょう。
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