大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和7年度(2025年度)追・再試験
問8 (第1問(評論) 問8)

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。

問題

大学入学共通テスト(国語)試験 令和7年度(2025年度)追・再試験 問8(第1問(評論) 問8) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、田中大介(たなかだいすけ)「待ち合わせの変容」(2010年発表)の一部である。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で表記を一部改めている。

あの人と会えるだろうか......。きっと会える。いや、会えないかもしれない......待ち合わせには多かれ少なかれこうした期待と不安が交錯している。相手が絶対に来ないと知りつつ待ち続ける場合を除けば、人が待ち合わせ場所に行くのは、相手が来ると期待しているからであり、相手が待ち合わせ場所に来るのは、自分もそこに行くと相手が期待しているからである。ということは、相手が来るという自分の期待は、自分も行くという相手の期待に(ア)キョしており、逆もまた同様となる。つまり、待ち合わせの成立は「期待の期待」というかたちで相乗化され、理論上、無限後退していくような不安定な事態なのだ。A はたして「会うことはいかにして可能か」。
この待ち合わせにまつわる期待と不安は、「社会秩序はいかにして可能か」という定式で知られ、社会(学)の起源に位置する秩序問題に触れている。秩序問題は、トマス・ホッブズ(注1)――「万人の万人に対する闘争」という自然状態と、その解決としての社会契約――を遡及的に経由してタルコット・パーソンズ(注2)により定式化された「二重の不確定性」(double contingency)以来、ニクラス・ルーマン(注3)らによって複数のレベルで盛んに議論されてきた。ここでそれら全てに触れることはできないが、さしあたり二重の不確定性とは、ひとことでいえば、他者の行為の成否が自分の行為次第であり、自己の行為の成否が他者の行為次第であるような両すくみ(注4)のコミュニケーションのことである。待ち合わせがつきつける不安は、このコミュニケーションの本源的な不確定性、すなわち自明のように感じられている「社会」の底が抜けているかもしれないと告げる囁(ささや)きのようなものだ。
しかし、私たちは日々、人と会っている。では、私たちは、どのようにしてそうした囁きを振り払って、待ち合わせへと出かけているのだろうか。
普段、何気なく行(おこ)なっている待ち合わせだが、二つ以上の身体が時と場をあわせるにはそれなりに慎重なコミュニケーションを必要としている。とりわけ現在では、モバイルテクノロジーが浸透するにしたがって、待ち合わせというコミュニケーションが変容し始めている。たとえば、2007年、地下鉄開通80周年のポスターが東京メトロ(注5)の各駅に貼り出された。そのなかには渋谷ハチ公像を撮った(少なくとも1989年以前の)古い写真が使われているものがある。現在とは異なり北を向いたハチ公像の後姿が映し出され、「ケータイがなかったあの頃は、今より、人気者でした」というキャプションがついている。これはどういう意味だろうか。
本稿では、すでに多くが語られているつながり志向のケータイ研究とは異なり、現代の待ち合わせにおいて現れる時間―空間形態の変容を考えることで、社会の起源と交差するメディア・コミュニケーション(注6)の現在を考えたい。
あらかじめ「待ち合わせ」というコミュニケーションを限定しておく。待ち合わせとは、別の場所にいる複数の身体が、それぞれの身体が存在していた場所以外の場所に移動し、場を共有することとする。したがって、待ち合わせは、ある身体が別の身体が所在する空間(住居、職場等)に一方向的に移動する「訪問」とは区別される。つまり、待ち合わせとは、後続するコミュニケーションを導くための「中間」にあり(待ち合わせたらそれでサヨナラというのは特異な状況だろう)、待ち合わせ場所とは、別の場所に存在する複数の身体の「中間地点」ということができる。
さて、B 待ち合わせという中間的なコミュニケーションは、すべての社会において同じように重要なわけではない。たとえば、限定された活動パターンと閉じた活動範囲で成立する共同体では、集団のメンバーの各身体の所在地や活動の時間的パターンを比較的容易に把握・予期できる。したがって、共同体における待ち合わせの必要性はあまり高くないだろう。
一方、相互の活動内容や活動範囲を把握していない共同体間のコミュニケーションにおいては、時間と空間をあわせる待ち合わせが必要になる。諸身体の活動範囲や活動パターンが分化すれば、相互の所在地や活動の時間的パターンの把握・予期が難しい。そのため、個別の活動をする複数の身体が共通の指標をもとに予(あらかじ)め時間―空間を合わせなければ、出会いは(イ)グウゼンに委ねられるほかない。つまり、個別の活動に従事する複数の身体が共通参照できる数量として均質化した時間と、離れた場所に存在する個別の身体が共有知識として了解した中間地点――すなわち、クロックタイムとランドマークを用いた待ち合わせが必要となる。それと表裏の関係にあるのが、遅れを逸脱としてまなざす規範と、それに伴って現れる遅れに対するストレス、すなわち「遅刻」という観念の成立である。したがって、待ち合わせは、各身体の活動領域が個別化するほど拡大し、機能分化した近代の都市や地域において、より自立したコミュニケーション形式として要請される。
では、近代の待ち合わせはどのようなコミュニケーションだったのか。日本で最も知られた待ち合わせ場所であるハチ公像を例に考えてみよう。
ハチとは東京帝国大学教授上野英三郎(注7)が飼っていた秋田犬のオスである。ハチは、外出する上野を渋谷駅まで見送り、大正14(1925)年5月、上野が講義中に亡くなった後も、渋谷駅に立ち寄り続けた。上野の帰りを待ち続けるハチの姿は「忠犬」と讃(たた)えられる。このハチ公の物語は、昭和7(1932)年10月4日の東京朝日新聞(注8)に「いとしや老犬物語、今は世になき主人の帰りを待ちかねる七年間」という記事が投稿されたことをきっかけにして広がったもので、昭和9(1934)年4月には渋谷駅前にハチの銅像が建立された。さらにハチが死亡した昭和11(1936)年以降、毎年、慰霊祭がハチ公像前で行なわれ、ハチ公像は儀礼を通して象徴化されることになる。
ただし、「忠犬=ハチ公」の神話には異説も存在している。死亡後のハチの胃から焼き鳥串が発見されたことをもって、ハチは駅前で焼き鳥をもらうために渋谷駅に通っていたとする説である。問題は、「忠犬=ハチ公」説と「動物=ハチ公」説の正誤ではなく、なぜ「忠犬=ハチ公」神話がもっともらしいものとして普及したのかだろう。
たとえば、昭和30(1955)年の読売新聞の記事「ハチ公に変らぬ愛と真心」では、「ハチ公のまわりにはハチ公にかわって昼も夜も常に百人近いシン(ウ)ケンなヒトミが改札口のほうをみつめている。「待ち人」の来るや来ずや......」(読売新聞1955年5月26日)と書かれ、待ち合わせをする人びとがハチ公に重ねあわされている。
このハチ公という象徴に仮託されている待ち合わせの意味は、たとえば以下のようなものである。「盛り場のなかの小さな広場/せまい空の下のベンチ/ひと待ち顔は美しくそして悲しいもの/たとえばそれがささやかな約束/あどけないデイト/買い物のおともであっても.../「待つ」ことで人生を知りはじめ/「待つ」ことで老いていくからです」(朝日新聞1960年9月19日夕刊、投書「待ち合わせ」)。この投書の待ち合わせは切なく、美しいものとして意味付けられており、「忠犬=ハチ公」の物語と通底している。
これらの言説は、待ち合わせを「待つこと」として捉えている。待ち人が来るかこないかはわからないし、それは待ち続けないとわからない。待ち合わせとは、そうした長い不安と忍耐の時間的経験であり、ハチ公像とは「コミュニケーションの不確定性に耐える受動性」の空間的象徴なのである。ハチ公神話を―――少なくとも戦後のある時期まで―――もっともらしく思わせていたもののひとつは、待ち合わせの不確定性に耐える「待つこと」のリアリティだったのである。
C しかし、戦後になるとハチ公神話にも変化がみられる。
たとえば、昭和43(1968)年の「忘れられる美談」という記事では、「帰らぬ主人をまって十年間、じっとすわりつづけた「忠義の物語」を知る人の数も減ったという彫像維持会の幹事さんの言葉をまつまでもない。(中略)『キミ、あそこでデートの待ち合わせしたことある?』『ない。あそこきらいなの。なぜって?イヌは、3日飼えば3年恩を忘れないっていうでしょう。わたし、あれがイヤなの。なにが忠犬よ。なれていただけじゃないの。つまり、不潔ってこと』(読売新聞1968年3月24日)。「待つこと」は美しさではなく、執着とされ、反転する。ハチ公が焼き鳥をもらうために渋谷駅に通っていたという「動物=ハチ公」という対抗神話は、「なれていただけ」というこの感覚の延長線上にある。
さらに1980年代になると、「渋谷ならハチ公前、新宿の紀伊国屋(きのくにや)前(注9)、あまりにも有名な待ち合わせ場所だが、近ごろそうした人待ち場所も変りつつあるようだ。わかりやすい所というだけでなく、ファッション性や遊び心も場所選びの要素になっている。(中略)スタジオアルタ(注10)という空間そのものがファッション〔とされ、〕ファッション感覚に敏感な若者たちは、道玄坂の『109』や公園通り(注11)で待ち合わせる」(読売新聞1986年6月10日、〔〕内は引用者)。
待ち合わせは、ハチ公が担った「悲しみや美しさ」の重い物語から「ファッション性や遊び心」といった軽やかな記号的イメージの戯れへと転換し、待ち合わせ場所は、そうした記号的イメージの演出される舞台として量産される。すでに新宿では、「シンボルがないために、待ち合わせ場所を演出」(朝日新聞1978年9月20日)し、交通導線(注12)を作り出す商業地区の活性化が行われている。ハチ公像に対抗して渋谷駅南口にモヤイ像(注13)が設置されたのも1980年である。
複数の身体が(エ)タイリュウできる空間を構築し、ファッショナブルに演出することで、ハチ公以外のどうということのなかった空間が「待ち合わせ場所」として生産される。そして、そうした「空間の生産」のなかでゾウ(オ)ショクし、拡散していく待ち合わせ場所が「新しい/古い」や「オシャレ/ダサい」といった流行のコードによって意味付けされ、選択されることで、D 待ち合わせは、不確定性と戯れるコミュニケーションとして消費されていったのである。

(注1)トマス・ホッブズ ―― イギリスの哲学者(1588―1679)。
(注2)タルコット・パーソンズ ―― アメリカの社会学者(1902―1979)。
(注3)ニクラス・ルーマン ―― ドイツの社会学者(1927―1998)。
(注4)両すくみ ―― 三者が牽(けん)制し合って自由に行動できない「三すくみ」からの造語。
(注5)東京メトロ ―― 東京地下鉄株式会社のこと。
(注6)メディア・コミュニケーションの現在を考えたい ―― この文章はこの考察がなされる前の部分にあたる。
(注7)上野英三郎 ―― 日本の農学者(1872―1925)。
(注8)東京朝日新聞――日刊新聞である朝日新聞の東日本地区での旧題。大正期には東京五大新聞の一角として数えられた。
(注9)新宿の紀伊国屋前 ―― 新宿駅東口近くにある紀伊国屋書店の新宿本店前。
(注10)スタジオアルタ ―― 新宿駅東口前のビル新宿アルタの七階にあったスタジオ。ビル壁面には超大型モニターが設置されている。
(注11)道玄坂の『109』や公園通り ―― 道玄坂は渋谷駅の西側にある坂道で、その登り口にテナントビル『109』がある。公園通りは渋谷駅の北側にある坂道で、店舗などが立ち並ぶ繁華街になっている。
(注12)交通導線 ―― ここでは人の流れを導く経路のこと。
(注13)モヤイ像 ―― 渋谷駅にある、イースター島のモアイ像を模した石像のこと。

下線部C「しかし、戦後になるとハチ公神話にも変化がみられる。」とあるが、「ハチ公神話」の「変化」に関する説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
  • 「忠犬=ハチ公」神話は、「いとしや老犬物語」や「ハチ公に変らぬ愛と真心」といったハチの物語を肯定的に伝える新聞記事によって真実性を持った神話として普及していったが、ハチの物語を「なれていただけ」と捉える若者の声が新聞記事で報じられることで「忠犬=ハチ公」神話の信頼性が疑われるようになったということ。
  • 「忠犬=ハチ公」神話は、主人を待ち続けるハチの姿を「忠犬」と讃えた人びとによって神話化されたものであり、銅像や慰霊祭によって多くの人に認知されていったが、駅に通い続けたハチの姿を焼き鳥に対する執着と捉える人が増えるにつれて、「動物=ハチ公」神話がもっともらしいものとして受容されるようになったということ。
  • 「忠犬=ハチ公」神話は、主人の帰りをじっと待つハチの姿と待ち人の訪れを一途に待つ人びとの姿とが重ねあわされることで美しい物語として作り上げられていったが、美化された神話を嫌悪する新しい感性の登場によって、ハチの動物的な習性を強調した「動物=ハチ公」神話が対抗神話として作られていったということ。
  • 「忠犬=ハチ公」神話は、待ち人に会えるかどうかという不安に耐えることの切なさや美しさの象徴として人びとのあいだに浸透していったが、ハチの忠義の物語が次第に忘れられていくとともに、待ち人を待ち続けることを未練がましい行為と捉える感覚が出てきたことで、「忠犬=ハチ公」神話の象徴性が薄れていったということ。

次の問題へ

正解!素晴らしいです

残念...

この過去問の解説 (2件)

01

「ハチ公神話」の「変化」に関する説明を求められているため、
①「ハチ公神話」とは具体的にどのようなものか
②以前はどんなもので、今はどんなものになっているのか、時間的な前後関係に沿って解説できているか
の2点に着目して回答しましょう。

 

正答は「「忠犬=ハチ公」神話は、待ち人に会えるかどうかという不安に耐えることの切なさや美しさの象徴として人びとのあいだに浸透していったが、ハチの忠義の物語が次第に忘れられていくとともに、待ち人を待ち続けることを未練がましい行為と捉える感覚が出てきたことで、「忠犬=ハチ公」神話の象徴性が薄れていったということ。」です。

 

下線部Cは「しかし」と逆説で場面転換されているため、
・ハチ公神話の変化前の説明は下線部Cより前
・ハチ公神話の変化後の説明は下線部Cより後
に述べられているとわかります。

 

下線部Cの前後の文章は長いので、「ハチ公神話」「変化前」「変化後」と着目する点を絞って読み進めましょう。

それでは各選択肢を見ていきます。

選択肢1. 「忠犬=ハチ公」神話は、「いとしや老犬物語」や「ハチ公に変らぬ愛と真心」といったハチの物語を肯定的に伝える新聞記事によって真実性を持った神話として普及していったが、ハチの物語を「なれていただけ」と捉える若者の声が新聞記事で報じられることで「忠犬=ハチ公」神話の信頼性が疑われるようになったということ。

後半の「ハチの物語を「なれていただけ」と捉える若者の声が新聞記事で報じられることで「忠犬=ハチ公」神話の信頼性が疑われるようになった」が誤りのため不適切です。

 

ハチの物語を「なれているだけ」とする報道は、ハチ公神話が美談とされている時代にもありました。

 

本文中に「問題は、「忠犬=ハチ公」説と「動物=ハチ公」説の正誤ではなく、なぜ「忠犬=ハチ公」神話がもっともらしいものとして普及したのかだろう。」との記述があります。

この文章からも、変化前にもハチ公神話には「ハチ=動物」説があったが、人々はハチ公神話を美談と捉えていたことがわかります。

選択肢2. 「忠犬=ハチ公」神話は、主人を待ち続けるハチの姿を「忠犬」と讃えた人びとによって神話化されたものであり、銅像や慰霊祭によって多くの人に認知されていったが、駅に通い続けたハチの姿を焼き鳥に対する執着と捉える人が増えるにつれて、「動物=ハチ公」神話がもっともらしいものとして受容されるようになったということ。

後半の「駅に通い続けたハチの姿を焼き鳥に対する執着と捉える人が増えるにつれて、「動物=ハチ公」神話がもっともらしいものとして受容されるようになった」が誤りのため、不適切です。

 

ハチを執着の象徴として毛嫌いする若者たちの声は、「ハチが渋谷駅前で待ち続けたこと」を指しています。
決して「焼き鳥に対する執着」のみではありません。

 

渋谷駅前に執着するハチの姿

あまり信じられていなかった焼き鳥目当てに渋谷駅前で待っていた「ハチ=動物」説が力をもち始めた
が正しい因果関係となります。

 

選択肢の説明では、
焼き鳥に執着するハチ

渋谷駅前にも執着

ハチ=動物説が有力視される
と因果関係が狂うため、誤りです。

選択肢3. 「忠犬=ハチ公」神話は、主人の帰りをじっと待つハチの姿と待ち人の訪れを一途に待つ人びとの姿とが重ねあわされることで美しい物語として作り上げられていったが、美化された神話を嫌悪する新しい感性の登場によって、ハチの動物的な習性を強調した「動物=ハチ公」神話が対抗神話として作られていったということ。

後半の「美化された神話を嫌悪する新しい感性の登場によって、ハチの動物的な習性を強調した「動物=ハチ公」神話が対抗神話として作られていった」が誤りのため、不適切です。

 

前述の通り、「ハチ=動物」説はハチ公神話が美談とされている時代からありました。
ハチ公を執着の象徴とみなして嫌悪する感性が現れたことにより新たに唱えられた説ではありません

選択肢4. 「忠犬=ハチ公」神話は、待ち人に会えるかどうかという不安に耐えることの切なさや美しさの象徴として人びとのあいだに浸透していったが、ハチの忠義の物語が次第に忘れられていくとともに、待ち人を待ち続けることを未練がましい行為と捉える感覚が出てきたことで、「忠犬=ハチ公」神話の象徴性が薄れていったということ。

適切です。

 

「ハチ公が担った「悲しみや美しさ」」
「昭和43(1968)年の「忘れられる美談」という記事では、「帰らぬ主人をまって十年間、じっとすわりつづけた「忠義の物語」を知る人の数も減った」
「「シンボルがないために、待ち合わせ場所を演出」」
「ハチ公像に対抗して渋谷駅南口にモヤイ像(注13)が設置されたのも1980年である。」
など、選択肢の文章はすべて本文と合致します。

まとめ

これまでの下線部読解のなかでは最も長文を読んでから答えなければならない問題です。
①問題文の意図を理解しているか
②本文の意図を理解しているか
どちらも問われています。

 

正答を選ぶのには時間のかからない問題ですが、文章に不慣れだと時間を大幅に取られてしまう問題です。
日頃から長文に慣れる練習をするとともに、もし本番で時間がかかると判断したなら最後に回しましょう。

 

ただし、このあとに要約問題が来ることが予想されるため、絶対に正解しておきたい問題です。

「問題文を読む→選択肢を読む→本文を読む」の順番を徹底して、必要な箇所だけ拾う練習をしておきましょう。

参考になった数0

02

本文がそのまま大きなヒントになっています。

 

待ち合わせとは、そうした長い不安と忍耐の時間的経験であり、ハチ公像とは「コミュニケーションの不確定性に耐える受動性」の空間的象徴なのである。ハチ公神話を―――少なくとも戦後のある時期まで―――もっともらしく思わせていたもののひとつは、待ち合わせの不確定性に耐える「待つこと」のリアリティだったのである。

 

こう述べられていることから、大前提として、筆者の論の核となっている「待ち合わせの不確定性」に相当する言及が無い選択肢は正解候補から除外されます。

選択肢1. 「忠犬=ハチ公」神話は、「いとしや老犬物語」や「ハチ公に変らぬ愛と真心」といったハチの物語を肯定的に伝える新聞記事によって真実性を持った神話として普及していったが、ハチの物語を「なれていただけ」と捉える若者の声が新聞記事で報じられることで「忠犬=ハチ公」神話の信頼性が疑われるようになったということ。

大前提として「待ち合わせの不確定性」に相当する言及が無いことから、正解候補から除外されます。

 

さらに、下線部C直後の文章が「たとえば」で始まっていることから、新聞記事で紹介された若者の声はあくまで一例であると分かります。この記事がきっかけで「忠犬=ハチ公」神話の信頼性が疑われるようになったとは書かれていません。

選択肢2. 「忠犬=ハチ公」神話は、主人を待ち続けるハチの姿を「忠犬」と讃えた人びとによって神話化されたものであり、銅像や慰霊祭によって多くの人に認知されていったが、駅に通い続けたハチの姿を焼き鳥に対する執着と捉える人が増えるにつれて、「動物=ハチ公」神話がもっともらしいものとして受容されるようになったということ。

大前提として「待ち合わせの不確定性」に相当する言及が無いことから、正解候補から除外されます。

 

さらに、駅に通い続けたハチの姿を焼き鳥に対する執着と捉える人が増えたということや、それにつれて「動物=ハチ公」神話がもっともらしいものとして受容されるようになったということは本文に書かれていないことからも、この選択肢は誤りと判断できます。

選択肢3. 「忠犬=ハチ公」神話は、主人の帰りをじっと待つハチの姿と待ち人の訪れを一途に待つ人びとの姿とが重ねあわされることで美しい物語として作り上げられていったが、美化された神話を嫌悪する新しい感性の登場によって、ハチの動物的な習性を強調した「動物=ハチ公」神話が対抗神話として作られていったということ。

大前提として「待ち合わせの不確定性」に相当する言及が無いことから、正解候補から除外されます。

 

さらに、本文では昭和43(1968)年の「忘れられる美談」という記事が取り上げられていることから、「動物=ハチ公」神話が作られるに至った原因はハチ公の物語を覚えている人が減ったことであり、「美化された神話を嫌悪する新しい感性の登場」によるものではないと分かります。

したがって、この選択肢は誤りと判断できます。

選択肢4. 「忠犬=ハチ公」神話は、待ち人に会えるかどうかという不安に耐えることの切なさや美しさの象徴として人びとのあいだに浸透していったが、ハチの忠義の物語が次第に忘れられていくとともに、待ち人を待ち続けることを未練がましい行為と捉える感覚が出てきたことで、「忠犬=ハチ公」神話の象徴性が薄れていったということ。

待ち人に会えるかどうかという不安」という部分が「待ち合わせの不確定性」に相当しており、他の選択肢ではこの要素が抜けていることから、消去法によりこの選択肢が正解と判断されます。また、内容としても本文と合致しています。

 

まとめ

解説冒頭で述べている通り、筆者の論の核となっている「待ち合わせの不確定性」というキーワードに気付くことで、消去法で正解にたどり着ける問題です。

ただし、解答を絞り込んだ後は本文と合致しているかどうか念のため確認するようにしましょう。

参考になった数0