大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和7年度(2025年度)追・再試験
問10 (第1問(評論) 問10)
問題文
あの人と会えるだろうか......。きっと会える。いや、会えないかもしれない......待ち合わせには多かれ少なかれこうした期待と不安が交錯している。相手が絶対に来ないと知りつつ待ち続ける場合を除けば、人が待ち合わせ場所に行くのは、相手が来ると期待しているからであり、相手が待ち合わせ場所に来るのは、自分もそこに行くと相手が期待しているからである。ということは、相手が来るという自分の期待は、自分も行くという相手の期待に(ア)イキョしており、逆もまた同様となる。つまり、待ち合わせの成立は「期待の期待」というかたちで相乗化され、理論上、無限後退していくような不安定な事態なのだ。A はたして「会うことはいかにして可能か」。
この待ち合わせにまつわる期待と不安は、「社会秩序はいかにして可能か」という定式で知られ、社会(学)の起源に位置する秩序問題に触れている。秩序問題は、トマス・ホッブズ(注1)――「万人の万人に対する闘争」という自然状態と、その解決としての社会契約――を遡及的に経由してタルコット・パーソンズ(注2)により定式化された「二重の不確定性」(double contingency)以来、ニクラス・ルーマン(注3)らによって複数のレベルで盛んに議論されてきた。ここでそれら全てに触れることはできないが、さしあたり二重の不確定性とは、ひとことでいえば、他者の行為の成否が自分の行為次第であり、自己の行為の成否が他者の行為次第であるような両すくみ(注4)のコミュニケーションのことである。待ち合わせがつきつける不安は、このコミュニケーションの本源的な不確定性、すなわち自明のように感じられている「社会」の底が抜けているかもしれないと告げる囁(ささや)きのようなものだ。
しかし、私たちは日々、人と会っている。では、私たちは、どのようにしてそうした囁きを振り払って、待ち合わせへと出かけているのだろうか。
普段、何気なく行(おこ)なっている待ち合わせだが、二つ以上の身体が時と場をあわせるにはそれなりに慎重なコミュニケーションを必要としている。とりわけ現在では、モバイルテクノロジーが浸透するにしたがって、待ち合わせというコミュニケーションが変容し始めている。たとえば、2007年、地下鉄開通80周年のポスターが東京メトロ(注5)の各駅に貼り出された。そのなかには渋谷ハチ公像を撮った(少なくとも1989年以前の)古い写真が使われているものがある。現在とは異なり北を向いたハチ公像の後姿が映し出され、「ケータイがなかったあの頃は、今より、人気者でした」というキャプションがついている。これはどういう意味だろうか。
本稿では、すでに多くが語られているつながり志向のケータイ研究とは異なり、現代の待ち合わせにおいて現れる時間―空間形態の変容を考えることで、社会の起源と交差するメディア・コミュニケーション(注6)の現在を考えたい。
あらかじめ「待ち合わせ」というコミュニケーションを限定しておく。待ち合わせとは、別の場所にいる複数の身体が、それぞれの身体が存在していた場所以外の場所に移動し、場を共有することとする。したがって、待ち合わせは、ある身体が別の身体が所在する空間(住居、職場等)に一方向的に移動する「訪問」とは区別される。つまり、待ち合わせとは、後続するコミュニケーションを導くための「中間」にあり(待ち合わせたらそれでサヨナラというのは特異な状況だろう)、待ち合わせ場所とは、別の場所に存在する複数の身体の「中間地点」ということができる。
さて、B 待ち合わせという中間的なコミュニケーションは、すべての社会において同じように重要なわけではない。たとえば、限定された活動パターンと閉じた活動範囲で成立する共同体では、集団のメンバーの各身体の所在地や活動の時間的パターンを比較的容易に把握・予期できる。したがって、共同体における待ち合わせの必要性はあまり高くないだろう。
一方、相互の活動内容や活動範囲を把握していない共同体間のコミュニケーションにおいては、時間と空間をあわせる待ち合わせが必要になる。諸身体の活動範囲や活動パターンが分化すれば、相互の所在地や活動の時間的パターンの把握・予期が難しい。そのため、個別の活動をする複数の身体が共通の指標をもとに予(あらかじ)め時間―空間を合わせなければ、出会いは(イ)グウゼンに委ねられるほかない。つまり、個別の活動に従事する複数の身体が共通参照できる数量として均質化した時間と、離れた場所に存在する個別の身体が共有知識として了解した中間地点――すなわち、クロックタイムとランドマークを用いた待ち合わせが必要となる。それと表裏の関係にあるのが、遅れを逸脱としてまなざす規範と、それに伴って現れる遅れに対するストレス、すなわち「遅刻」という観念の成立である。したがって、待ち合わせは、各身体の活動領域が個別化するほど拡大し、機能分化した近代の都市や地域において、より自立したコミュニケーション形式として要請される。
では、近代の待ち合わせはどのようなコミュニケーションだったのか。日本で最も知られた待ち合わせ場所であるハチ公像を例に考えてみよう。
ハチとは東京帝国大学教授上野英三郎(注7)が飼っていた秋田犬のオスである。ハチは、外出する上野を渋谷駅まで見送り、大正14(1925)年5月、上野が講義中に亡くなった後も、渋谷駅に立ち寄り続けた。上野の帰りを待ち続けるハチの姿は「忠犬」と讃(たた)えられる。このハチ公の物語は、昭和7(1932)年10月4日の東京朝日新聞(注8)に「いとしや老犬物語、今は世になき主人の帰りを待ちかねる七年間」という記事が投稿されたことをきっかけにして広がったもので、昭和9(1934)年4月には渋谷駅前にハチの銅像が建立された。さらにハチが死亡した昭和11(1936)年以降、毎年、慰霊祭がハチ公像前で行なわれ、ハチ公像は儀礼を通して象徴化されることになる。
ただし、「忠犬=ハチ公」の神話には異説も存在している。死亡後のハチの胃から焼き鳥串が発見されたことをもって、ハチは駅前で焼き鳥をもらうために渋谷駅に通っていたとする説である。問題は、「忠犬=ハチ公」説と「動物=ハチ公」説の正誤ではなく、なぜ「忠犬=ハチ公」神話がもっともらしいものとして普及したのかだろう。
たとえば、昭和30(1955)年の読売新聞の記事「ハチ公に変らぬ愛と真心」では、「ハチ公のまわりにはハチ公にかわって昼も夜も常に百人近いシン(ウ)ケンなヒトミが改札口のほうをみつめている。「待ち人」の来るや来ずや......」(読売新聞1955年5月26日)と書かれ、待ち合わせをする人びとがハチ公に重ねあわされている。
このハチ公という象徴に仮託されている待ち合わせの意味は、たとえば以下のようなものである。「盛り場のなかの小さな広場/せまい空の下のベンチ/ひと待ち顔は美しくそして悲しいもの/たとえばそれがささやかな約束/あどけないデイト/買い物のおともであっても.../「待つ」ことで人生を知りはじめ/「待つ」ことで老いていくからです」(朝日新聞1960年9月19日夕刊、投書「待ち合わせ」)。この投書の待ち合わせは切なく、美しいものとして意味付けられており、「忠犬=ハチ公」の物語と通底している。
これらの言説は、待ち合わせを「待つこと」として捉えている。待ち人が来るかこないかはわからないし、それは待ち続けないとわからない。待ち合わせとは、そうした長い不安と忍耐の時間的経験であり、ハチ公像とは「コミュニケーションの不確定性に耐える受動性」の空間的象徴なのである。ハチ公神話を―――少なくとも戦後のある時期まで―――もっともらしく思わせていたもののひとつは、待ち合わせの不確定性に耐える「待つこと」のリアリティだったのである。
C しかし、戦後になるとハチ公神話にも変化がみられる。
たとえば、昭和43(1968)年の「忘れられる美談」という記事では、「帰らぬ主人をまって十年間、じっとすわりつづけた「忠義の物語」を知る人の数も減ったという彫像維持会の幹事さんの言葉をまつまでもない。(中略)『キミ、あそこでデートの待ち合わせしたことある?』『ない。あそこきらいなの。なぜって?イヌは、3日飼えば3年恩を忘れないっていうでしょう。わたし、あれがイヤなの。なにが忠犬よ。なれていただけじゃないの。つまり、不潔ってこと』(読売新聞1968年3月24日)。「待つこと」は美しさではなく、執着とされ、反転する。ハチ公が焼き鳥をもらうために渋谷駅に通っていたという「動物=ハチ公」という対抗神話は、「なれていただけ」というこの感覚の延長線上にある。
さらに1980年代になると、「渋谷ならハチ公前、新宿の紀伊国屋(きのくにや)前(注9)、あまりにも有名な待ち合わせ場所だが、近ごろそうした人待ち場所も変りつつあるようだ。わかりやすい所というだけでなく、ファッション性や遊び心も場所選びの要素になっている。(中略)スタジオアルタ(注10)という空間そのものがファッション〔とされ、〕ファッション感覚に敏感な若者たちは、道玄坂の『109』や公園通り(注11)で待ち合わせる」(読売新聞1986年6月10日、〔〕内は引用者)。
待ち合わせは、ハチ公が担った「悲しみや美しさ」の重い物語から「ファッション性や遊び心」といった軽やかな記号的イメージの戯れへと転換し、待ち合わせ場所は、そうした記号的イメージの演出される舞台として量産される。すでに新宿では、「シンボルがないために、待ち合わせ場所を演出」(朝日新聞1978年9月20日)し、交通導線(注12)を作り出す商業地区の活性化が行われている。ハチ公像に対抗して渋谷駅南口にモヤイ像(注13)が設置されたのも1980年である。
複数の身体が(エ)タイリュウできる空間を構築し、ファッショナブルに演出することで、ハチ公以外のどうということのなかった空間が「待ち合わせ場所」として生産される。そして、そうした「空間の生産」のなかでゾウ(オ)ショクし、拡散していく待ち合わせ場所が「新しい/古い」や「オシャレ/ダサい」といった流行のコードによって意味付けされ、選択されることで、D 待ち合わせは、不確定性と戯れるコミュニケーションとして消費されていったのである。
(注1)トマス・ホッブズ ―― イギリスの哲学者(1588―1679)。
(注2)タルコット・パーソンズ ―― アメリカの社会学者(1902―1979)。
(注3)ニクラス・ルーマン ―― ドイツの社会学者(1927―1998)。
(注4)両すくみ ―― 三者が牽(けん)制し合って自由に行動できない「三すくみ」からの造語。
(注5)東京メトロ ―― 東京地下鉄株式会社のこと。
(注6)メディア・コミュニケーションの現在を考えたい ―― この文章はこの考察がなされる前の部分にあたる。
(注7)上野英三郎 ―― 日本の農学者(1872―1925)。
(注8)東京朝日新聞――日刊新聞である朝日新聞の東日本地区での旧題。大正期には東京五大新聞の一角として数えられた。
(注9)新宿の紀伊国屋前 ―― 新宿駅東口近くにある紀伊国屋書店の新宿本店前。
(注10)スタジオアルタ ―― 新宿駅東口前のビル新宿アルタの七階にあったスタジオ。ビル壁面には超大型モニターが設置されている。
(注11)道玄坂の『109』や公園通り ―― 道玄坂は渋谷駅の西側にある坂道で、その登り口にテナントビル『109』がある。公園通りは渋谷駅の北側にある坂道で、店舗などが立ち並ぶ繁華街になっている。
(注12)交通導線 ―― ここでは人の流れを導く経路のこと。
(注13)モヤイ像 ―― 渋谷駅にある、イースター島のモアイ像を模した石像のこと。
本文の表現上および構成上の特徴として適当でないものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和7年度(2025年度)追・再試験 問10(第1問(評論) 問10) (訂正依頼・報告はこちら)
あの人と会えるだろうか......。きっと会える。いや、会えないかもしれない......待ち合わせには多かれ少なかれこうした期待と不安が交錯している。相手が絶対に来ないと知りつつ待ち続ける場合を除けば、人が待ち合わせ場所に行くのは、相手が来ると期待しているからであり、相手が待ち合わせ場所に来るのは、自分もそこに行くと相手が期待しているからである。ということは、相手が来るという自分の期待は、自分も行くという相手の期待に(ア)イキョしており、逆もまた同様となる。つまり、待ち合わせの成立は「期待の期待」というかたちで相乗化され、理論上、無限後退していくような不安定な事態なのだ。A はたして「会うことはいかにして可能か」。
この待ち合わせにまつわる期待と不安は、「社会秩序はいかにして可能か」という定式で知られ、社会(学)の起源に位置する秩序問題に触れている。秩序問題は、トマス・ホッブズ(注1)――「万人の万人に対する闘争」という自然状態と、その解決としての社会契約――を遡及的に経由してタルコット・パーソンズ(注2)により定式化された「二重の不確定性」(double contingency)以来、ニクラス・ルーマン(注3)らによって複数のレベルで盛んに議論されてきた。ここでそれら全てに触れることはできないが、さしあたり二重の不確定性とは、ひとことでいえば、他者の行為の成否が自分の行為次第であり、自己の行為の成否が他者の行為次第であるような両すくみ(注4)のコミュニケーションのことである。待ち合わせがつきつける不安は、このコミュニケーションの本源的な不確定性、すなわち自明のように感じられている「社会」の底が抜けているかもしれないと告げる囁(ささや)きのようなものだ。
しかし、私たちは日々、人と会っている。では、私たちは、どのようにしてそうした囁きを振り払って、待ち合わせへと出かけているのだろうか。
普段、何気なく行(おこ)なっている待ち合わせだが、二つ以上の身体が時と場をあわせるにはそれなりに慎重なコミュニケーションを必要としている。とりわけ現在では、モバイルテクノロジーが浸透するにしたがって、待ち合わせというコミュニケーションが変容し始めている。たとえば、2007年、地下鉄開通80周年のポスターが東京メトロ(注5)の各駅に貼り出された。そのなかには渋谷ハチ公像を撮った(少なくとも1989年以前の)古い写真が使われているものがある。現在とは異なり北を向いたハチ公像の後姿が映し出され、「ケータイがなかったあの頃は、今より、人気者でした」というキャプションがついている。これはどういう意味だろうか。
本稿では、すでに多くが語られているつながり志向のケータイ研究とは異なり、現代の待ち合わせにおいて現れる時間―空間形態の変容を考えることで、社会の起源と交差するメディア・コミュニケーション(注6)の現在を考えたい。
あらかじめ「待ち合わせ」というコミュニケーションを限定しておく。待ち合わせとは、別の場所にいる複数の身体が、それぞれの身体が存在していた場所以外の場所に移動し、場を共有することとする。したがって、待ち合わせは、ある身体が別の身体が所在する空間(住居、職場等)に一方向的に移動する「訪問」とは区別される。つまり、待ち合わせとは、後続するコミュニケーションを導くための「中間」にあり(待ち合わせたらそれでサヨナラというのは特異な状況だろう)、待ち合わせ場所とは、別の場所に存在する複数の身体の「中間地点」ということができる。
さて、B 待ち合わせという中間的なコミュニケーションは、すべての社会において同じように重要なわけではない。たとえば、限定された活動パターンと閉じた活動範囲で成立する共同体では、集団のメンバーの各身体の所在地や活動の時間的パターンを比較的容易に把握・予期できる。したがって、共同体における待ち合わせの必要性はあまり高くないだろう。
一方、相互の活動内容や活動範囲を把握していない共同体間のコミュニケーションにおいては、時間と空間をあわせる待ち合わせが必要になる。諸身体の活動範囲や活動パターンが分化すれば、相互の所在地や活動の時間的パターンの把握・予期が難しい。そのため、個別の活動をする複数の身体が共通の指標をもとに予(あらかじ)め時間―空間を合わせなければ、出会いは(イ)グウゼンに委ねられるほかない。つまり、個別の活動に従事する複数の身体が共通参照できる数量として均質化した時間と、離れた場所に存在する個別の身体が共有知識として了解した中間地点――すなわち、クロックタイムとランドマークを用いた待ち合わせが必要となる。それと表裏の関係にあるのが、遅れを逸脱としてまなざす規範と、それに伴って現れる遅れに対するストレス、すなわち「遅刻」という観念の成立である。したがって、待ち合わせは、各身体の活動領域が個別化するほど拡大し、機能分化した近代の都市や地域において、より自立したコミュニケーション形式として要請される。
では、近代の待ち合わせはどのようなコミュニケーションだったのか。日本で最も知られた待ち合わせ場所であるハチ公像を例に考えてみよう。
ハチとは東京帝国大学教授上野英三郎(注7)が飼っていた秋田犬のオスである。ハチは、外出する上野を渋谷駅まで見送り、大正14(1925)年5月、上野が講義中に亡くなった後も、渋谷駅に立ち寄り続けた。上野の帰りを待ち続けるハチの姿は「忠犬」と讃(たた)えられる。このハチ公の物語は、昭和7(1932)年10月4日の東京朝日新聞(注8)に「いとしや老犬物語、今は世になき主人の帰りを待ちかねる七年間」という記事が投稿されたことをきっかけにして広がったもので、昭和9(1934)年4月には渋谷駅前にハチの銅像が建立された。さらにハチが死亡した昭和11(1936)年以降、毎年、慰霊祭がハチ公像前で行なわれ、ハチ公像は儀礼を通して象徴化されることになる。
ただし、「忠犬=ハチ公」の神話には異説も存在している。死亡後のハチの胃から焼き鳥串が発見されたことをもって、ハチは駅前で焼き鳥をもらうために渋谷駅に通っていたとする説である。問題は、「忠犬=ハチ公」説と「動物=ハチ公」説の正誤ではなく、なぜ「忠犬=ハチ公」神話がもっともらしいものとして普及したのかだろう。
たとえば、昭和30(1955)年の読売新聞の記事「ハチ公に変らぬ愛と真心」では、「ハチ公のまわりにはハチ公にかわって昼も夜も常に百人近いシン(ウ)ケンなヒトミが改札口のほうをみつめている。「待ち人」の来るや来ずや......」(読売新聞1955年5月26日)と書かれ、待ち合わせをする人びとがハチ公に重ねあわされている。
このハチ公という象徴に仮託されている待ち合わせの意味は、たとえば以下のようなものである。「盛り場のなかの小さな広場/せまい空の下のベンチ/ひと待ち顔は美しくそして悲しいもの/たとえばそれがささやかな約束/あどけないデイト/買い物のおともであっても.../「待つ」ことで人生を知りはじめ/「待つ」ことで老いていくからです」(朝日新聞1960年9月19日夕刊、投書「待ち合わせ」)。この投書の待ち合わせは切なく、美しいものとして意味付けられており、「忠犬=ハチ公」の物語と通底している。
これらの言説は、待ち合わせを「待つこと」として捉えている。待ち人が来るかこないかはわからないし、それは待ち続けないとわからない。待ち合わせとは、そうした長い不安と忍耐の時間的経験であり、ハチ公像とは「コミュニケーションの不確定性に耐える受動性」の空間的象徴なのである。ハチ公神話を―――少なくとも戦後のある時期まで―――もっともらしく思わせていたもののひとつは、待ち合わせの不確定性に耐える「待つこと」のリアリティだったのである。
C しかし、戦後になるとハチ公神話にも変化がみられる。
たとえば、昭和43(1968)年の「忘れられる美談」という記事では、「帰らぬ主人をまって十年間、じっとすわりつづけた「忠義の物語」を知る人の数も減ったという彫像維持会の幹事さんの言葉をまつまでもない。(中略)『キミ、あそこでデートの待ち合わせしたことある?』『ない。あそこきらいなの。なぜって?イヌは、3日飼えば3年恩を忘れないっていうでしょう。わたし、あれがイヤなの。なにが忠犬よ。なれていただけじゃないの。つまり、不潔ってこと』(読売新聞1968年3月24日)。「待つこと」は美しさではなく、執着とされ、反転する。ハチ公が焼き鳥をもらうために渋谷駅に通っていたという「動物=ハチ公」という対抗神話は、「なれていただけ」というこの感覚の延長線上にある。
さらに1980年代になると、「渋谷ならハチ公前、新宿の紀伊国屋(きのくにや)前(注9)、あまりにも有名な待ち合わせ場所だが、近ごろそうした人待ち場所も変りつつあるようだ。わかりやすい所というだけでなく、ファッション性や遊び心も場所選びの要素になっている。(中略)スタジオアルタ(注10)という空間そのものがファッション〔とされ、〕ファッション感覚に敏感な若者たちは、道玄坂の『109』や公園通り(注11)で待ち合わせる」(読売新聞1986年6月10日、〔〕内は引用者)。
待ち合わせは、ハチ公が担った「悲しみや美しさ」の重い物語から「ファッション性や遊び心」といった軽やかな記号的イメージの戯れへと転換し、待ち合わせ場所は、そうした記号的イメージの演出される舞台として量産される。すでに新宿では、「シンボルがないために、待ち合わせ場所を演出」(朝日新聞1978年9月20日)し、交通導線(注12)を作り出す商業地区の活性化が行われている。ハチ公像に対抗して渋谷駅南口にモヤイ像(注13)が設置されたのも1980年である。
複数の身体が(エ)タイリュウできる空間を構築し、ファッショナブルに演出することで、ハチ公以外のどうということのなかった空間が「待ち合わせ場所」として生産される。そして、そうした「空間の生産」のなかでゾウ(オ)ショクし、拡散していく待ち合わせ場所が「新しい/古い」や「オシャレ/ダサい」といった流行のコードによって意味付けされ、選択されることで、D 待ち合わせは、不確定性と戯れるコミュニケーションとして消費されていったのである。
(注1)トマス・ホッブズ ―― イギリスの哲学者(1588―1679)。
(注2)タルコット・パーソンズ ―― アメリカの社会学者(1902―1979)。
(注3)ニクラス・ルーマン ―― ドイツの社会学者(1927―1998)。
(注4)両すくみ ―― 三者が牽(けん)制し合って自由に行動できない「三すくみ」からの造語。
(注5)東京メトロ ―― 東京地下鉄株式会社のこと。
(注6)メディア・コミュニケーションの現在を考えたい ―― この文章はこの考察がなされる前の部分にあたる。
(注7)上野英三郎 ―― 日本の農学者(1872―1925)。
(注8)東京朝日新聞――日刊新聞である朝日新聞の東日本地区での旧題。大正期には東京五大新聞の一角として数えられた。
(注9)新宿の紀伊国屋前 ―― 新宿駅東口近くにある紀伊国屋書店の新宿本店前。
(注10)スタジオアルタ ―― 新宿駅東口前のビル新宿アルタの七階にあったスタジオ。ビル壁面には超大型モニターが設置されている。
(注11)道玄坂の『109』や公園通り ―― 道玄坂は渋谷駅の西側にある坂道で、その登り口にテナントビル『109』がある。公園通りは渋谷駅の北側にある坂道で、店舗などが立ち並ぶ繁華街になっている。
(注12)交通導線 ―― ここでは人の流れを導く経路のこと。
(注13)モヤイ像 ―― 渋谷駅にある、イースター島のモアイ像を模した石像のこと。
本文の表現上および構成上の特徴として適当でないものを、次のうちから一つ選べ。
- 新聞に掲載された見出しや記事など当時の資料を引用しながら、ハチ公や待ち合わせに関するその時代の人びとの考えや感性を参照できるようにしている。
- 議論の対象である待ち合わせについて、本文の前半部分においてあらかじめその意味を限定し、議論の焦点を整理したうえで考察を進めている。
- 古くから待ち合わせ場所として有名なハチ公像を例にとることで、待ち合わせをめぐる人びとの捉え方の歴史的変遷を把握できるようにしている。
- 待ち合わせに関する複数の研究者の見解を提示したり、複数の具体例を考察したりすることで、提起した問いに対する多様な結論を示している。
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (1件)
01
「適当でないもの」を選ぶ問題です。
「適当である」選択肢に関しては容易に判断可能であるため、本問では「適当でないもの」に関してのみ解説します。
複数の研究者の見解を提示しているのは「待ち合わせ」そのものよりも「社会(学)の起源に位置する秩序問題」について論じている部分であるため、この点が誤りです。
また、本文の要所要所でいくつかの問いが提起されていますが、それぞれに対する結論は一つであるため、「提起した問いに対する多様な結論を示している」という点についても誤りと言えます。
本文に登場する問い
①では、私たちは、どのようにしてそうした囁きを振り払って、待ち合わせへと出かけているのだろうか。
→クロックタイムとランドマークを設定した待ち合わせを行う。
②では、近代の待ち合わせはどのようなコミュニケーションだったのか
→ハチ公が担った「悲しみや美しさ」の重い物語から「ファッション性や遊び心」といった軽やかな記号的イメージの戯れへと転換していった。
「適当でないもの」を選ぶ問題なので、「適当なもの」を選ぶというケアレスミスが無いように注意しましょう。
解答自体は消去法により比較的容易に絞り込めるでしょう。
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