大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問24 (第3問(古文) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(国語)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問24(第3問(古文) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、『蜻蛉(かげろう)日記』の一節である。療養先の山寺で母が死去し、作者はひどく嘆き悲しんだ。以下は、その後の場面から始まる。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に[1]〜[6]の番号を付してある。

[ 1 ]かくて、とかうものすることなど(注1)、いたつく(注2)人多くて、みなしはてつ。いまはいとあはれなる山寺に集ひて、つれづれとあり。夜、目もあはぬままに、嘆き明かしつつ、山づらを見れば、霧はげに麓(ふもと)をこめたり。京もげに誰(た)がもとへかは出(い)でむとすらむ、いで、なほここながら死なむと思へど、生くる人(注3)ぞいとつらきや。
[ 2 ]かくて十余日になりぬ。僧ども念仏のひまに物語するを聞けば、「この亡くなりぬる人の、あらはに見ゆるところなむある。さて、近く寄れば、消え失せぬなり。遠うては見ゆなり」「いづれの国とかや」「みみらくの島となむいふなる」など、口々語るを聞くに、いと知らまほしう、悲しうおぼえて、かくぞいはるる。
ありとだによそにても見む名にし負はばわれに聞かせよみみらくの島
といふを、兄人(せうと)なる人聞きて、それも泣く泣く、
いづことか音にのみ聞くみみらくの島がくれにし人をたづねむ
[ 3 ]かくてあるほどに、立ちながらものして(注4)、日々にとふめれど、ただいまは何心もなきに、穢(けが)らひの心もとなきこと、おぼつかなきことなど、むつかしきまで書きつづけてあれど、ものおぼえざりしほどのことなればにや、おぼえず。
[ 4 ]里にも急がねど、心にしまかせねば、今日、みな出で立つ日になりぬ。来し時は、膝に臥(ふ)し給(たま)へりし人を、いかでか安らかにと思ひつつ、わが身は汗になりつつ、さりともと思ふ心そひて、頼もしかりき。此度(こたみ)は、いと安らかにて、あさましきまでくつろかに乗られたるにも、道すがらいみじう悲し。
[ 5 ]降りて見るにも、さらにものおぼえず悲し。もろともに出で居つつ、つくろはせし草なども、わづらひしよりはじめて、うち捨てたりければ、生ひこりていろいろに咲き乱れたり。わざとのこと(注5)なども、みなおのがとりどりすれば、我はただつれづれとながめをのみして、「ひとむらすすき虫の音(ね)の」とのみぞいはるる。
手ふれねど花はさかりになりにけりとどめおきける露にかかりて
などぞおぼゆる。
[ 6 ]これかれぞ殿上などもせねば、穢らひもひとつにしなしためれば(注6)、おのがじしひき局(つぼね)(注7)などしつつあめる中に、我のみぞ紛るることなくて、夜は念仏の声聞きはじむるより、やがて泣きのみ明かさる。四十九日(しじふくにち)のこと(注8)、誰(たれ)も欠くことなくて、家にてぞする。わが知る人(注9)、おほかたのことを行ひためれば、人々多くさしあひたり。わが心ざしをば、仏をぞ描(か)かせたる。その日過ぎぬれば、みなおのがじし行きあかれぬ。ましてわが心地は心細うなりまさりて、いとどやるかたなく、人(注10)はかう心細げなるを思ひて、ありしよりはしげう通ふ。

(注1)とかうものすることなど ―― 葬式やその後始末など。
(注2)いたつく ―― 世話をする。
(注3)生くる人 ―― 作者を死なせないようにしている人。
(注4)立ちながらものして ―― 作者の夫である藤原兼家が、立ったまま面会しようとしたということ。立ったままであれば、死の穢(けが)れに触れないと考えられていた。
(注5)わざとのこと ―― 特別に行う供養。
(注6)これかれぞ殿上などもせねば、穢らひもひとつにしなしためれば ―― 殿上人もいないので、皆が同じ場所に籠もって喪に服したことを指す。殿上で働く人には、服喪に関わる謹慎期間をめぐってさまざまな制約があった。
(注7)ひき局 ―― 屏風(びょうぶ)などで仕切りをして一時的に作る個人スペース。
(注8)四十九日のこと ―― 人の死後四十九日目に行う、死者を供養するための大きな法事。
(注9)わが知る人 ―― 作者の夫、兼家。
(注10)人 ―― 兼家。

4段落に記された作者の心中についての説明として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 自宅には帰りたくないと思っていたので、人々に連れられて山寺を去ることを不本意に思っていた。
  • 山寺に向かったときの車の中では、母の不安をなんとか和らげようと、母の気を紛らすことに必死だった。
  • 山寺へ向かう途中、母の死を予感して冷や汗をかいていたが、それを母に悟られないように注意していた。
  • 山寺に到着するときまでは、祈禱(きとう)を受ければ母は必ず回復するに違いないと、僧たちを心強く思っていた。
  • 帰りの車の中では、介抱する苦労がなくなったために、かえって母がいないことを強く感じてしまった。

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この過去問の解説 (3件)

01

4段落の内容に注目します。

里に帰るとき、

山寺に来た時のことを思い出しているという内容です。

選択肢も合わせて読むと、

亡くなった母が「膝に臥し給へりし人」であることが分かります。

以上のことを踏まえて各選択肢を検討していきます。

選択肢1. 自宅には帰りたくないと思っていたので、人々に連れられて山寺を去ることを不本意に思っていた。

「自宅には帰りたくないと思っていた」という部分が不適です。

本文には「里にも急がねど」とあり、

「里に急ぐわけではないが」という内容です。

急ぐわけではないと思っているだけで、

帰りたくないと思っているわけではありません。

選択肢2. 山寺に向かったときの車の中では、母の不安をなんとか和らげようと、母の気を紛らすことに必死だった。

「母の不安をなんとか和らげよう」という部分が不適です。

本文では母は「膝に臥し給へりし人」とあり、

身体の具合が悪かったと考えられます。

選択肢3. 山寺へ向かう途中、母の死を予感して冷や汗をかいていたが、それを母に悟られないように注意していた。

「母の死を予感して冷や汗をかいていた」という部分が不適です。

本文には「さりともと思ふ心そひて、頼もしかりき」とあり、

その状況でも希望を持っていたことが読み取れます。

選択肢4. 山寺に到着するときまでは、祈禱(きとう)を受ければ母は必ず回復するに違いないと、僧たちを心強く思っていた。

「僧たちを心強く思っていた」という部分が不適です。

4段落では僧たちについて言及されていません。

選択肢5. 帰りの車の中では、介抱する苦労がなくなったために、かえって母がいないことを強く感じてしまった。

適切です。

「帰りの車の中では、介抱する苦労がなくなった」という部分は、

来るときのことを思い出して「此度は、いと安らかにて」とあることから適切です。

 

「かえって母がいないことを強く感じてしまった」は、

本文中の「道すがらいみじう悲し」が、

母がいないことを強く感じたためであることから適切です。

まとめ

過去を思い出していることなど、

本文の段落の内容を選択肢から推測することができます。

作者の一連の心情に関する記述に注目しましょう。

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02


4段落の内容を踏まえて、心情を正確に読み取りましょう。

これまでの段落の内容を踏まえてことばを補いながら、4段落の内容を考えると以下のようになります。

 

「来た時には膝に臥せっていた人(=母)が何とか無事であるようにと思いながら自分は汗をかき、そうはいっても母の調子が良くなるかもしれないと思っていたので気持ちを保てていた。
今回(帰り)は(母がおらず)とても快適で、意外なほどくつろいで乗れている、道中とても悲しい」

 

それでは適切な選択肢を検討しましょう。
 

選択肢1. 自宅には帰りたくないと思っていたので、人々に連れられて山寺を去ることを不本意に思っていた。

×自宅には帰りたくないと思っていた
→「帰りたくない」という内容は書かれていません。
この選択肢は誤りです。

 

選択肢2. 山寺に向かったときの車の中では、母の不安をなんとか和らげようと、母の気を紛らすことに必死だった。

×母の不安をなんとか和らげようと、母の気を紛らすことに必死だった
→書かれているのは「身体の調子がよくなるようにしていた」という内容で、このような内容は書かれていません。


この選択肢は誤りです。
 

選択肢3. 山寺へ向かう途中、母の死を予感して冷や汗をかいていたが、それを母に悟られないように注意していた。

×母の死を予感して冷や汗をかいていた
→汗についての内容を確認すると、「母の死を予感して冷や汗を」かいていたのではなく、「自分の体が汗だくになるほど」思っていたことが分かります。


内容が一致しないため、この選択肢は誤りです。
 

選択肢4. 山寺に到着するときまでは、祈禱(きとう)を受ければ母は必ず回復するに違いないと、僧たちを心強く思っていた。

×僧たちを心強く思っていた
→本文の内容と一致しないため、この選択肢は誤りです。

選択肢5. 帰りの車の中では、介抱する苦労がなくなったために、かえって母がいないことを強く感じてしまった。

〇介抱する苦労がなくなったために、かえって母がいないことを強く感じてしまった
本文の内容と合致します。この選択肢が正解です。

 

「あさましきまで」=おどろくほど
という意味です。
 

まとめ

来た時と帰るときで状況が違い、それによって母の死を強く実感している語り手の心情の変化を読み取りましょう。
 

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03

「今日、みな出で立つ日になりぬ。来し時は」とあります。

ここから、里へ帰る日の描写であり、この後で来た時のことを振り返っているのだとわかります。

来し時は、膝に臥し給へりし人を、いかでか安らかにと思ひつつ、わが身は汗になりつつ、さりともと思ふ心そひて、頼もしかりき。」ここまでが山寺に来た時の描写です。

此度は、いと安らかにて、あさましきまでくつろかに乗られたるにも、道すがらいみじう悲し。」ここからが今回の帰り道の様子です。

選択肢1. 自宅には帰りたくないと思っていたので、人々に連れられて山寺を去ることを不本意に思っていた。

「急がねど」とあることから、帰りを急いでいないことはわかりますが、「帰りたくないと思っていた」とは書かれておらず、「不本意」とはいえないため、誤りです。

選択肢2. 山寺に向かったときの車の中では、母の不安をなんとか和らげようと、母の気を紛らすことに必死だった。

「いかでか安らかにと思ひつつ」とありますが、死期が迫って膝の上で横になっていたことから、「不安」を「気を紛らすこと」で「和らげよう」としていたというよりも、体調が楽になるようにしていたと考えられるため、誤りです。

選択肢3. 山寺へ向かう途中、母の死を予感して冷や汗をかいていたが、それを母に悟られないように注意していた。

「いかでか安らかにと思ひつつ、わが身は汗になりつつ」とあるので、どうすれば楽になるだろうかと自分の体を汗だくにして苦心していたとわかります。

そのため、「母の死を予感して冷や汗をかいていた」は誤りです。

選択肢4. 山寺に到着するときまでは、祈禱(きとう)を受ければ母は必ず回復するに違いないと、僧たちを心強く思っていた。

僧たちを心強く思っていた」という記述はないため、誤りです。

選択肢5. 帰りの車の中では、介抱する苦労がなくなったために、かえって母がいないことを強く感じてしまった。

「あさましきまでくつろかに乗られたるにも、道すがらいみじう悲し」という山寺からの帰り道の様子に合致します。

「あさまし」は、驚きあきれる様子を表します。

「いみじ」は、とてもという意味です。

「あきれるほどにくつろいで乗られたことにも、道中とても悲しい気持ちだ」となります。

まとめ

4段落では、山里に来た過去の場面と山里から帰る現在の場面を対比して描いています。

来る時の車の中では大変な思いをしていたはずなのに、帰りの車で楽になると母の死を実感してしまい、悲しみが募るという内容です。

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