大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問27 (第3問(古文) 問7)
問題文
次の文章は源俊頼(としより)が著した『俊頼髄脳(としよりずいのう)』の一節で、殿上人たちが、皇后寛子のために、寛子の父・藤原頼通の邸内で船遊びをしようとするところから始まる。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に番号を付してある。
[1] 宮司(みやづかさ)(注1)ども集まりて、船をばいかがすべき、紅葉(もみぢ)を多くとりにやりて、船の屋形にして、船(ふな)さし(注2)は侍(さぶらひ)のa 若からむをさしたりければ、俄(にはか)に狩袴(かりばかま)染めなどして(注3)きらめきけり。その日になりて、人々、皆参り集まりぬ。「御船はまうけたりや」と尋ねられければ、「皆まうけて侍り」と申して、その期(ご)になりて、島がくれ(注4)より漕(こ)ぎ出(い)でたるを見れば、なにとなく、ひた照(て)りなる船を二つ、装束(さうぞ)き出でたるけしき、いとをかしかりけり。
[2] 人々、皆乗り分かれて、管絃(くわんげん)の具ども、御前より申し出だして(注5)、そのことする人々、前におきて、ア やうやうさしまはす程に、南の普賢堂に、宇治の僧正(注6)、僧都(そうづ)の君と申しける時、御修法(みずほふ)しておはしけるに、かかることありとて、もろもろの僧たち、大人、若き、集まりて、庭にゐなみたり。童部(わらはべ)、供(とも)法師にいたるまで、繡花(しうくわ)(注7)装束きて、さし退(の)きつつ群がれゐたり。
[3] その中に、良暹(りやうぜん)といへる歌よみのありけるを、殿上人、見知りてあれば、「良暹がさぶらふか」と問ひければ、良暹、目もなく笑みて(注8)、平(ひら)がりてさぶらひければ、かたはらに若き僧の侍りけるが知り、「b さに侍り」と申しければ、「あれ、船に召して乗せて連歌(れんが)(注9)などせさせむは、いかがあるべき」と、いま一つの船の人々に申しあはせければ、「いかが。あるべからず。後の人や、さらでもありぬべかりけることかなとや申さむ」などありければ、さもあることとて、乗せずして、たださながら連歌などはせさせてむなど定めて、近う漕ぎよせて、「良暹、さりぬべからむ連歌などして参らせよ」と、人々申されければ、さる者にて、もしさやうのこともやあるとてc まうけたりけるにや、聞きけるままに程もなくかたはらの僧にものを言ひければ、その僧、イ ことごとしく歩みよりて、
「もみぢ葉のこがれて見ゆる御船(みふね)かな
と申し侍るなり」と申しかけて帰りぬ。
[4] 人々、これを聞きて、船々に聞かせて、付けむとしけるが遅かりければ、船を漕ぐともなくて、やうやう築島(つくじま)をめぐりて、一めぐりの程に、付けて言はむとしけるに、え付けざりければ、むなしく過ぎにけり。「いかに」「遅し」と、たがひに船々あらそひて、二(ふた)めぐりになりにけり。なほ、え付けざりければ、船を漕がで、島のかくれにて、「ウ かへすがへすもわろきことなり、これをd 今まで付けぬは。日はみな暮れぬ。いかがせむずる」と、今は、付けむの心はなくて、付けでやみなむことを嘆く程に、何事もe 覚えずなりぬ。
[5] ことごとしく管絃の物の具申しおろして船に乗せたりけるも、いささか、かきならす人もなくてやみにけり。かく言ひ沙汰する程に、普賢堂の前にそこばく多かりつる人、皆立ちにけり。人々、船よりおりて、御前にて遊ばむなど思ひけれど、このことにたがひて、皆逃げておのおの失(う)せにけり。宮司、まうけしたりけれど、いたづらにてやみにけり。
(注1)宮司 ――― 皇后に仕える役人。
(注2)船さし ――― 船を操作する人。
(注3)狩袴染めなどして ――― 「狩袴」は狩衣を着用する際の袴。これを、今回の催しにふさわしいように染めたということ。
(注4)島がくれ ――― 島陰。頼通邸の庭の池には島が築造されていた。そのため、島に隠れて邸(やしき)側からは見えにくいところがある。
(注5)御前より申し出だして ――― 皇后寛子からお借りして。
(注6)宇治の僧正 ――― 頼通の子、覚円。寛子の兄。寛子のために邸内の普賢堂で祈禱(きとう)をしていた。
(注7)繡花 ――― 花模様の刺繍(ししゅう)。
(注8)目もなく笑みて ――― 目を細めて笑って。
(注9)連歌 ――― 五・七・五の句と七・七の句を交互に詠んでいく形態の詩歌。前の句に続けて詠むことを、句を付けるという。
次に示すのは、授業で本文を読んだ後の、話し合いの様子である。これを読んで、後の問いに答えよ。
教師 本文の[3]〜[5]段落の内容をより深く理解するために、次の文章を読んでみましょう。これは『散木奇歌集(さんぼくきかしゅう)』の一節で、作者は本文と同じく源俊頼(としより)です。
人々あまた八幡(やはた)の御神楽(みかぐら)(注1)に参りたりけるに、こと果てて又の日、別当(べつたう)法印(注2)光清(くわうせい)が堂の池の釣殿(つりどの)に人々ゐなみて遊びけるに、「光清、連歌作ることなむ得たることとおぼゆる。ただいま連歌付けばや」など申しゐたりけるに、かたのごとくとて申したりける、
釣殿の下には魚(いを)やすまざらむ 俊重(とししげ)(注3)
光清しきりに案じけれども、え付けでやみにしことなど、帰りて語りしかば、試みにとて、
うつばり(注4)の影そこに見えつつ 俊頼
(注1)八幡の御神楽 ――― 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)において、神をまつるために歌舞を奏する催し。
(注2)別当法印 ――― 「別当」はここでは石清水八幡宮の長官。「法印」は最高の僧位。
(注3)俊重 ――― 源俊頼の子。
(注4)うつばり ――― 屋根の重みを支えるための梁(はり)。
教師 この『散木奇歌集』の文章は、人々が集まっている場で、連歌をしたいと光清が言い出すところから始まります。その後の展開を話し合ってみましょう。
生徒A 俊重が「釣殿の」の句を詠んだけれど、光清は結局それに続く句を付けることができなかったんだね。
生徒B そのことを聞いた父親の俊頼が俊重の句に「うつばりの」の句を付けてみせたんだ。
生徒C そうすると、俊頼の句はどういう意味になるのかな?
生徒A その場に合わせて詠まれた俊重の句に対して、俊頼が機転を利かせて返答をしたわけだよね。二つの句のつながりはどうなっているんだろう........。
教師 前に授業で取り上げた「掛詞(かけことば)」に注目してみると良いですよ。
生徒B 掛詞は一つの言葉に二つ以上の意味を持たせる技法だったよね。あ、そうか、この二つの句のつながりがわかった!( X )ということじゃないかな。
生徒C なるほど、句を付けるって簡単なことじゃないんだね。うまく付けられたら楽しそうだけど。
教師 そうですね。それでは、ここで本文の『俊頼髄脳』の[3]段落で良暹(りょうぜん)が詠んだ「もみぢ葉の」の句について考えてみましょう。
生徒A この句は( Y )。でも、この句はそれだけで完結しているわけじゃなくて、別の人がこれに続く七・七を付けることが求められていたんだ。
生徒B そうすると、[4]・[5]段落の状況もよくわかるよ。( Z )ということなんだね。
教師 良い学習ができましたね。『俊頼髄脳』のこの後の箇所では、こういうときは気負わずに句を付けるべきだ、と書かれています。ということで、次回の授業では、皆さんで連歌をしてみましょう。
空欄( Y )に入る発言として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問27(第3問(古文) 問7) (訂正依頼・報告はこちら)
次の文章は源俊頼(としより)が著した『俊頼髄脳(としよりずいのう)』の一節で、殿上人たちが、皇后寛子のために、寛子の父・藤原頼通の邸内で船遊びをしようとするところから始まる。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に番号を付してある。
[1] 宮司(みやづかさ)(注1)ども集まりて、船をばいかがすべき、紅葉(もみぢ)を多くとりにやりて、船の屋形にして、船(ふな)さし(注2)は侍(さぶらひ)のa 若からむをさしたりければ、俄(にはか)に狩袴(かりばかま)染めなどして(注3)きらめきけり。その日になりて、人々、皆参り集まりぬ。「御船はまうけたりや」と尋ねられければ、「皆まうけて侍り」と申して、その期(ご)になりて、島がくれ(注4)より漕(こ)ぎ出(い)でたるを見れば、なにとなく、ひた照(て)りなる船を二つ、装束(さうぞ)き出でたるけしき、いとをかしかりけり。
[2] 人々、皆乗り分かれて、管絃(くわんげん)の具ども、御前より申し出だして(注5)、そのことする人々、前におきて、ア やうやうさしまはす程に、南の普賢堂に、宇治の僧正(注6)、僧都(そうづ)の君と申しける時、御修法(みずほふ)しておはしけるに、かかることありとて、もろもろの僧たち、大人、若き、集まりて、庭にゐなみたり。童部(わらはべ)、供(とも)法師にいたるまで、繡花(しうくわ)(注7)装束きて、さし退(の)きつつ群がれゐたり。
[3] その中に、良暹(りやうぜん)といへる歌よみのありけるを、殿上人、見知りてあれば、「良暹がさぶらふか」と問ひければ、良暹、目もなく笑みて(注8)、平(ひら)がりてさぶらひければ、かたはらに若き僧の侍りけるが知り、「b さに侍り」と申しければ、「あれ、船に召して乗せて連歌(れんが)(注9)などせさせむは、いかがあるべき」と、いま一つの船の人々に申しあはせければ、「いかが。あるべからず。後の人や、さらでもありぬべかりけることかなとや申さむ」などありければ、さもあることとて、乗せずして、たださながら連歌などはせさせてむなど定めて、近う漕ぎよせて、「良暹、さりぬべからむ連歌などして参らせよ」と、人々申されければ、さる者にて、もしさやうのこともやあるとてc まうけたりけるにや、聞きけるままに程もなくかたはらの僧にものを言ひければ、その僧、イ ことごとしく歩みよりて、
「もみぢ葉のこがれて見ゆる御船(みふね)かな
と申し侍るなり」と申しかけて帰りぬ。
[4] 人々、これを聞きて、船々に聞かせて、付けむとしけるが遅かりければ、船を漕ぐともなくて、やうやう築島(つくじま)をめぐりて、一めぐりの程に、付けて言はむとしけるに、え付けざりければ、むなしく過ぎにけり。「いかに」「遅し」と、たがひに船々あらそひて、二(ふた)めぐりになりにけり。なほ、え付けざりければ、船を漕がで、島のかくれにて、「ウ かへすがへすもわろきことなり、これをd 今まで付けぬは。日はみな暮れぬ。いかがせむずる」と、今は、付けむの心はなくて、付けでやみなむことを嘆く程に、何事もe 覚えずなりぬ。
[5] ことごとしく管絃の物の具申しおろして船に乗せたりけるも、いささか、かきならす人もなくてやみにけり。かく言ひ沙汰する程に、普賢堂の前にそこばく多かりつる人、皆立ちにけり。人々、船よりおりて、御前にて遊ばむなど思ひけれど、このことにたがひて、皆逃げておのおの失(う)せにけり。宮司、まうけしたりけれど、いたづらにてやみにけり。
(注1)宮司 ――― 皇后に仕える役人。
(注2)船さし ――― 船を操作する人。
(注3)狩袴染めなどして ――― 「狩袴」は狩衣を着用する際の袴。これを、今回の催しにふさわしいように染めたということ。
(注4)島がくれ ――― 島陰。頼通邸の庭の池には島が築造されていた。そのため、島に隠れて邸(やしき)側からは見えにくいところがある。
(注5)御前より申し出だして ――― 皇后寛子からお借りして。
(注6)宇治の僧正 ――― 頼通の子、覚円。寛子の兄。寛子のために邸内の普賢堂で祈禱(きとう)をしていた。
(注7)繡花 ――― 花模様の刺繍(ししゅう)。
(注8)目もなく笑みて ――― 目を細めて笑って。
(注9)連歌 ――― 五・七・五の句と七・七の句を交互に詠んでいく形態の詩歌。前の句に続けて詠むことを、句を付けるという。
次に示すのは、授業で本文を読んだ後の、話し合いの様子である。これを読んで、後の問いに答えよ。
教師 本文の[3]〜[5]段落の内容をより深く理解するために、次の文章を読んでみましょう。これは『散木奇歌集(さんぼくきかしゅう)』の一節で、作者は本文と同じく源俊頼(としより)です。
人々あまた八幡(やはた)の御神楽(みかぐら)(注1)に参りたりけるに、こと果てて又の日、別当(べつたう)法印(注2)光清(くわうせい)が堂の池の釣殿(つりどの)に人々ゐなみて遊びけるに、「光清、連歌作ることなむ得たることとおぼゆる。ただいま連歌付けばや」など申しゐたりけるに、かたのごとくとて申したりける、
釣殿の下には魚(いを)やすまざらむ 俊重(とししげ)(注3)
光清しきりに案じけれども、え付けでやみにしことなど、帰りて語りしかば、試みにとて、
うつばり(注4)の影そこに見えつつ 俊頼
(注1)八幡の御神楽 ――― 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)において、神をまつるために歌舞を奏する催し。
(注2)別当法印 ――― 「別当」はここでは石清水八幡宮の長官。「法印」は最高の僧位。
(注3)俊重 ――― 源俊頼の子。
(注4)うつばり ――― 屋根の重みを支えるための梁(はり)。
教師 この『散木奇歌集』の文章は、人々が集まっている場で、連歌をしたいと光清が言い出すところから始まります。その後の展開を話し合ってみましょう。
生徒A 俊重が「釣殿の」の句を詠んだけれど、光清は結局それに続く句を付けることができなかったんだね。
生徒B そのことを聞いた父親の俊頼が俊重の句に「うつばりの」の句を付けてみせたんだ。
生徒C そうすると、俊頼の句はどういう意味になるのかな?
生徒A その場に合わせて詠まれた俊重の句に対して、俊頼が機転を利かせて返答をしたわけだよね。二つの句のつながりはどうなっているんだろう........。
教師 前に授業で取り上げた「掛詞(かけことば)」に注目してみると良いですよ。
生徒B 掛詞は一つの言葉に二つ以上の意味を持たせる技法だったよね。あ、そうか、この二つの句のつながりがわかった!( X )ということじゃないかな。
生徒C なるほど、句を付けるって簡単なことじゃないんだね。うまく付けられたら楽しそうだけど。
教師 そうですね。それでは、ここで本文の『俊頼髄脳』の[3]段落で良暹(りょうぜん)が詠んだ「もみぢ葉の」の句について考えてみましょう。
生徒A この句は( Y )。でも、この句はそれだけで完結しているわけじゃなくて、別の人がこれに続く七・七を付けることが求められていたんだ。
生徒B そうすると、[4]・[5]段落の状況もよくわかるよ。( Z )ということなんだね。
教師 良い学習ができましたね。『俊頼髄脳』のこの後の箇所では、こういうときは気負わずに句を付けるべきだ、と書かれています。ということで、次回の授業では、皆さんで連歌をしてみましょう。
空欄( Y )に入る発言として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- 船遊びの場にふさわしい句を求められて詠んだ句であり、「こがれて」には、葉が色づくという意味の「焦がれて」と船が漕がれるという意味の「漕がれて」が掛けられていて、紅葉に飾られた船が池を廻(めぐ)っていく様子を表している
- 寛子への恋心を伝えるために詠んだ句であり、「こがれて」には恋い焦がれるという意味が込められ、「御船」には出家した身でありながら、あてもなく海に漂う船のように恋の道に迷い込んでしまった良暹自身がたとえられている
- 頼通や寛子を賛美するために詠んだ句であり、「もみぢ葉」は寛子の美しさを、敬語の用いられた「御船」は栄華を極めた頼通たち藤原氏を表し、順風満帆に船が出発するように、一族の将来も明るく希望に満ちていると讃えている
- 祈禱を受けていた寛子のために詠んだ句であり、「もみぢ葉」「見ゆる」「御船」というマ行の音で始まる言葉を重ねることによって音の響きを柔らかなものに整え、寛子やこの催しの参加者の心を癒やしたいという思いを込めている
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この過去問の解説 (3件)
01
[3]段落の「もみぢ葉のこがれて見ゆる御船かな」という句が、①どういう状況で②誰に向けられた句かが理解できていれば得点できる問題です。
①どういう状況か
→殿上人たちは良暹を船に乗せようかと相談しましたが結局乗せず、岸辺にいる良暹に対して連歌の上の句を詠むよう求めました。それに対し、良暹はお供の僧侶を介して殿上人たちに句を伝えました。
②誰に向けられた句か
→①の状況から分かる通り、本文の句は良暹が殿上人に向けて詠んだものです。
これらの状況を踏まえながら選択肢を見ていきましょう。
掛詞に関して正しく解釈できているこの選択肢が正解です。
「もみぢ葉の~」の句は船に乗っている殿上人たちに対して向けられた句であり、寛子への恋心に関する記述は本文に全く出てきていないため、誤りです。
「もみぢ葉の~」の句は船に乗っている殿上人たちに対して向けられた句であり、頼通や寛子に向けられたものではないため、誤りです。
「もみぢ葉の~」の句は船に乗っている殿上人たちに対して向けられた句であり、寛子に向けられたものではないため、誤りです。
「もみぢ葉のこがれて見ゆる御船かな」という句は、良暹が船に乗っている殿上人たちに向けて詠んだ句です。
この点さえ正しく読み取れていれば、比較的容易に正解できる問題と思われます。
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02
この問題を解答するポイントは以下の3点です。
①この問いは何を読み取ればいいのか。
②「もみぢ葉の」の句について起こった出来事を本文から把握すること。
③最も適当なもの=「筆者の意図に沿っているもの」を選ぶこと。
和歌の解釈や状況との差違はありませんので、正解です。
良暹が寛子に恋をしている描写は全く出てこないので、「恋焦がれる」と訳するのは無理がありますので、不適当です。
「こがれる」の処理ができていません。
家主である頼通に対し、藤原氏の栄華を詠う可能性はありますが、その場合はそれに合った背景が本文中に描写されているものですが、見当たりませんので、不適当です。
「マ行の音で始まる言葉を重ねることで参加者の心を癒やしたいという」は和歌の説明として無理があります。また、和歌自体も訳がきちんとなされていないので、不適当です。
最初に提示したとおり、解答するポイントは以下の3点です。
①この問いは何を読み取ればいいのか。
→空欄(Y)は『俊頼髄脳』で良暹が詠んだ「もみぢ葉の」の句についての考察をしている様子ですので、【3】以降でこの句に関して何が起こったか本文を確認していく必要があります。
「こがれて」という言葉は掛詞となっており、何と何を掛けているのか見定めることが必要です。
②「もみぢ葉の」の句について起こった出来事を本文から把握すること。
→この設問では詳細な現代語訳までは求められていませんので、大まかに流れが把握できると良いと思います。
【4】この句を聞き、船上の人々は下の句を考えましたがなかなか思いつかず、築島を1周する間に考えて読もうとしました。
しかし付けることができず「どうしよう、遅いぞ」と言い争いながら2周しましたが、付けられなかったので、舟を漕がずに島に隠れました。
「良くない、まだ付けられていない、日が暮れるのにどうしよう」と付けようとする意志もなく、付けられずに終わったことを嘆き、何も考えられなくなってしまいました。
【4】仰々しく管弦の楽器を借りて船に乗せていたのに、少しも鳴らす人もいないうちに終わってしまいました。
そんなことをしているうちに普賢堂の前の人たちは帰ってしまい、下船した人達も皇后の前で管弦を披露しようと思っていたのをやめ、逃げ帰ってしまいました。
役人は管弦の宴を計画していたのにできないまま終わってしまいました。
③最も適当なもの=「筆者の意図に沿っているもの」を選ぶこと。
→選択肢を選定する際、勝手な行間の読み過ぎが邪魔になることが多々発生します。
・選択肢の文章と問題の本文が示す言葉にずれがないか。
・書かれていない背景を作問者が拡大解釈のもとで示していないか。
上記に注意し、選択肢のおかしいと思った箇所に印をつけると検討しやすく、見直しもやりやすくなります。
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03
空欄(Y)は「この句は」に続く文章です。
「この句」が「[3]段落で良暹の詠んだ句」であることを認識してから回答しましょう。
正解の選択肢は「船遊びの場にふさわしい句を求められて詠んだ句であり、「こがれて」には、葉が色づくという意味の「焦がれて」と船が漕がれるという意味の「漕がれて」が掛けられていて、紅葉に飾られた船が池を廻(めぐ)っていく様子を表している」となります。
各選択肢を見ていきましょう。
適当です。
殿上人たちの船遊びにちなんだ歌となっており、場面に合います。
「葉が色づく」を「焦がれて」と表現するのかと迷うことがあるかもしれませんが、火にあたりすぎて色が変わることを現代でも「焦げる」と言うことを思えば、「焦がれる」の意味を知らなくとも誤りとは言い難くなるでしょう。
不適当です。
まず思い出すべきは、これは良暹が船遊びをする殿上人たちに呼ばれて詠んだ歌だということです。
胸に秘める恋を詠うには、無関係な人々が多すぎます。
本当に恋い焦がれる気持ちがあるのなら、密かに手紙にしたためて贈るべきでしょう。
また「御船」を「良暹にたとえ」ているとの点も不適切です。
良暹は歌の名手といえども、殿上人や皇后の寛子から見れば遥かに格下の人間です。
「船」に尊敬語の「御」を付けた「御船」を自分のたとえとして使うのは、良暹自身が殿上人よりも偉いと主張しているようなものとなり、不適切です。
不適当です。
冒頭にある「皇后寛子のために、寛子の父の藤原頼通の邸内で」との本文の解説だけを読めば、藤原一族の栄華を称える歌と捉えても多少不思議ではありませんが、細かなところには誤りがあります。
「こがれて」が色づく意味の「焦がれて」と船を進める意味の「漕がれて」の掛詞であり、「もみぢ葉の」の「の」が主格を表す助詞であることを考えましょう。
もし「もみぢ葉」が皇后寛子を指しているならば、皇后寛子が色づいたのか船扱いされて漕がれたのか、いずれかの意味になり、どちらも失礼にあたります。
またもみぢ葉で彩られた船がハプニングなく出発したのは確かですが、あくまでも邸内の池を周回する水辺遊びであり、大海へ飛び出すような大それたものではありません。
状況としては「順風満帆に一族がこの先も繁栄していく」というプラスの意味よりは「何事もなく堂々巡りを続ける」とプラマイゼロに捉えるほうが自然です。
歌の意味としても状況としても、矛盾が多いため不適当となります。
不適当です。
冒頭に「寛子のために」とあるため、歌が寛子への捧げものとの考え方は、なくはありません。
しかしながら寛子へ宛てた歌であれば、寛子の貸した楽器の音色など、寛子にまつわるものを題材にすればよく、なぜあえて船を詠んだのかの理由がわからなくなります。
船を詠んだのは、あくまで船遊びをする殿上人たちへ、連歌のはじめの歌として詠んだからです。
また似た音や同じ音を重ねて調子を整えることはありますが、今回の歌に心を癒やす目的はありません。
繰り返しになりますが、この歌は船遊びをしている上に、さらに連歌遊びまでしようと言い出した殿上人たちの余興に捧げられたものです。
即興で詠めと言われたことに応えてうまく状況を詠んでいますが、それ以外の意味は含みません。
目的と対象が誤っているため、不適当となります。
歌の意味がわからなければ正答を選びづらいのは当然ですが、状況から選択肢を除外することもできます。
歌の解釈を問われた際には、
①誰から
②誰へ
③どんな目的で
詠まれたものかを把握してから意味を解釈するようにしましょう。
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