大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問26 (第3問(古文) 問6)

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問題

大学入学共通テスト(国語)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問26(第3問(古文) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は源俊頼(としより)が著した『俊頼髄脳(としよりずいのう)』の一節で、殿上人たちが、皇后寛子のために、寛子の父・藤原頼通の邸内で船遊びをしようとするところから始まる。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に番号を付してある。

[1] 宮司(みやづかさ)(注1)ども集まりて、船をばいかがすべき、紅葉(もみぢ)を多くとりにやりて、船の屋形にして、船(ふな)さし(注2)は侍(さぶらひ)のa 若からむをさしたりければ、俄(にはか)に狩袴(かりばかま)染めなどして(注3)きらめきけり。その日になりて、人々、皆参り集まりぬ。「御船はまうけたりや」と尋ねられければ、「皆まうけて侍り」と申して、その期(ご)になりて、島がくれ(注4)より漕(こ)ぎ出(い)でたるを見れば、なにとなく、ひた照(て)りなる船を二つ、装束(さうぞ)き出でたるけしき、いとをかしかりけり。
[2] 人々、皆乗り分かれて、管絃(くわんげん)の具ども、御前より申し出だして(注5)、そのことする人々、前におきて、やうやうさしまはす程に、南の普賢堂に、宇治の僧正(注6)、僧都(そうづ)の君と申しける時、御修法(みずほふ)しておはしけるに、かかることありとて、もろもろの僧たち、大人、若き、集まりて、庭にゐなみたり。童部(わらはべ)、供(とも)法師にいたるまで、繡花(しうくわ)(注7)装束きて、さし退(の)きつつ群がれゐたり。
[3] その中に、良暹(りやうぜん)といへる歌よみのありけるを、殿上人、見知りてあれば、「良暹がさぶらふか」と問ひければ、良暹、目もなく笑みて(注8)、平(ひら)がりてさぶらひければ、かたはらに若き僧の侍りけるが知り、「b さに侍り」と申しければ、「あれ、船に召して乗せて連歌(れんが)(注9)などせさせむは、いかがあるべき」と、いま一つの船の人々に申しあはせければ、「いかが。あるべからず。後の人や、さらでもありぬべかりけることかなとや申さむ」などありければ、さもあることとて、乗せずして、たださながら連歌などはせさせてむなど定めて、近う漕ぎよせて、「良暹、さりぬべからむ連歌などして参らせよ」と、人々申されければ、さる者にて、もしさやうのこともやあるとてc まうけたりけるにや、聞きけるままに程もなくかたはらの僧にものを言ひければ、その僧、ことごとしく歩みよりて
「もみぢ葉のこがれて見ゆる御船(みふね)かな
と申し侍るなり」と申しかけて帰りぬ。
[4] 人々、これを聞きて、船々に聞かせて、付けむとしけるが遅かりければ、船を漕ぐともなくて、やうやう築島(つくじま)をめぐりて、一めぐりの程に、付けて言はむとしけるに、え付けざりければ、むなしく過ぎにけり。「いかに」「遅し」と、たがひに船々あらそひて、二(ふた)めぐりになりにけり。なほ、え付けざりければ、船を漕がで、島のかくれにて、「かへすがへすもわろきことなり、これをd 今まで付けぬは。日はみな暮れぬ。いかがせむずる」と、今は、付けむの心はなくて、付けでやみなむことを嘆く程に、何事もe 覚えずなりぬ
[5] ことごとしく管絃の物の具申しおろして船に乗せたりけるも、いささか、かきならす人もなくてやみにけり。かく言ひ沙汰する程に、普賢堂の前にそこばく多かりつる人、皆立ちにけり。人々、船よりおりて、御前にて遊ばむなど思ひけれど、このことにたがひて、皆逃げておのおの失(う)せにけり。宮司、まうけしたりけれど、いたづらにてやみにけり。

(注1)宮司 ――― 皇后に仕える役人。
(注2)船さし ――― 船を操作する人。
(注3)狩袴染めなどして ――― 「狩袴」は狩衣を着用する際の袴。これを、今回の催しにふさわしいように染めたということ。
(注4)島がくれ ――― 島陰。頼通邸の庭の池には島が築造されていた。そのため、島に隠れて邸(やしき)側からは見えにくいところがある。
(注5)御前より申し出だして ――― 皇后寛子からお借りして。
(注6)宇治の僧正 ――― 頼通の子、覚円。寛子の兄。寛子のために邸内の普賢堂で祈禱(きとう)をしていた。
(注7)繡花 ――― 花模様の刺繍(ししゅう)。
(注8)目もなく笑みて ――― 目を細めて笑って。
(注9)連歌 ――― 五・七・五の句と七・七の句を交互に詠んでいく形態の詩歌。前の句に続けて詠むことを、句を付けるという。

次に示すのは、授業で本文を読んだ後の、話し合いの様子である。これを読んで、後の問いに答えよ。

教師  本文の[3]〜[5]段落の内容をより深く理解するために、次の文章を読んでみましょう。これは『散木奇歌集(さんぼくきかしゅう)』の一節で、作者は本文と同じく源俊頼(としより)です。

人々あまた八幡(やはた)の御神楽(みかぐら)(注1)に参りたりけるに、こと果てて又の日、別当(べつたう)法印(注2)光清(くわうせい)が堂の池の釣殿(つりどの)に人々ゐなみて遊びけるに、「光清、連歌作ることなむ得たることとおぼゆる。ただいま連歌付けばや」など申しゐたりけるに、かたのごとくとて申したりける、
釣殿の下には魚(いを)やすまざらむ  俊重(とししげ)(注3)
光清しきりに案じけれども、え付けでやみにしことなど、帰りて語りしかば、試みにとて、
うつばり(注4)の影そこに見えつつ  俊頼

(注1)八幡の御神楽 ――― 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)において、神をまつるために歌舞を奏する催し。
(注2)別当法印 ――― 「別当」はここでは石清水八幡宮の長官。「法印」は最高の僧位。
(注3)俊重 ――― 源俊頼の子。
(注4)うつばり ――― 屋根の重みを支えるための梁(はり)。

教師  この『散木奇歌集』の文章は、人々が集まっている場で、連歌をしたいと光清が言い出すところから始まります。その後の展開を話し合ってみましょう。
生徒A  俊重が「釣殿の」の句を詠んだけれど、光清は結局それに続く句を付けることができなかったんだね。
生徒B  そのことを聞いた父親の俊頼が俊重の句に「うつばりの」の句を付けてみせたんだ。
生徒C  そうすると、俊頼の句はどういう意味になるのかな?
生徒A  その場に合わせて詠まれた俊重の句に対して、俊頼が機転を利かせて返答をしたわけだよね。二つの句のつながりはどうなっているんだろう........。
教師  前に授業で取り上げた「掛詞(かけことば)」に注目してみると良いですよ。
生徒B  掛詞は一つの言葉に二つ以上の意味を持たせる技法だったよね。あ、そうか、この二つの句のつながりがわかった!( X )ということじゃないかな。
生徒C  なるほど、句を付けるって簡単なことじゃないんだね。うまく付けられたら楽しそうだけど。
教師  そうですね。それでは、ここで本文の『俊頼髄脳』の[3]段落で良暹(りょうぜん)が詠んだ「もみぢ葉の」の句について考えてみましょう。
生徒A  この句は( Y )。でも、この句はそれだけで完結しているわけじゃなくて、別の人がこれに続く七・七を付けることが求められていたんだ。
生徒B  そうすると、[4]・[5]段落の状況もよくわかるよ。( Z )ということなんだね。
教師  良い学習ができましたね。『俊頼髄脳』のこの後の箇所では、こういうときは気負わずに句を付けるべきだ、と書かれています。ということで、次回の授業では、皆さんで連歌をしてみましょう。

空欄( X )に入る発言として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。

  • 俊重が、皆が釣りすぎたせいで釣殿から魚の姿が消えてしまったと詠んだのに対して、俊頼は、「そこ」に「底」を掛けて、水底(みなそこ)にはそこかしこに釣針が落ちていて、昔の面影をとどめているよ、と付けている
  • 俊重が、釣殿の下にいる魚は心を休めることもできないだろうかと詠んだのに対して、俊頼は、「うつばり」に「鬱」を掛けて、梁の影にあたるような場所だと、魚の気持ちも沈んでしまうよね、と付けている
  • 俊重が、「すむ」に「澄む」を掛けて、水は澄みきっているのに魚の姿は見えないと詠んだのに対して、俊頼は、「そこ」に「あなた」という意味を掛けて、そこにあなたの姿が見えたからだよ、と付けている
  • 俊重が、釣殿の下には魚が住んでいないのだろうかと詠んだのに対して、俊頼は、釣殿の「うつばり」に「針」の意味を掛けて、池の水底には釣殿の梁ならぬ釣針が映って見えるからね、と付けている

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この過去問の解説 (3件)

01

掛詞の解釈というと文学的センスが問われる問題のように見えますが、実際には「釣殿の下には魚やすまざらむ」、「うつばりの影そこに見えつつ」の意味を正しく捉える文法知識が問われている問題です。

 

「釣殿の下には魚すまざら」(※係り結びの「や」&「む」疑問の意味になっていることに注目)

すまざらむ…すま/ざら/む

→釣殿の下には魚が住んでいないのだろうか

 

「うつばりの影そこに見えつつ」

「つつ」は和歌の末尾に用いられる「つつ止め」と言われる技法で、動作の継続を詠嘆的に表しています。

→梁(針)の影が其処(底)に見えていることよ

 

一見すると「床に梁の影が落ちていますねぇ」と表面的な状況を述べているだけのようでいて、掛詞に注目してみると「(魚の目には)水底に映る針が見えるからでしょう」と、上の句への応答になっているという仕掛けです。

 

上記の解釈を踏まえて正解を絞り込んでいきましょう。

選択肢1. 俊重が、皆が釣りすぎたせいで釣殿から魚の姿が消えてしまったと詠んだのに対して、俊頼は、「そこ」に「底」を掛けて、水底(みなそこ)にはそこかしこに釣針が落ちていて、昔の面影をとどめているよ、と付けている

釣殿の下には魚やすまざらむ」は「釣殿の下には魚が住んでいないのだろうか」という疑問を表したものであるため、「皆が釣りすぎたせいで釣殿から魚の姿が消えてしまった」という意味ではありません。

選択肢2. 俊重が、釣殿の下にいる魚は心を休めることもできないだろうかと詠んだのに対して、俊頼は、「うつばり」に「鬱」を掛けて、梁の影にあたるような場所だと、魚の気持ちも沈んでしまうよね、と付けている

釣殿の下には魚やすまざらむ」は「釣殿の下には魚が住んでいないのだろうか」という疑問を表したものであるため、「釣殿の下にいる魚は心を休めることもできないだろうか」という意味ではありません。

選択肢3. 俊重が、「すむ」に「澄む」を掛けて、水は澄みきっているのに魚の姿は見えないと詠んだのに対して、俊頼は、「そこ」に「あなた」という意味を掛けて、そこにあなたの姿が見えたからだよ、と付けている

釣殿の下には魚やすまざらむ」は「釣殿の下には魚が住んでいないのだろうか」という疑問を表したものです。

 

仮に「すむ」に「澄む」を掛けているのだとすれば、「澄んでいないのだろうか」という訳になるため、「水は澄みきっているのに…」という訳にはなりません。

 

また、俊頼が考えた句のキーワードである「うつばり」に関する言及が抜けていることからも、この解釈は誤りと判断できます。

選択肢4. 俊重が、釣殿の下には魚が住んでいないのだろうかと詠んだのに対して、俊頼は、釣殿の「うつばり」に「針」の意味を掛けて、池の水底には釣殿の梁ならぬ釣針が映って見えるからね、と付けている

釣殿の下には魚やすまざらむ」の訳、釣殿の「うつばり」に「針」の意味を掛けているという解釈ともに本文を正しく捉えているこの選択肢が正解です。

まとめ

「釣殿の下には魚やすまざらむ」、「うつばりの影そこに見えつつ」を文法的なアプローチで読解することがポイントになります。

 

鍵となる文法は「釣殿の下には魚やすまざらむ」の中にある「や」と「む」の係り結びの法則でした。

このようにごく基本的な知識で点数を取れる問題もありますので、基礎のインプットを疎かにしないようにしましょう。

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02

この問題を解答するポイントは以下の3点です。
①この問いは何を読み取ればいいのか。
②『散木奇歌集』の連歌に使用されている掛詞を見つけ、現代語訳を行うこと。
③最も適当なもの=「筆者の意図に沿っているもの」を選ぶこと。

選択肢1. 俊重が、皆が釣りすぎたせいで釣殿から魚の姿が消えてしまったと詠んだのに対して、俊頼は、「そこ」に「底」を掛けて、水底(みなそこ)にはそこかしこに釣針が落ちていて、昔の面影をとどめているよ、と付けている

「釣りすぎた」という文脈は上の句には書かれていないため、不適当です。
また、下の句にて「昔の面影をとどめているよ」と書かれていますが、この場合、影の用法に「姿」があり、上の句が過去を振り返るものでないのならば、こちらの姿を使用した方が通りやすいです。

選択肢2. 俊重が、釣殿の下にいる魚は心を休めることもできないだろうかと詠んだのに対して、俊頼は、「うつばり」に「鬱」を掛けて、梁の影にあたるような場所だと、魚の気持ちも沈んでしまうよね、と付けている

五・七・五・七・七の原則に従って正しく句を切り分けないと「休める」という間違った単語が出てきてしまいます。
間違った単語を使用しているので全体的に意味が変わってしまっており、不適当です。

選択肢3. 俊重が、「すむ」に「澄む」を掛けて、水は澄みきっているのに魚の姿は見えないと詠んだのに対して、俊頼は、「そこ」に「あなた」という意味を掛けて、そこにあなたの姿が見えたからだよ、と付けている

「澄む」をかけているのならば、この部分の訳は「澄んでいないだろう」となり、澄みきっているという表現と矛盾が生じるため、不適当です。

選択肢4. 俊重が、釣殿の下には魚が住んでいないのだろうかと詠んだのに対して、俊頼は、釣殿の「うつばり」に「針」の意味を掛けて、池の水底には釣殿の梁ならぬ釣針が映って見えるからね、と付けている

和歌の解釈と差違はありませんので、正解です。

まとめ

最初に提示したとおり、解答するポイントは以下の3点です。
①この問いは何を読み取ればいいのか。
→空欄(X)の直前にある教師と生徒Bの会話から『散木奇歌集』の連歌を『掛詞』に着目して現代語訳を行えば良いと判ります。

 

②『散木奇歌集』の連歌に使用されている掛詞を見つけ、現代語訳を行うこと。
→連歌を完成させて並べると、『釣殿の 下には魚(いを)や すまざらむ うつばりの影 そこに見えつつ』となります。
 上の句は「釣殿の下に魚は住んでいないのだろうか」と訳すことができます。
 「や」の位置に注意をしましょう。
 五・七・五・七・七の原則に従うと「や」は七の側の文字ですが、間違えて五の側に付けてしまうと「やすまざらむ」となってしまい、意味が変わってしまいます。
 対して下の句は「釣殿の梁ならぬ釣り針の姿が水底に見えているから」と答えています。
 「はり」という言葉が梁と針の掛詞になっており、父子で魚を探す微笑ましい和歌が成立しています。


③最も適当なもの=「筆者の意図に沿っているもの」を選ぶこと。
→選択肢を選定する際、勝手な行間の読み過ぎが邪魔になることが多々発生します。
 ・選択肢の文章と問題の本文が示す言葉にずれがないか。
 ・書かれていない背景を作問者が拡大解釈のもとで示していないか。
 上記に注意し、選択肢のおかしいと思った箇所に印をつけると検討しやすく、見直しもやりやすくなります。

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03

正解の選択肢は「俊重が、釣殿の下には魚が住んでいないのだろうかと詠んだのに対して、俊頼は、釣殿の「うつばり」に「針」の意味を掛けて、池の水底には釣殿の梁ならぬ釣針が映って見えるからね、と付けている」です。

 

問題文→教師と生徒の会話→選択肢→本文の順に目を通すと、選択肢を読み始めた段階で和歌の意味を理解する必要があるとわかります。

 

会話による前後の状況把握よりも和歌の意味に重点を置いて考えながら、各選択肢を見ていきましょう。

選択肢1. 俊重が、皆が釣りすぎたせいで釣殿から魚の姿が消えてしまったと詠んだのに対して、俊頼は、「そこ」に「底」を掛けて、水底(みなそこ)にはそこかしこに釣針が落ちていて、昔の面影をとどめているよ、と付けている

拡大解釈と、文脈的な矛盾をやや含むため不適当です。

 

頼重は「魚の姿が見えない」とは言っていますが、「皆が釣りすぎたせい」とまでは言っていません。

 

「そこ」と「水底」を掛けた可能性はあったとしても、「今は魚がいない」に対して「昔の面影」と答えるのならば「釣りが盛んに行われていたことを示す釣り針の数」よりも「魚がたくさんいたことの証」を示すのが妥当です。

水底の釣り針の数=釣りに失敗した数であり、釣り針の数を昔いたはずの魚の数と同等に考えるのは少し無理があります。

 

掛詞としての可能性はありつつも、解釈にやや無理があるため、不適当となります。

選択肢2. 俊重が、釣殿の下にいる魚は心を休めることもできないだろうかと詠んだのに対して、俊頼は、「うつばり」に「鬱」を掛けて、梁の影にあたるような場所だと、魚の気持ちも沈んでしまうよね、と付けている

解釈が誤りのため、不適当です。

 

頼重の歌には「魚が心を休められる」に該当する言葉はなく、当然ながら「釣殿の下の魚の気持ち」を考えたものではありません。

そのため「魚の沈んだ気持ち」と「鬱」を掛けているとの解釈にも無理があります。

選択肢3. 俊重が、「すむ」に「澄む」を掛けて、水は澄みきっているのに魚の姿は見えないと詠んだのに対して、俊頼は、「そこ」に「あなた」という意味を掛けて、そこにあなたの姿が見えたからだよ、と付けている

不適当です。

 

「すむ」に「澄む」を掛けているなら、「すまざらむ」は「澄んでいない」ことになるため、「水は澄み切っているのに」という前半はすべて誤りとなります。

 

また「あなた」を「そこ」と呼ぶことはありますが、掛詞として使うことはあまりありません。

選択肢4. 俊重が、釣殿の下には魚が住んでいないのだろうかと詠んだのに対して、俊頼は、釣殿の「うつばり」に「針」の意味を掛けて、池の水底には釣殿の梁ならぬ釣針が映って見えるからね、と付けている

適当です。

 

「すまざらむ」は動詞「住む」に打ち消しの助動詞「ず」の未然形に推量の助動詞「む」が接続した形で、「住んでいないのだろうか」の意味になります。

 

うつばりは注釈にある通り、建物の縦の柱と柱をつなぐ横の柱「梁」を指しますが、「魚」「釣り」ときて「釣り針」を連想するのは自然です。

 

掛詞はひとつの単語にふたつの意味をもたせる修辞ですが、ただ二通りの読み方をするわけではありません。

聞き手がわかるように、必ず歌の他の語と関連する単語を用います。

 

そのため「魚」や「釣り」と出てきているのなら「鬱」などと掛けるよりも「釣り針」と掛けるほうが、聞き手が瞬間的にわかりやすいものとなります。

 

あくまでも歌は聞き手ありきのもののため、突拍子もない掛詞はありません。

まとめ

追加資料や追加文章のある問題では、前から順に読むとどこに着目すべきかわからなくなり、読み返す必要が出てきてタイムロスとなります。

必ず問題→選択肢→本文の順に目を通す癖をつけましょう。

 

また本問は和歌の修辞を理解しているかを問う問題です。

「枕詞」「掛詞」など、よく出てくる修辞は理解しておきましょう。

 

修辞や助動詞の意味を覚えるには、百人一首の歌と意味を覚えるのがおすすめです。

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