大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問37 (第4問(漢文) 問7)

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問題

大学入学共通テスト(国語)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問37(第4問(漢文) 問7) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、唐の杜牧(とぼく)(803—852)の【詩】「華清宮(かせいきゅう)」とそれに関する【資料】Ⅰ〜Ⅳである。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で返り点・送り仮名を省いたところがある。

(注1)華清宮 ―― 都長安の郊外にある、驪山(りざん)の温泉地に造営された離宮。
(注2)繡成堆 ―― 綾絹(あやぎぬ)を重ねたような驪山の山容の美しさをいう。
(注3)次第 ―― 次々と。
(注4)紅塵 ―― 砂煙。
(注5)妃子 ―― 楊貴妃(ようきひ)のこと。唐の皇帝玄宗(げんそう)(685―762)の妃(きさき)。
(注6)茘枝 ―― 果物のライチ。中国南方の特産物。
(注7)『天宝遺事』 ―― 唐の天宝年間(742―756)の逸話を集めた書。王仁裕(おうじんゆう)著。
(注8)涪州 ―― 中国南方の地名。
(注9)馬逓 ―― 早馬の中継による緊急輸送。公文書を運ぶのが本来の目的。
(注10)『畳山詩話』 ―― 詩の解説・批評や詩人の逸話を載せた書。謝枋得(しゃぼうとく)著。
(注11)明皇 ―― 玄宗を指す。
(注12)『遯斎閑覧』 ―― 学問的なテーマで書かれた随筆集。陳正敏(ちんせいびん)著。
(注13)唐紀 ―― 唐の時代についての歴史記録。
(注14)『甘沢謡』 ―― 唐の逸話を集めた書。袁郊(えんこう)著。
(注15)誕辰 ―― 誕生日。
(注16)駕 ―― 皇帝の乗り物。
(注17)小部音声 ―― 唐の宮廷の少年歌舞音楽隊。
(注18)長生殿 ―― 華清宮の建物の一つ。
(注19)南海 ―― 南海郡のこと。中国南方の地名。

【資料】Ⅲ・Ⅳに関する説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
問題文の画像
  • 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との一致によって、【詩】の描写が事実に符合することを指摘する。【資料】Ⅳは、玄宗一行が夏の華清宮で賞玩したのは楽曲「茘枝香」であったことを述べており、【資料】Ⅲの見解に反論する根拠となる。
  • 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との一致によって、【詩】の描写が事実に符合することを指摘する。【資料】Ⅳは、夏の華清宮で玄宗一行に献上された茘枝が特別に「茘枝香」と名付けられたことを述べており【資料】Ⅲの見解を補足できる。
  • 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致によって、【詩】の描写が事実に反することを指摘する。【資料】Ⅳは、夏の華清宮で玄宗一行に献上された「茘枝香」が果物の名ではなく楽曲の名であることを述べており、【資料】Ⅲの見解を補足できる。
  • 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致によって、【詩】の描写が事実に反することを指摘する。【資料】Ⅳは、玄宗一行が「茘枝香」という名の茘枝を賞味した場所は夏の南海郡であったことを述べており、【資料】Ⅲの見解を補足できる。
  • 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致によって、【詩】の描写が事実に反することを指摘する。【資料】Ⅳは、「茘枝香」という楽曲名が夏の華清宮で玄宗一行に献上された茘枝に由来すると述べており、【資料】Ⅲの見解に反論する根拠となる。

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この過去問の解説 (3件)

01

資料Ⅲは、「明皇以」以降の内容を押さえる必要があり、資料Ⅳは、「進新曲」以降のあたりをきちんと押さえると内容が理解できそうです。

本文中で押さえたい語は「即」「未嘗」「然」、「シムルモ」「未有」「因」といった表現です。これらの表現は重要語ですので、理解できるとおおまかな内容を把握することができるでしょう。

選択肢1. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との一致によって、【詩】の描写が事実に符合することを指摘する。【資料】Ⅳは、玄宗一行が夏の華清宮で賞玩したのは楽曲「茘枝香」であったことを述べており、【資料】Ⅲの見解に反論する根拠となる。

不適当です。

資料Ⅲの説明が不適当ですので、その時点で正解ではないと判断できると良いでしょう。

玄宗が一行が滞在した時期は、「十月から(翌年の)春」と記載され、「六月には山には滞在していなかったのである。しかし茘枝は夏の暑い盛りに熟する」と続いているため、時期は一致していません。

選択肢2. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との一致によって、【詩】の描写が事実に符合することを指摘する。【資料】Ⅳは、夏の華清宮で玄宗一行に献上された茘枝が特別に「茘枝香」と名付けられたことを述べており【資料】Ⅲの見解を補足できる。

不適当です。

資料Ⅲの説明が不適当ですので、その時点で正解ではないと判断できると良いでしょう。

玄宗一行が滞在した時期は、「十月から(翌年の)春」と記載され、「六月には山には滞在していなかったのである。しかし茘枝は夏の暑い盛りに熟する」と続いているため、時期は一致していません。

選択肢3. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致によって、【詩】の描写が事実に反することを指摘する。【資料】Ⅳは、夏の華清宮で玄宗一行に献上された「茘枝香」が果物の名ではなく楽曲の名であることを述べており、【資料】Ⅲの見解を補足できる。

不適当です。

茘枝香は玄宗一行に献上されたわけではありません。献上されたのは「茘枝(ライチ)」であって、「茘枝香」はこれにちなんで名づけられた曲名のことです。

選択肢4. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致によって、【詩】の描写が事実に反することを指摘する。【資料】Ⅳは、玄宗一行が「茘枝香」という名の茘枝を賞味した場所は夏の南海郡であったことを述べており、【資料】Ⅲの見解を補足できる。

不適当です。

玄宗一行は夏の南海郡で「茘枝香」という名の茘枝を食したわけではありません。「茘枝香」は玄宗の命令で「茘枝」にちなんで名づけられた曲名のことです。

選択肢5. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致によって、【詩】の描写が事実に反することを指摘する。【資料】Ⅳは、「茘枝香」という楽曲名が夏の華清宮で玄宗一行に献上された茘枝に由来すると述べており、【資料】Ⅲの見解に反論する根拠となる。

これが最も適当です。

玄宗一行が滞在した時期と茘枝が熟す時期は不一致だと資料Ⅲでは述べられていますし、「茘枝香」という楽曲名がつけられた説明も本文の内容に沿っています。

まとめ

二つの資料を読みとり解答する問題ですが、選択肢をきちんと読むと消去法で選択肢を絞り込みやすいです。選択肢の説明の根拠が本文のどこにあるのか考えると良いでしょう。

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02

 【資料】Ⅲ、Ⅳはともに【詩】を別の視座から見るための情報を提供します。

【資料】Ⅲでは茘枝が熟するのは暑い時期だが玄宗一行が驪山に滞在したのは10月になってからだという情報を示し、その乖離を指摘します。

一方、【資料】Ⅳでは6月に玄宗らが驪山に行き、茘枝を貢物として受け取ったことが書かれており、二つの資料は時期について大きく違った見解を持っています。

このことを踏まえて選択肢を検討しましょう。

選択肢1. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との一致によって、【詩】の描写が事実に符合することを指摘する。【資料】Ⅳは、玄宗一行が夏の華清宮で賞玩したのは楽曲「茘枝香」であったことを述べており、【資料】Ⅲの見解に反論する根拠となる。

誤りです。

【資料】Ⅲは宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致を指摘しています。

選択肢2. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との一致によって、【詩】の描写が事実に符合することを指摘する。【資料】Ⅳは、夏の華清宮で玄宗一行に献上された茘枝が特別に「茘枝香」と名付けられたことを述べており【資料】Ⅲの見解を補足できる。

誤りです。

【資料】Ⅲは宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致を指摘しています。

【資料】Ⅳでは茘枝に関する玄宗一行のエピソードが述べられていますが「茘枝香」と名付けられたのは茘枝ではなく楽曲です。

また【資料】Ⅳは【資料】Ⅲの見解を補足するのではなく反論の根拠となる点といえます。

選択肢3. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致によって、【詩】の描写が事実に反することを指摘する。【資料】Ⅳは、夏の華清宮で玄宗一行に献上された「茘枝香」が果物の名ではなく楽曲の名であることを述べており、【資料】Ⅲの見解を補足できる。

誤りです。

【資料】Ⅲは宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致を指摘しています。

【資料】Ⅳでは「茘枝香」が果物の名ではなく楽曲の名であることが示されていますが、茘枝が献上されたという背景によるものなので【資料】Ⅲの見解を補足できるとはいえません。

選択肢4. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致によって、【詩】の描写が事実に反することを指摘する。【資料】Ⅳは、玄宗一行が「茘枝香」という名の茘枝を賞味した場所は夏の南海郡であったことを述べており、【資料】Ⅲの見解を補足できる。

誤りです。

玄宗一行が茘枝を賞味した場所は驪山です。

南海郡は茘枝を献じたということでその名前が挙がっています。

選択肢5. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致によって、【詩】の描写が事実に反することを指摘する。【資料】Ⅳは、「茘枝香」という楽曲名が夏の華清宮で玄宗一行に献上された茘枝に由来すると述べており、【資料】Ⅲの見解に反論する根拠となる。

適当です。

【資料】Ⅲは宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致にという矛盾を指摘しています。

【資料】Ⅳでは6月にあった楊貴妃の誕生会で茘枝が献上され、名づけられていなかった楽曲に茘枝にちなんだ名前がついたことが書かれており時期について【資料】Ⅲとは異なる見解をしています。

資料同士の関係がまとめられた選択肢です。

 

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03

玄宗一行の華清宮滞在時期と茘枝(ライチ)の旬は一致しないという指摘が【資料】Ⅲで示され、これに対して【資料】Ⅳは「茘枝香」が楽曲名であり、その名が夏に献上された茘枝に由来すると述べて、【資料】Ⅲの見解に反論する形になります。
つまり、③では「不一致」を主張し、④では「夏の華清宮と茘枝の結びつき」を補強して、詩の情景が史実と矛盾するとは言い切れない方向へ導いています。

選択肢1. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との一致によって、【詩】の描写が事実に符合することを指摘する。【資料】Ⅳは、玄宗一行が夏の華清宮で賞玩したのは楽曲「茘枝香」であったことを述べており、【資料】Ⅲの見解に反論する根拠となる。

Ⅲは一致ではなく不一致を問題にする趣旨です。さらにⅣは曲名の提示で、ここでは反論材料としての立て方が不自然です。

選択肢2. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との一致によって、【詩】の描写が事実に符合することを指摘する。【資料】Ⅳは、夏の華清宮で玄宗一行に献上された茘枝が特別に「茘枝香」と名付けられたことを述べており【資料】Ⅲの見解を補足できる。

Ⅲは一致を主張していません。また「茘枝香」を果物の固有名とするのは史料の読みとして不正確です。

選択肢3. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致によって、【詩】の描写が事実に反することを指摘する。【資料】Ⅳは、夏の華清宮で玄宗一行に献上された「茘枝香」が果物の名ではなく楽曲の名であることを述べており、【資料】Ⅲの見解を補足できる。

Ⅳが曲名だと示すだけでは、不一致の指摘(Ⅲ)を補強する材料にはなりにくく、「詩は事実に反する」という方向に固定してしまいます。反論にはつながりません。

選択肢4. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致によって、【詩】の描写が事実に反することを指摘する。【資料】Ⅳは、玄宗一行が「茘枝香」という名の茘枝を賞味した場所は夏の南海郡であったことを述べており、【資料】Ⅲの見解を補足できる。

Ⅳの要点は華清宮・長生殿で奏された「茘枝香」に関する記述で、南海での賞味に話を移すのは本文脈から外れます。

選択肢5. 【資料】Ⅲは、玄宗一行が驪山に滞在した時期と茘枝が熟す時期との不一致によって、【詩】の描写が事実に反することを指摘する。【資料】Ⅳは、「茘枝香」という楽曲名が夏の華清宮で玄宗一行に献上された茘枝に由来すると述べており、【資料】Ⅲの見解に反論する根拠となる。

最も適切です。Ⅲは冬の離宮と夏の果実の“季節のズレ”を指摘しますが、Ⅳは夏の華清宮(長生殿)で奏された「茘枝香」という史料を提示し、曲名自体が茘枝献上と関わることを示して「不一致」一本槍の見方に揺さぶりをかけています。これにより、詩の情景は単なる史実違反ではなく、当時の出来事(夏の場面)を踏まえた象徴的表現とも読める余地が生まれます。

まとめ

ポイントは、Ⅲ=季節不一致の指摘Ⅳ=「茘枝香」という“曲名”を通じた夏の華清宮と茘枝の接点の提示です。両者を合わせて読むと、杜牧の詩は逸話や宮廷文化(曲名・宴)を踏まえた象徴的圧縮であり、単純な事実否定に回収できないことがわかります。

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