大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問38 (第4問(漢文) 問9)

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問題

大学入学共通テスト(国語)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問38(第4問(漢文) 問9) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、明代末期から清代初期の思想家である賀貽孫(がいそん)が著したものである。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で返り点・送り仮名を省いたところがある。

筆者は、禿翁をどのように論評しているか。その説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
問題文の画像
  • 禿翁は、雄大であることを好み、実際に雄大さを体現して生きたが、一定したあり方にとらわれない自在な境地を知ることはなかった。
  • 禿翁は、一定したあり方にとらわれない自在な境地を目指したが、その境地に到達できず、ひたすらに雄大であるだけにとどまった。
  • 禿翁は、雄大であることを好んだが、雄大さを体現して生きることはできず、一定したあり方にとらわれない自在な境地を新たに模索した。
  • 禿翁は、一定したあり方にとらわれない自在な境地を目指し、雄大さだけをひたすらに追求するような生き方は眼中になかった。
  • 禿翁は、雄大であることを好むだけでなく、一定したあり方にとらわれない自在な生き方にもあこがれていたが、どちらの境地にも到達できなかった。

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この過去問の解説 (2件)

01

文章全体の要約問題です。

文章の流れは以下の通りです。

①【導入】禿翁という人物の紹介

「禿翁大を好む者也。
「禿翁は“雄大なもの”を好む人物である。」
→ 彼はスケールの大きな存在や、力強いものを理想とする性格。

 

②【禿翁の説】大魚のたとえ

其の言に曰はく、「余泉海に家す。海魚港に入るに…悠然として而逝けり。
禿翁が語る、大魚(おおうお)のエピソードです。

潮が引くと魚は港に取り残される。人々が群がって斧で叩いても、魚は傷つかない。潮が満ちると、悠然と去っていく。
→ その「大きさ」「雄大さ」を讃えています。

 

③【禿翁の結論】豪傑と魚の比較

以為らく魚の大なる者此に過ぐるは莫し。豪傑の士も亦た是の魚の若きのみ。
→ 「この魚ほど大きいものはない。豪傑もまたこの魚のようなものだ。」
禿翁は、魚=豪傑の象徴として「雄大で力強い生き方」を理想化しています。

 

④【筆者の論評①】禿翁は豪傑ではあるが、聖賢の境地を知らない

嗟乎、禿翁は則ち誠に豪傑也。然るに徒だ豪傑の能く大為るを知るのみ。
→ 「確かに禿翁は豪傑である。しかし、豪傑の“雄大さ”しか知らず、聖賢の“自在さ”を知らない。」

ここで筆者は対比を提示:

・豪傑=大魚 … 力強く雄大だが、形にとらわれる存在として描かれています。

・聖賢=竜 … 姿を自在に変え、環境に応じて生きる存在として描かれています。

 

⑤【筆者の論評②】竜のたとえ

之を竜に観ざらんや。其の化するに及ぶ也…
→ 「竜を見れば分かるだろう。竜はときに人となり、ときに虫となり、葉となる。」
→ 「竜」は柔軟で自在、一定の形にとらわれない存在として描かれています。

人乃ち区区たる小大の形、瑣瑣たる巻舒の状を以て之を求む。
→ それに対して、人間(凡人)は目に見える大小や形にばかりとらわれ、竜の本質を理解できません。

是豈知竜の竜たるを知らんや。
→ 「どうして竜の真のあり方が分かるだろうか、いや分からない。」

 

⑥【筆者の結論】禿翁への最終評価

禿翁をして魚と為らしめずして竜と為らしめば、世人安くんぞ得て之に禍ひせんや。
→ 「もし禿翁が魚(豪傑)ではなく竜(聖賢)であったなら、世の人々が彼に害を加えることなどできなかっただろう。」

つまり筆者の主張は:

禿翁は豪傑として雄大な人物だったが、竜(聖賢)のような自在な境地には至りませんでした。
そのため、世俗の人々の害や非難にさらされる立場にとどまったわけです。

 

以上の要約に合うような選択を選びましょう。

選択肢1. 禿翁は、雄大であることを好み、実際に雄大さを体現して生きたが、一定したあり方にとらわれない自在な境地を知ることはなかった。

前半「雄大であることを好み、体現した」→ 禿翁は“大を好む”豪傑。
後半「自在な境地を知らなかった」→ 筆者の批判「聖賢之能く大為ら不るを知らず」と一致します。
文全体の評価「豪傑として立派だが、聖賢のような自由さを知らない」そのものです。

よって、文意と評価のバランス(賞賛+批判)が一致します。

 

したがって、この選択肢は正しいです。

選択肢2. 禿翁は、一定したあり方にとらわれない自在な境地を目指したが、その境地に到達できず、ひたすらに雄大であるだけにとどまった。

禿翁は「自在な境地を目指していた」という記述は本文にありません。
彼は「大を好む者」であり、最初から“雄大さ”を理想にしています。
つまり、「目指した」対象が異なります。

 

したがって、この選択肢は誤りです。

選択肢3. 禿翁は、雄大であることを好んだが、雄大さを体現して生きることはできず、一定したあり方にとらわれない自在な境地を新たに模索した。

禿翁は実際に“大を好み”、“豪傑としての生き方を体現”していました。
体現できなかった」も「模索した」も本文の描写と合いません。
禿翁は一貫して“豪傑”の立場で生きた人物として描かれています。

 

したがって、この選択肢は誤りです。

選択肢4. 禿翁は、一定したあり方にとらわれない自在な境地を目指し、雄大さだけをひたすらに追求するような生き方は眼中になかった。

禿翁はまさに“雄大さ(大魚)”を理想とする人物で、「雄大さを眼中になかった」は真逆です。
また「自在な境地を目指した」根拠もありません。

 

したがって、この選択肢は誤りです。

選択肢5. 禿翁は、雄大であることを好むだけでなく、一定したあり方にとらわれない自在な生き方にもあこがれていたが、どちらの境地にも到達できなかった。

自在な生き方にもあこがれていた」記述は本文にありません。
禿翁は聖賢の境地を“知らない”とされており、憧れすらありませんでした。
また「どちらにも到達できなかった」は誇張です。彼は豪傑としての「雄大さ」は体現していました。

 

したがって、この選択肢は誤りです。

まとめ

本文の要約は、筆者が何を伝えたいのかを読み取ることが最も大切です。

現代文、古典に関わらず、筆者が最も伝えたい事は本文の最初か最後に記述されていることが多いため、最初と最後は注意して読みましょう。

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02

文章全体の要点を整理しましょう。

 

禿翁は雄大であることを好んでいた

・それゆえに豪傑ではあったが、優れた得を備えた人物というものは、常に雄大さばかりを追求するものではない。

・現に竜は体の大きさや形状を自在に変える。しかし人は竜の外形にばかり気を取られ、本質には気付こうとしない。

・禿翁は大魚のような雄大さを求めたあまり、不遇な末路を辿った。魚ではなく竜の志(=大小にこだわらず自分の姿を自在に変える態度)を備えていれば、人々が禿翁に危害を加えることもなかったはずだ。

 

上記のポイントを捉えている選択肢が正解となります。

同時に、本文に書かれていない事柄が含まれた選択肢を選ばないよう注意しましょう。

選択肢1. 禿翁は、雄大であることを好み、実際に雄大さを体現して生きたが、一定したあり方にとらわれない自在な境地を知ることはなかった。

本文の主旨を的確に捉えているこの選択肢が正解です。

選択肢2. 禿翁は、一定したあり方にとらわれない自在な境地を目指したが、その境地に到達できず、ひたすらに雄大であるだけにとどまった。

本文に「禿翁が一定したあり方にとらわれない自在な境地を目指した」という旨は書かれていないため、誤りです。

選択肢3. 禿翁は、雄大であることを好んだが、雄大さを体現して生きることはできず、一定したあり方にとらわれない自在な境地を新たに模索した。

本文によると禿翁は雄大さを体現して生きた人物であり、それゆえ世間の人々に攻撃されたと述べられているため、解釈が誤っています。

また、一定したあり方にとらわれない自在な境地を新たに模索した」ということも書かれていません。

選択肢4. 禿翁は、一定したあり方にとらわれない自在な境地を目指し、雄大さだけをひたすらに追求するような生き方は眼中になかった。

本文に禿翁が「一定したあり方にとらわれない自在な境地を目指した」ということは書かれておらず、「雄大さだけをひたすらに追求するような生き方は眼中になかった」という部分も本文の主旨とかけ離れているため誤りです

選択肢5. 禿翁は、雄大であることを好むだけでなく、一定したあり方にとらわれない自在な生き方にもあこがれていたが、どちらの境地にも到達できなかった。

禿翁が「雄大であることを好むだけでなく、一定したあり方にとらわれない自在な生き方にもあこがれていた」ということは本文には書かれていません。また、大魚のような境地には到達していたため、「どちらの境地にも到達できなかった」という解釈も誤りです。

まとめ

文章の大意を捉えることはできたでしょうか。

誤りの選択肢には明らかに本文で述べられていない内容が含まれているため、落ち着いて要点を整理しながら解答することで得点できる問題です。

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