共通テスト(国語) 過去問
令和8年度(2026年度)本試験
問1 (第1問(評論) 問1)
問題文
幼少の頃のわたしは、いつも途方にくれていたように思う。かつて小学校三年生まで住んでいた小さな借家は、古びたアパートから比較的裕福な邸宅まで大小の家々が(ア)カタを寄せ合う路地奥にあった。家庭環境も様々な、異年齢の子どもたちが鬼ごっこをして遊ぶような、どこか懐かしい光景がいまだ残る住宅街だった。そこには幼いながらに社会があり、見えない約束事があった。
わたしはいつもぼうっとしていて、彼らが今何をしているのか、何について笑っているのかわからなくなることがたびたびあった。なんとなく後をついていき、いつのまにか置いていかれたり、よくわからないことで怒られたりした。世界はいつも薄い膜の向こうにあった。目の前で起きている事柄には実感が伴わず、自分という存在すら不確かだった。自分の名前や姿かたち、置かれている状況を反芻(はんすう)していると、ふと、まるでよく知らない他人を眺めているかのような感覚にしばしば囚(とら)われた。わたしには「ふつうのこと」の基準がよくわからず、見えないそれらの約束事から逸脱しないように、友人の顔色を気弱に窺(うかが)っていた。
人とのコミュニケーションに苦手意識を持っていたわたしは、何ということのないありふれた景色の一部にふいに目が留まり、それを眺めている時間が好きだった。何故(なぜ)かどうしても気になってしまうそれらは、いわゆる「美しいもの」では必ずしもなく、むしろみすぼらしかったり薄汚れたりもしていた。しかし目に留まった瞬間に、それらはわたしにとってある種の「美しさ」を備えたものとして立ち現れてくる。
高い空、陽(ひ)を(イ)スかしてざわめく葉のきらめき、アスファルトに練り込まれた無数の鉱物の模様、(ウ)トリョウのはげたガードレールや、アパートの古びた鉄階段の錆(さ)びた様子、雨で浸食されたブロック塀のざらざらとした質感、その隙間に育つ雑草、誰かの日常が閉じ込められた家並みに、雑然と並んだ植木鉢、ベランダの洗濯物、空き地にぼうぼうと伸びる草むら、打ち捨てられた粗大ごみ......。心惹(ひ)かれた対象が樹木や草花であっても、それらの名前や種類には不思議なほどに興味がなかった。世界が意味あるものとしての輪郭を失い、言葉で把握不可能なものとなり、「ただそのようなものとしてそこにある」ものとして感じられることが、わたしには重要だった。
目に映るものひとつひとつは、わたしには理解しきれない「他者」として存在していた。そして世界はさらに、具体的な場所や時間を超えて、出会ったことのない「他者」の物語を無数に含みこんだものへと変貌していく。A それは日々のコミュニケーションの中で感じる他者のわからなさとは異なり、不思議な心地よさを味わわせてくれるものだった。
幼少の頃のこうした体験の記憶は、おそらくわたしという生のコン(エ)カンに関わるものとしてある。そしてわたしにとって作品を制作するという行為は、その過程でこうした感覚を何度も何度も追体験することなのだろう。それは制作過程において、モチーフとの交流、素材との交流、そして作られつつある作品との交流の中で、二重、三重に生起する。
絵のモチーフを探すとき、わたしは幼少のときと同じように、見慣れたものが見知らぬものへと変貌する感覚を、あるいはわけもわからずに心惹かれてしまう対象を求めて、街を彷徨(さまよ)う。そのとき重要なのは「描きたい絵」のイメージに沿ったモチーフを探すことではない。たとえそのような思惑があったとしても、そこから逸脱して目の前で偶然的に繰り広げられる光景に身を投じ、眺める時間そのものを味わいたいと思う。
しかしそうであれば、すなわち何ものにも変換不可能なものとして世界を眺めることこそが何にもまして重要なのであれば、それをわざわざ再現して作品にする行為は蛇足であるだろう。作品化という行為は、本来的に固定化不可能な対象の在(あ)り様(よう)を作者の私的なイメージによって歪(ゆが)めてしまうことかもしれない。それでもわたしが――ひいては芸術家と呼ばれる人々、あるいはそうでない人々が――造形物を作るのは、それがモチーフの縮減された再現や、作者の内的イメージの具現化であることを超えて、作者にもわかりえない新たな何ものかとして生み出されていくからにほかならないだろう。
(注1)ポスト構造主義に多大な影響を与えた思想家の(注2)G・バタイユは、(注3)ラスコーの壁画を描いた先史時代の人々にとって、洞窟に描線を描く行為は支持体(素材)を変質させる「魔術的な操作」であり、錯綜(さくそう)する線の中から生成する形象の出現に立ち会う出来事であったと推察している。線の中から出現しつつある形象は不変の同一性としての事物ではなく、一種の主体のように「聖なるもの」として自ら現れる。そのとき見る主体と見られる対象との超越的な関係は崩れ去り、不変の同一性としての自己の存在もまた揺るがされるという。
バタイユが指摘するように、B 造形行為には目の前で変貌していく素材との交流という側面がある。作品は「素材」によって物質としての形を与えられる。個々の素材は、それ自体がつきることのない魅力をはらんだ「もの」である。制作の過程で素材と戯れ、その形や色を変質させていく行為は、その結果として出現する思いもよらない素材の姿を受動的に味わう時間をもたらす。
素材の中に突如現れる、予測不可能な「美しさ」に目が留まる無数の瞬間は、わたしが風景などを見ているときに味わう、あの体験にとても似通っている。わたしは子どもの頃に見慣れた景色を眺めたように、自分の作品へと眼差(まなざ)しを向ける。制作途中で出現した美しさは上から重ねられていく仕事によって失われ、自分しか知りえない時間の痕跡として、作品の中に折り込まれていく。作品はわたしの手からはみ出し、いつも見知らぬものとしてわたしの目の前に現れる。たとえそれが「完成」したとしても。
C 冒頭からこれまでの記述は幼少期の私的な記憶の追想と、現在の制作についての(バタイユの影響を多分に含んだ)個人的な解釈にすぎない。にもかかわらず、こうした感覚がけしてわたし一人だけのものではなく、多くの人々にとって――日常の中で突如出会う美的体験から、子どもたちによる(注4)プリミティブな造形行為、アーティストと呼ばれる人々による専門的な作品制作に至るまで――あらゆる芸術的体験の根源に関わるものではないかと、わたしには強く感じられるのである。
わたしが幼少の頃に体験し、現在も幾度となく繰り返しているあの感覚、何かを「美しい」と感じたその瞬間に言語的意味が剝奪され、わかりえないものへと変容していく感覚は、それゆえに他者と完全に共有することが不可能なものである。しかし、それはわたしの個人的体験に留(とど)まらず、おそらく「美」あるいは「芸術」というものの本質に関わる事柄である。
ある社会において、「美しい」と言われるものがある。輝く宝石や色とりどりの花束、雲を紅(あか)く染める夕焼け空、(注5)モネの描いた睡蓮(すいれん)や(注6)光琳(こうりん)の屛風(びょうぶ)などを見て、多くの人は「美しい」という感想を持つだろう。ある人にとって「美しい」ものは、おそらく他の人々にとっても概(おおむ)ね「美しい」。そのとき「美しいもの」は、何らかの客観的で社会的な価値を有すると信じられている。
その一方で「美しいもの」は、それを「美しい」と判断する主体の主観的で個人的な価値にも強く支えられている。ゆえにわたしたちは、他の誰も目を留めないものに「美しさ」を見出(みいだ)すこともあれば、人が絶賛する著名な美術作品にどうしても「美しさ」を見いだせないということもある。同じものを「美しい」と思っても、なぜ・どのようにそれを「美しい」と感じるのかは人によって異なる。その理由を他者に説明し尽くすことはおそらく不可能であり、自分自身でさえそのすべてを把握することは困難であるだろう。「美」や「芸術」は、言語的に理解不可能な「わかりえなさ」を必然的に内包している。
人間は社会的な存在であり、大小の共同体の中で他者と言葉を交わし、商品や労働と対価を交換しながら生きている。そこでは様々なものが容易に「交換」可能であると信じられている。コミュニケーションにおける言語的交換や経済的な等価交換は、共通の言語や貨幣価値など、価値(オ)シャクドや概念的枠組(わくぐみ)が他者と共有されていることを前提に成立している。科学的・論理的思考は、対象を分析的に把握・理解し、言語化することによって第三者と交換可能な概念へと分節化することを志向する。
しかし「美しいもの」や「わかりえないもの」は、他者と等価に交換不可能な余剰を多分に含んでおり、その価値を完全に量ることも、言語によって正確に分節化することも不可能である。「美しいもの」は「わかりえなさ」をはらみ、「わかりえないもの」はその「わかりえなさ」ゆえに「美しいもの」へと転じうる。わたしたちが日々対峙(たいじ)している世界――言語的に把握し、価値を客観的に推量できると信じられている世界――のただ中から「美しさ」が出現し、「わかりえないもの」が立ち上がる瞬間、世界はその本来的な「交換不可能性」を露(あら)わにする。D そのとき、暗黙の約束事を共有し、コミュニケーション可能な対象と信じられている他者の外側に、絶対的に「わかりえない」余白としての「他者」の存在が了解される。固定化された自己と世界の枠組(わくぐ)みは根底から揺るがされ、変容を余儀なくされる。
「美しいもの」、そして「芸術」的な体験を通じて露わになる「交換不可能なもの」の存在。それは固定化された「交換」の枠組みをはみ出していく、一方的な「贈与」の次元にあるものである。幼い頃から現在に至るまで、日常のふとした瞬間に、そして作品の制作過程の折々に、わたしをふいに襲ってきた、あの感覚。振り返ってみれば、それは何ものにも代えがたい、「贈与」された時間だったのだろう。
造形活動は、「わかりえないもの」の生成と消滅に繰り返し立ち会う行為である。さらにE 「作品」を制作するということは、「わかりえないもの」の出現に受動的に巻き込まれるばかりでなく、自ら能動的に「わかりえないもの」を生み出し、他者へと「贈与」することである。わたしは「わかりえないもの」の中に「美しさ」を受け取り、「作品」という形でまた別の「美しい何か」へと変換し、新たな「わかりえないもの」を一方的に贈り出す。誰とも交換不可能で、受け取られる保証もないものを。それでもその「わかりえない美しさ」がいつか誰かに受け取られ、その誰かの世界を揺るがすものとなることを、微(かす)かに期待しながら。
(櫻井(さくらい)あすみ「『贈与』としての美術・ABR」による)
(注1)ポスト構造主義 ―― 1960年代後半から1970年代にかけて台頭した思想運動。
(注2)G・バタイユ ―― ジョルジュ・バタイユ(1897―1962)。フランスの思想家。
(注3)ラスコーの壁画 ―― フランス南西部のラスコーにある洞窟に描かれた動物などの壁画。
(注4)プリミティブ ―― 素朴なさま。原始的なさま。
(注5)モネ ―― クロード・モネ(1840―1926)。フランスの画家。
(注6)光琳 ―― 尾形光琳(1658―1716)。江戸時代の画家。
下線部(ア)に相当する漢字を含むものを、次のうちから一つ選べ。
(ア) カタ
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共通テスト(国語)試験 令和8年度(2026年度)本試験 問1(第1問(評論) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
幼少の頃のわたしは、いつも途方にくれていたように思う。かつて小学校三年生まで住んでいた小さな借家は、古びたアパートから比較的裕福な邸宅まで大小の家々が(ア)カタを寄せ合う路地奥にあった。家庭環境も様々な、異年齢の子どもたちが鬼ごっこをして遊ぶような、どこか懐かしい光景がいまだ残る住宅街だった。そこには幼いながらに社会があり、見えない約束事があった。
わたしはいつもぼうっとしていて、彼らが今何をしているのか、何について笑っているのかわからなくなることがたびたびあった。なんとなく後をついていき、いつのまにか置いていかれたり、よくわからないことで怒られたりした。世界はいつも薄い膜の向こうにあった。目の前で起きている事柄には実感が伴わず、自分という存在すら不確かだった。自分の名前や姿かたち、置かれている状況を反芻(はんすう)していると、ふと、まるでよく知らない他人を眺めているかのような感覚にしばしば囚(とら)われた。わたしには「ふつうのこと」の基準がよくわからず、見えないそれらの約束事から逸脱しないように、友人の顔色を気弱に窺(うかが)っていた。
人とのコミュニケーションに苦手意識を持っていたわたしは、何ということのないありふれた景色の一部にふいに目が留まり、それを眺めている時間が好きだった。何故(なぜ)かどうしても気になってしまうそれらは、いわゆる「美しいもの」では必ずしもなく、むしろみすぼらしかったり薄汚れたりもしていた。しかし目に留まった瞬間に、それらはわたしにとってある種の「美しさ」を備えたものとして立ち現れてくる。
高い空、陽(ひ)を(イ)スかしてざわめく葉のきらめき、アスファルトに練り込まれた無数の鉱物の模様、(ウ)トリョウのはげたガードレールや、アパートの古びた鉄階段の錆(さ)びた様子、雨で浸食されたブロック塀のざらざらとした質感、その隙間に育つ雑草、誰かの日常が閉じ込められた家並みに、雑然と並んだ植木鉢、ベランダの洗濯物、空き地にぼうぼうと伸びる草むら、打ち捨てられた粗大ごみ......。心惹(ひ)かれた対象が樹木や草花であっても、それらの名前や種類には不思議なほどに興味がなかった。世界が意味あるものとしての輪郭を失い、言葉で把握不可能なものとなり、「ただそのようなものとしてそこにある」ものとして感じられることが、わたしには重要だった。
目に映るものひとつひとつは、わたしには理解しきれない「他者」として存在していた。そして世界はさらに、具体的な場所や時間を超えて、出会ったことのない「他者」の物語を無数に含みこんだものへと変貌していく。A それは日々のコミュニケーションの中で感じる他者のわからなさとは異なり、不思議な心地よさを味わわせてくれるものだった。
幼少の頃のこうした体験の記憶は、おそらくわたしという生のコン(エ)カンに関わるものとしてある。そしてわたしにとって作品を制作するという行為は、その過程でこうした感覚を何度も何度も追体験することなのだろう。それは制作過程において、モチーフとの交流、素材との交流、そして作られつつある作品との交流の中で、二重、三重に生起する。
絵のモチーフを探すとき、わたしは幼少のときと同じように、見慣れたものが見知らぬものへと変貌する感覚を、あるいはわけもわからずに心惹かれてしまう対象を求めて、街を彷徨(さまよ)う。そのとき重要なのは「描きたい絵」のイメージに沿ったモチーフを探すことではない。たとえそのような思惑があったとしても、そこから逸脱して目の前で偶然的に繰り広げられる光景に身を投じ、眺める時間そのものを味わいたいと思う。
しかしそうであれば、すなわち何ものにも変換不可能なものとして世界を眺めることこそが何にもまして重要なのであれば、それをわざわざ再現して作品にする行為は蛇足であるだろう。作品化という行為は、本来的に固定化不可能な対象の在(あ)り様(よう)を作者の私的なイメージによって歪(ゆが)めてしまうことかもしれない。それでもわたしが――ひいては芸術家と呼ばれる人々、あるいはそうでない人々が――造形物を作るのは、それがモチーフの縮減された再現や、作者の内的イメージの具現化であることを超えて、作者にもわかりえない新たな何ものかとして生み出されていくからにほかならないだろう。
(注1)ポスト構造主義に多大な影響を与えた思想家の(注2)G・バタイユは、(注3)ラスコーの壁画を描いた先史時代の人々にとって、洞窟に描線を描く行為は支持体(素材)を変質させる「魔術的な操作」であり、錯綜(さくそう)する線の中から生成する形象の出現に立ち会う出来事であったと推察している。線の中から出現しつつある形象は不変の同一性としての事物ではなく、一種の主体のように「聖なるもの」として自ら現れる。そのとき見る主体と見られる対象との超越的な関係は崩れ去り、不変の同一性としての自己の存在もまた揺るがされるという。
バタイユが指摘するように、B 造形行為には目の前で変貌していく素材との交流という側面がある。作品は「素材」によって物質としての形を与えられる。個々の素材は、それ自体がつきることのない魅力をはらんだ「もの」である。制作の過程で素材と戯れ、その形や色を変質させていく行為は、その結果として出現する思いもよらない素材の姿を受動的に味わう時間をもたらす。
素材の中に突如現れる、予測不可能な「美しさ」に目が留まる無数の瞬間は、わたしが風景などを見ているときに味わう、あの体験にとても似通っている。わたしは子どもの頃に見慣れた景色を眺めたように、自分の作品へと眼差(まなざ)しを向ける。制作途中で出現した美しさは上から重ねられていく仕事によって失われ、自分しか知りえない時間の痕跡として、作品の中に折り込まれていく。作品はわたしの手からはみ出し、いつも見知らぬものとしてわたしの目の前に現れる。たとえそれが「完成」したとしても。
C 冒頭からこれまでの記述は幼少期の私的な記憶の追想と、現在の制作についての(バタイユの影響を多分に含んだ)個人的な解釈にすぎない。にもかかわらず、こうした感覚がけしてわたし一人だけのものではなく、多くの人々にとって――日常の中で突如出会う美的体験から、子どもたちによる(注4)プリミティブな造形行為、アーティストと呼ばれる人々による専門的な作品制作に至るまで――あらゆる芸術的体験の根源に関わるものではないかと、わたしには強く感じられるのである。
わたしが幼少の頃に体験し、現在も幾度となく繰り返しているあの感覚、何かを「美しい」と感じたその瞬間に言語的意味が剝奪され、わかりえないものへと変容していく感覚は、それゆえに他者と完全に共有することが不可能なものである。しかし、それはわたしの個人的体験に留(とど)まらず、おそらく「美」あるいは「芸術」というものの本質に関わる事柄である。
ある社会において、「美しい」と言われるものがある。輝く宝石や色とりどりの花束、雲を紅(あか)く染める夕焼け空、(注5)モネの描いた睡蓮(すいれん)や(注6)光琳(こうりん)の屛風(びょうぶ)などを見て、多くの人は「美しい」という感想を持つだろう。ある人にとって「美しい」ものは、おそらく他の人々にとっても概(おおむ)ね「美しい」。そのとき「美しいもの」は、何らかの客観的で社会的な価値を有すると信じられている。
その一方で「美しいもの」は、それを「美しい」と判断する主体の主観的で個人的な価値にも強く支えられている。ゆえにわたしたちは、他の誰も目を留めないものに「美しさ」を見出(みいだ)すこともあれば、人が絶賛する著名な美術作品にどうしても「美しさ」を見いだせないということもある。同じものを「美しい」と思っても、なぜ・どのようにそれを「美しい」と感じるのかは人によって異なる。その理由を他者に説明し尽くすことはおそらく不可能であり、自分自身でさえそのすべてを把握することは困難であるだろう。「美」や「芸術」は、言語的に理解不可能な「わかりえなさ」を必然的に内包している。
人間は社会的な存在であり、大小の共同体の中で他者と言葉を交わし、商品や労働と対価を交換しながら生きている。そこでは様々なものが容易に「交換」可能であると信じられている。コミュニケーションにおける言語的交換や経済的な等価交換は、共通の言語や貨幣価値など、価値(オ)シャクドや概念的枠組(わくぐみ)が他者と共有されていることを前提に成立している。科学的・論理的思考は、対象を分析的に把握・理解し、言語化することによって第三者と交換可能な概念へと分節化することを志向する。
しかし「美しいもの」や「わかりえないもの」は、他者と等価に交換不可能な余剰を多分に含んでおり、その価値を完全に量ることも、言語によって正確に分節化することも不可能である。「美しいもの」は「わかりえなさ」をはらみ、「わかりえないもの」はその「わかりえなさ」ゆえに「美しいもの」へと転じうる。わたしたちが日々対峙(たいじ)している世界――言語的に把握し、価値を客観的に推量できると信じられている世界――のただ中から「美しさ」が出現し、「わかりえないもの」が立ち上がる瞬間、世界はその本来的な「交換不可能性」を露(あら)わにする。D そのとき、暗黙の約束事を共有し、コミュニケーション可能な対象と信じられている他者の外側に、絶対的に「わかりえない」余白としての「他者」の存在が了解される。固定化された自己と世界の枠組(わくぐ)みは根底から揺るがされ、変容を余儀なくされる。
「美しいもの」、そして「芸術」的な体験を通じて露わになる「交換不可能なもの」の存在。それは固定化された「交換」の枠組みをはみ出していく、一方的な「贈与」の次元にあるものである。幼い頃から現在に至るまで、日常のふとした瞬間に、そして作品の制作過程の折々に、わたしをふいに襲ってきた、あの感覚。振り返ってみれば、それは何ものにも代えがたい、「贈与」された時間だったのだろう。
造形活動は、「わかりえないもの」の生成と消滅に繰り返し立ち会う行為である。さらにE 「作品」を制作するということは、「わかりえないもの」の出現に受動的に巻き込まれるばかりでなく、自ら能動的に「わかりえないもの」を生み出し、他者へと「贈与」することである。わたしは「わかりえないもの」の中に「美しさ」を受け取り、「作品」という形でまた別の「美しい何か」へと変換し、新たな「わかりえないもの」を一方的に贈り出す。誰とも交換不可能で、受け取られる保証もないものを。それでもその「わかりえない美しさ」がいつか誰かに受け取られ、その誰かの世界を揺るがすものとなることを、微(かす)かに期待しながら。
(櫻井(さくらい)あすみ「『贈与』としての美術・ABR」による)
(注1)ポスト構造主義 ―― 1960年代後半から1970年代にかけて台頭した思想運動。
(注2)G・バタイユ ―― ジョルジュ・バタイユ(1897―1962)。フランスの思想家。
(注3)ラスコーの壁画 ―― フランス南西部のラスコーにある洞窟に描かれた動物などの壁画。
(注4)プリミティブ ―― 素朴なさま。原始的なさま。
(注5)モネ ―― クロード・モネ(1840―1926)。フランスの画家。
(注6)光琳 ―― 尾形光琳(1658―1716)。江戸時代の画家。
下線部(ア)に相当する漢字を含むものを、次のうちから一つ選べ。
(ア) カタ
- ケンキャクを誇る
- 徒手クウケンで海外に行く
- ケンジツな商売を始める
- 英語力で彼にヒケンする者はいない
正解!素晴らしいです
残念...
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