共通テスト(国語) 過去問
令和8年度(2026年度)本試験
問13 (第2問(小説) 問3)
問題文
「夏休みがすぐだから、学校をそんなに休まないで、よかったね」と母は言った。「新学期がくればまた登校できるわよ」
そんなに長く入院をしていなければならぬのかと尋ねると、母は困ったような表情でうなずいた。だが、真実、勝呂は早く治るよりはこのまま入院が長びくことを心で願っていた。病気のおかげで、自分母を独占できたことを子供心にも知っていたからである。ヴァイオリンから母を奪うためには、彼が治らぬことが必要だった。窓には幾つかの植木鉢が並べられ、そのなかには母の好きなゴムの樹(き)もあった。だがある日、熱のひいた彼がうたた寝からふと眼(め)を開けると、椅子に腰かけた母が、こちらに気がつかず、膝の上に肱(ひじ)をつくようにして、左手の指をしきりに動かしていた。A 彼女が今、何をしているのかがわかった時、勝呂の心には寂しさと怒りに似た気持(きもち)とが同時にこみあげてきた。彼は汗でぬれた寝巻を変えてくれと母に怒鳴り、着変えさせてもらったあともこの寝巻は気に入らぬと言いつづけた。母は最後には怒り部屋を出ていった。
父の姉夫婦が(注1)奉天(ほうてん)から大連(だいれん)に移ってきたのはこの入院中である。勝呂が二十数年たった今でも憶(おぼ)えていることは、病院で、伯母と母との間で行われた言い争いである。はじめはいかにも親しげに話しあっていた二人が、突然、口論をはじめた理由は子供の勝呂にはよく摑(つか)めなかったが、伯母は金歯のいっぱいはいった口をとがらせながら、
「ヴァイオリンもいいけど、女はまず家をまとめるのが仕事だと思うけどね」
この嫌味に母がどう答えたかは憶えておらぬ。記憶にあるのは、膝の上でハンカチを握りしめている彼女の手が震えていたことである。
「この子が病気になったのも」伯母はたたみかけるように「あんたが音楽ばかりにかまけて見てやらなかった為(ため)じゃないのかい」
この言葉を父が伯母に言わせたのか、それともそれは伯母自身の前からの⑤ 考えだったのかどうかはわからない。母がこの言葉にはじめて、自分を他人がどう見ているかに⑥ 気づいたのか、わからない。とに角、その真夜中、勝呂は額にあの指を感じて眼をさました。母は泣いていた。しかし彼はなにも気づかぬふりをして寝床のなかで躰(からだ)を硬くしていた。
退院したあとも、母はヴァイオリンを弾かなくなった。母は普通の母親と同じように、学校から戻る勝呂にはホットケーキをよく作ってくれた。ホットケーキには(注2)ドリコノを沢山かけてあった。
三ヶ月前に翻訳した推理小説が、考えていたよりもずっと売れだした。売れたと言っても、もちろんベスト・セラーなどに到底入るほどではないが、一、二の週刊誌が書評にとりあげてくれると、売行(うれゆ)きが早くなりはじめた。彼の翻訳料は買(かい)とり制だったから版を重ねても支払(しはらい)額は一定していたが、出版社では気をきかせて二万円ほど別に送金してくれた。
妻と子供をつれて街に出た。祭(まつり)の日で街は人ごみで溢(あふ)れていた。警官が沢山辻々(つじつじ)に立って、歌を合唱しながら歩いてくるデモの行列を整理している。
デパートの屋上で子供を遊ばせた。回転する大きなコップに親子三人で乗った。ゆっくりとのぼっていく飛行機にも乗った。飛行機の中からは灰色の東京の街がどこまでも見渡せた。
妻のために帯と、自分のために外国製の万年筆を買うと、もらった二万円はすぐなくなってしまった。惜しいわ、帯なんかいらなかったのにと、妻は半ば嬉(うれ)しそうな、半ば残念そうな顔でしきりに呟(つぶや)いたが、勝呂は、ケチケチするなよ、前から欲しがっていたんだろと答えた。
食堂で子供にはホットケーキを、妻にはアイスクリームをとってやり、自分は麦酒(ビール)を飲みながら窓の下を見おろすと、もうデモの行列は終(おわ)って、その代(かわ)り沢山の家族づれが歩いているのが見えた。幸福感に似た感情がゆっくりと胸に湧いてくる。
「親子三人で」と妻はクリームをなめながら「こんな贅沢(ぜいたく)したなんて始めてね」
「たまにはいいさ。これからも、時々、やろうよ」
答えながら彼は心の中で、こういう生活がなぜ悪いんだと急に考えた。なぜ今更、小説を書く必要があるんだ。俺はこうして結構やっているじゃないか。なぜこの結構な毎日を自分で恥ずかしがる必要があるんだと思った。その時、まるで残酷な悪戯(いたずら)のように勝呂の頭にあの母の死顔が浮かんできた。
長い間、もう母はヴァイオリンを弾かなかった。茶褐色の楽器は(注3)弱音器や弓と一緒にケースの中に入れられて応接間の隅にいつも転がっていた。母のいない留守、勝呂はおそるおそるそのケースをそっと開いて見ることがあったが、絃(げん)をはずされたヴァイオリンはひどくわびしくみえ、弓の先に老婆の白髪のような線がついていた。
昔とちがって母は(注4)満人の女中を指図して食事を作ったり、庭に花を植えたり、彼の勉強を手伝ってくれる。あの頃、勝呂には母の寂しさを感ずるよりは自分の手に戻った彼女との生活がただむしょうに嬉しかったのを憶えている。
B 父も満足そうだった。日曜日、彼は花壇の前にしゃがんで何時間も草をぬいたり、チュウリップの① 苗を植えていた。外では満人の物売りが籠にどっさり入れた海老(えび)を片言の日本語を使いながら売りにくる。庭のアカシヤに真白い花が咲き、勝呂はその花房を母からもらった香水瓶の中に入れて遊んだ。本屋では(注5)内地より一週間ほど遅れて(注6)少年倶楽部(クラブ)が届く。学校から戻ると彼はそれを見ながら日が暮れるまで「冒険ダン吉」や「日の丸旗之助(はたのすけ)」の漫画を書く。
「平凡が一番いい」その頃から父は何処(どこ)の本で読んだのか、しきりにその言葉を繰りかえした。「② 家族の誰も病気せず、何の風波もないのが倖(しあわ)せというものだ。③ 平凡を笑う者は平凡に仕返しされる。④ 人間、高望みをしてはいけない」
その言葉を、母を諭す意味で父がどこかの本から探してきたのかどうかはわからない。その言葉を言われて母がどのような表情をしたかも憶えていない。
もちろん、父と母との間に小さな諍(いさか)いがなかったわけではない。たとえば、月の終りになると父はソロバンを片手に、母のつけた家計簿の頁(ページ)をめくりながらしきりに珠(たま)をはじく。それから小声の、しかし、ぐずぐずした説教が始まる。母は黙ってそれを聞いている。説教がすむと、心配そうに二人を見つめている勝呂に母はa 哀(かな)しそうな微笑をかける。そういう、小さな諍いを除いては、二人は世間並みの夫婦の落(おち)ついた生活を営んでいるように子供の眼にも見えた。
大陸性の大連は夏と冬とが一番長い。大連の夏のことを考える時、勝呂はきまって強い直射日光にさらされた(注7)大広場や西公苑(こうえん)を思いだす。葉の萎えたアカシヤの下で上半身裸の(注8)苦力(クーリー)たちが死んだように地面にころがり眠っている真昼、街にはほとんど人影もなく、辻々には客のいない馬車(マーチヨ)の馬だけが蠅(はえ)を尾で追いながらしきりに毛のぬけた足を動かしている。そんなある日、母は日傘をさしたまま勝呂をつれて黙って歩いていた。黙ったまま、どこまでも歩いた。勝呂が時々、話しかけても、b 哀しそうにうなずくだけで返事をしなかった。どこへ行くのと、訊(たず)ねても首をふるだけだった。やっと(注9)ミルク・ホールで彼にアイスクリームをたべさせながら、自分はさじを取りあげようともせず、何かを考えこんでいた。
「どうしたの」勝呂はクリームを食べるのをやめて母の顔を見あげた。「元気ないよ。病気なの」
心配しなくていい、と母は首をふりc 哀しそうに微笑した。帰りがけ、彼女は浮袋を買い、次の日曜日もし晴れていたら海水浴に連れていくと約束した。
こういうような生活が一年つづいた。誰も母がヴァイオリンを弾かなくなったことを⑦ 不思議には思わない。彼女が普通の主婦と同様にこまごまとした家事に没頭したり、勝呂の宿題を手伝っているのを見ても、⑧ 変(かわ)ったと言う者もいなくなった。父がそのころ勤めていた(注10)満鉄の社員たちが来れば、母は、夜遅くても、満人の女中を手伝わせて、酒を幾度も運んだ。客が酔って大声で軍歌を歌う時、母はあのd 哀しそうな微笑でじっとその姿をみつめていた。
母の音楽学校時代の友人であるSさんが大連にやってきたのはその年の冬だったろうか。その女性は既にヴァイオリンの奏者として、日本でも有名な人だったから、母がかつて演奏会をひらいた青年会館は満員だった。内地の匂いに飢えている満鉄の若い社員たちがつめかけたからである。演奏会が終ったあと、そのSさんは勝呂の家に来て泊(とま)った。勝呂は母とその女性との間に寝かされたから、闇のなかで二人のとり交(かわ)す会話をじっと聞いていた。
「あなたがねえ......、こうなるとは思わなかったわ」とSさんは、うつ伏せになり煙草(たばこ)に火をつけながら言った。「もう弾かないの」
「駄目よ。指がなまっちゃって」
「倖せなの」
充分、満足していると母は、はっきりと答えた。闇にうごく煙草の赤い火口(ひぐち)をみつめながら、勝呂は嬉しい気持でその返事を聞いていた。今、考えれば、あの母の返事は音楽学校時代の友人への対抗心から出たのだろうが、C まだ小学校五年生だった彼には裏にある感情まで到底、みぬくことはできなかったのである。
(注1)奉天から大連 ―― 奉天は中国遼寧(りょうねい)省の省都・瀋陽(しんよう)の旧名。大連も同省の都市名。日露戦争後から第二次世界大戦終戦まで、日本の実質的な統治下にあった。
(注2)ドリコノ ―― 澄んだ黄金色で、甘みの強い滋養飲料。昭和初期に大流行した。ここでは原液が使用されている。
(注3)弱音器 ―― 楽器の音量を抑制したり、音色を変えたりする装置。
(注4)満人の女中 ―― 満人は、「満洲国」設立などで大陸に侵出していた当時の日本が、現地中国人を広く呼んだ言い方。見下した語感をもって使われる場合があった。女中は、雇われて家事をする女性に対する当時の呼称。
(注5)内地 ―― 終戦以前に海外で統治していた土地(外地)に対して、日本本国の領土のことを指す。
(注6)少年倶楽部 ―― 月刊少年雑誌。「冒険ダン吉」や「日の丸旗之助」は連載されていた漫画作品。
(注7)大広場や西公苑 ―― 大連の広場と公園の旧名称。
(注8)苦力 ―― 荷役などに従事する労働者。
(注9)ミルク・ホール ―― 牛乳を中心にパンなども扱う軽食店。
(注10)満鉄 ―― 南満洲鉄道株式会社の略称。
下線部a「哀しそうな微笑をかける」b「哀しそうにうなずく」c「哀しそうに微笑した」d「哀しそうな微笑でじっとその姿をみつめていた」を含む各場面での母の様子についての説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
共通テスト(国語)試験 令和8年度(2026年度)本試験 問13(第2問(小説) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
「夏休みがすぐだから、学校をそんなに休まないで、よかったね」と母は言った。「新学期がくればまた登校できるわよ」
そんなに長く入院をしていなければならぬのかと尋ねると、母は困ったような表情でうなずいた。だが、真実、勝呂は早く治るよりはこのまま入院が長びくことを心で願っていた。病気のおかげで、自分母を独占できたことを子供心にも知っていたからである。ヴァイオリンから母を奪うためには、彼が治らぬことが必要だった。窓には幾つかの植木鉢が並べられ、そのなかには母の好きなゴムの樹(き)もあった。だがある日、熱のひいた彼がうたた寝からふと眼(め)を開けると、椅子に腰かけた母が、こちらに気がつかず、膝の上に肱(ひじ)をつくようにして、左手の指をしきりに動かしていた。A 彼女が今、何をしているのかがわかった時、勝呂の心には寂しさと怒りに似た気持(きもち)とが同時にこみあげてきた。彼は汗でぬれた寝巻を変えてくれと母に怒鳴り、着変えさせてもらったあともこの寝巻は気に入らぬと言いつづけた。母は最後には怒り部屋を出ていった。
父の姉夫婦が(注1)奉天(ほうてん)から大連(だいれん)に移ってきたのはこの入院中である。勝呂が二十数年たった今でも憶(おぼ)えていることは、病院で、伯母と母との間で行われた言い争いである。はじめはいかにも親しげに話しあっていた二人が、突然、口論をはじめた理由は子供の勝呂にはよく摑(つか)めなかったが、伯母は金歯のいっぱいはいった口をとがらせながら、
「ヴァイオリンもいいけど、女はまず家をまとめるのが仕事だと思うけどね」
この嫌味に母がどう答えたかは憶えておらぬ。記憶にあるのは、膝の上でハンカチを握りしめている彼女の手が震えていたことである。
「この子が病気になったのも」伯母はたたみかけるように「あんたが音楽ばかりにかまけて見てやらなかった為(ため)じゃないのかい」
この言葉を父が伯母に言わせたのか、それともそれは伯母自身の前からの⑤ 考えだったのかどうかはわからない。母がこの言葉にはじめて、自分を他人がどう見ているかに⑥ 気づいたのか、わからない。とに角、その真夜中、勝呂は額にあの指を感じて眼をさました。母は泣いていた。しかし彼はなにも気づかぬふりをして寝床のなかで躰(からだ)を硬くしていた。
退院したあとも、母はヴァイオリンを弾かなくなった。母は普通の母親と同じように、学校から戻る勝呂にはホットケーキをよく作ってくれた。ホットケーキには(注2)ドリコノを沢山かけてあった。
三ヶ月前に翻訳した推理小説が、考えていたよりもずっと売れだした。売れたと言っても、もちろんベスト・セラーなどに到底入るほどではないが、一、二の週刊誌が書評にとりあげてくれると、売行(うれゆ)きが早くなりはじめた。彼の翻訳料は買(かい)とり制だったから版を重ねても支払(しはらい)額は一定していたが、出版社では気をきかせて二万円ほど別に送金してくれた。
妻と子供をつれて街に出た。祭(まつり)の日で街は人ごみで溢(あふ)れていた。警官が沢山辻々(つじつじ)に立って、歌を合唱しながら歩いてくるデモの行列を整理している。
デパートの屋上で子供を遊ばせた。回転する大きなコップに親子三人で乗った。ゆっくりとのぼっていく飛行機にも乗った。飛行機の中からは灰色の東京の街がどこまでも見渡せた。
妻のために帯と、自分のために外国製の万年筆を買うと、もらった二万円はすぐなくなってしまった。惜しいわ、帯なんかいらなかったのにと、妻は半ば嬉(うれ)しそうな、半ば残念そうな顔でしきりに呟(つぶや)いたが、勝呂は、ケチケチするなよ、前から欲しがっていたんだろと答えた。
食堂で子供にはホットケーキを、妻にはアイスクリームをとってやり、自分は麦酒(ビール)を飲みながら窓の下を見おろすと、もうデモの行列は終(おわ)って、その代(かわ)り沢山の家族づれが歩いているのが見えた。幸福感に似た感情がゆっくりと胸に湧いてくる。
「親子三人で」と妻はクリームをなめながら「こんな贅沢(ぜいたく)したなんて始めてね」
「たまにはいいさ。これからも、時々、やろうよ」
答えながら彼は心の中で、こういう生活がなぜ悪いんだと急に考えた。なぜ今更、小説を書く必要があるんだ。俺はこうして結構やっているじゃないか。なぜこの結構な毎日を自分で恥ずかしがる必要があるんだと思った。その時、まるで残酷な悪戯(いたずら)のように勝呂の頭にあの母の死顔が浮かんできた。
長い間、もう母はヴァイオリンを弾かなかった。茶褐色の楽器は(注3)弱音器や弓と一緒にケースの中に入れられて応接間の隅にいつも転がっていた。母のいない留守、勝呂はおそるおそるそのケースをそっと開いて見ることがあったが、絃(げん)をはずされたヴァイオリンはひどくわびしくみえ、弓の先に老婆の白髪のような線がついていた。
昔とちがって母は(注4)満人の女中を指図して食事を作ったり、庭に花を植えたり、彼の勉強を手伝ってくれる。あの頃、勝呂には母の寂しさを感ずるよりは自分の手に戻った彼女との生活がただむしょうに嬉しかったのを憶えている。
B 父も満足そうだった。日曜日、彼は花壇の前にしゃがんで何時間も草をぬいたり、チュウリップの① 苗を植えていた。外では満人の物売りが籠にどっさり入れた海老(えび)を片言の日本語を使いながら売りにくる。庭のアカシヤに真白い花が咲き、勝呂はその花房を母からもらった香水瓶の中に入れて遊んだ。本屋では(注5)内地より一週間ほど遅れて(注6)少年倶楽部(クラブ)が届く。学校から戻ると彼はそれを見ながら日が暮れるまで「冒険ダン吉」や「日の丸旗之助(はたのすけ)」の漫画を書く。
「平凡が一番いい」その頃から父は何処(どこ)の本で読んだのか、しきりにその言葉を繰りかえした。「② 家族の誰も病気せず、何の風波もないのが倖(しあわ)せというものだ。③ 平凡を笑う者は平凡に仕返しされる。④ 人間、高望みをしてはいけない」
その言葉を、母を諭す意味で父がどこかの本から探してきたのかどうかはわからない。その言葉を言われて母がどのような表情をしたかも憶えていない。
もちろん、父と母との間に小さな諍(いさか)いがなかったわけではない。たとえば、月の終りになると父はソロバンを片手に、母のつけた家計簿の頁(ページ)をめくりながらしきりに珠(たま)をはじく。それから小声の、しかし、ぐずぐずした説教が始まる。母は黙ってそれを聞いている。説教がすむと、心配そうに二人を見つめている勝呂に母はa 哀(かな)しそうな微笑をかける。そういう、小さな諍いを除いては、二人は世間並みの夫婦の落(おち)ついた生活を営んでいるように子供の眼にも見えた。
大陸性の大連は夏と冬とが一番長い。大連の夏のことを考える時、勝呂はきまって強い直射日光にさらされた(注7)大広場や西公苑(こうえん)を思いだす。葉の萎えたアカシヤの下で上半身裸の(注8)苦力(クーリー)たちが死んだように地面にころがり眠っている真昼、街にはほとんど人影もなく、辻々には客のいない馬車(マーチヨ)の馬だけが蠅(はえ)を尾で追いながらしきりに毛のぬけた足を動かしている。そんなある日、母は日傘をさしたまま勝呂をつれて黙って歩いていた。黙ったまま、どこまでも歩いた。勝呂が時々、話しかけても、b 哀しそうにうなずくだけで返事をしなかった。どこへ行くのと、訊(たず)ねても首をふるだけだった。やっと(注9)ミルク・ホールで彼にアイスクリームをたべさせながら、自分はさじを取りあげようともせず、何かを考えこんでいた。
「どうしたの」勝呂はクリームを食べるのをやめて母の顔を見あげた。「元気ないよ。病気なの」
心配しなくていい、と母は首をふりc 哀しそうに微笑した。帰りがけ、彼女は浮袋を買い、次の日曜日もし晴れていたら海水浴に連れていくと約束した。
こういうような生活が一年つづいた。誰も母がヴァイオリンを弾かなくなったことを⑦ 不思議には思わない。彼女が普通の主婦と同様にこまごまとした家事に没頭したり、勝呂の宿題を手伝っているのを見ても、⑧ 変(かわ)ったと言う者もいなくなった。父がそのころ勤めていた(注10)満鉄の社員たちが来れば、母は、夜遅くても、満人の女中を手伝わせて、酒を幾度も運んだ。客が酔って大声で軍歌を歌う時、母はあのd 哀しそうな微笑でじっとその姿をみつめていた。
母の音楽学校時代の友人であるSさんが大連にやってきたのはその年の冬だったろうか。その女性は既にヴァイオリンの奏者として、日本でも有名な人だったから、母がかつて演奏会をひらいた青年会館は満員だった。内地の匂いに飢えている満鉄の若い社員たちがつめかけたからである。演奏会が終ったあと、そのSさんは勝呂の家に来て泊(とま)った。勝呂は母とその女性との間に寝かされたから、闇のなかで二人のとり交(かわ)す会話をじっと聞いていた。
「あなたがねえ......、こうなるとは思わなかったわ」とSさんは、うつ伏せになり煙草(たばこ)に火をつけながら言った。「もう弾かないの」
「駄目よ。指がなまっちゃって」
「倖せなの」
充分、満足していると母は、はっきりと答えた。闇にうごく煙草の赤い火口(ひぐち)をみつめながら、勝呂は嬉しい気持でその返事を聞いていた。今、考えれば、あの母の返事は音楽学校時代の友人への対抗心から出たのだろうが、C まだ小学校五年生だった彼には裏にある感情まで到底、みぬくことはできなかったのである。
(注1)奉天から大連 ―― 奉天は中国遼寧(りょうねい)省の省都・瀋陽(しんよう)の旧名。大連も同省の都市名。日露戦争後から第二次世界大戦終戦まで、日本の実質的な統治下にあった。
(注2)ドリコノ ―― 澄んだ黄金色で、甘みの強い滋養飲料。昭和初期に大流行した。ここでは原液が使用されている。
(注3)弱音器 ―― 楽器の音量を抑制したり、音色を変えたりする装置。
(注4)満人の女中 ―― 満人は、「満洲国」設立などで大陸に侵出していた当時の日本が、現地中国人を広く呼んだ言い方。見下した語感をもって使われる場合があった。女中は、雇われて家事をする女性に対する当時の呼称。
(注5)内地 ―― 終戦以前に海外で統治していた土地(外地)に対して、日本本国の領土のことを指す。
(注6)少年倶楽部 ―― 月刊少年雑誌。「冒険ダン吉」や「日の丸旗之助」は連載されていた漫画作品。
(注7)大広場や西公苑 ―― 大連の広場と公園の旧名称。
(注8)苦力 ―― 荷役などに従事する労働者。
(注9)ミルク・ホール ―― 牛乳を中心にパンなども扱う軽食店。
(注10)満鉄 ―― 南満洲鉄道株式会社の略称。
下線部a「哀しそうな微笑をかける」b「哀しそうにうなずく」c「哀しそうに微笑した」d「哀しそうな微笑でじっとその姿をみつめていた」を含む各場面での母の様子についての説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
- 下線部aを含む場面は、不安げに見つめている勝呂の存在に気がついているところではあるが、母が父の小言に対して実は不満を抱いていることを勝呂にさとられないように、気をそらそうとしている。
- 下線部bを含む場面は、話しかけてくる勝呂にかろうじて反応を示しているところではあるが、日頃の抑圧された状況のせいで勝呂の存在まで腹立たしく感じてしまうほどに、追い詰められている。
- 下線部cを含む場面は、母を思う勝呂の気遣いに応えようとしているところではあるが、安心させたいという思いとは裏腹にうまくふるまえずに、息子の憂慮を確信へと深めさせてしまっている。
- 下線部dを含む場面は、勝呂に見られていることを認識しているとは言えないところではあるが、求められる役割を果たしてきたなかで染みついた表情に、積み重なった辛(つら)さがにじみでてしまっている。
正解!素晴らしいです
残念...
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