大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問25 (第3問(古文) 問5)
問題文
次の文章は源俊頼(としより)が著した『俊頼髄脳(としよりずいのう)』の一節で、殿上人たちが、皇后寛子のために、寛子の父・藤原頼通の邸内で船遊びをしようとするところから始まる。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に番号を付してある。
[1] 宮司(みやづかさ)(注1)ども集まりて、船をばいかがすべき、紅葉(もみぢ)を多くとりにやりて、船の屋形にして、船(ふな)さし(注2)は侍(さぶらひ)のa 若からむをさしたりければ、俄(にはか)に狩袴(かりばかま)染めなどして(注3)きらめきけり。その日になりて、人々、皆参り集まりぬ。「御船はまうけたりや」と尋ねられければ、「皆まうけて侍り」と申して、その期(ご)になりて、島がくれ(注4)より漕(こ)ぎ出(い)でたるを見れば、なにとなく、ひた照(て)りなる船を二つ、装束(さうぞ)き出でたるけしき、いとをかしかりけり。
[2] 人々、皆乗り分かれて、管絃(くわんげん)の具ども、御前より申し出だして(注5)、そのことする人々、前におきて、ア やうやうさしまはす程に、南の普賢堂に、宇治の僧正(注6)、僧都(そうづ)の君と申しける時、御修法(みずほふ)しておはしけるに、かかることありとて、もろもろの僧たち、大人、若き、集まりて、庭にゐなみたり。童部(わらはべ)、供(とも)法師にいたるまで、繡花(しうくわ)(注7)装束きて、さし退(の)きつつ群がれゐたり。
[3] その中に、良暹(りやうぜん)といへる歌よみのありけるを、殿上人、見知りてあれば、「良暹がさぶらふか」と問ひければ、良暹、目もなく笑みて(注8)、平(ひら)がりてさぶらひければ、かたはらに若き僧の侍りけるが知り、「b さに侍り」と申しければ、「あれ、船に召して乗せて連歌(れんが)(注9)などせさせむは、いかがあるべき」と、いま一つの船の人々に申しあはせければ、「いかが。あるべからず。後の人や、さらでもありぬべかりけることかなとや申さむ」などありければ、さもあることとて、乗せずして、たださながら連歌などはせさせてむなど定めて、近う漕ぎよせて、「良暹、さりぬべからむ連歌などして参らせよ」と、人々申されければ、さる者にて、もしさやうのこともやあるとてc まうけたりけるにや、聞きけるままに程もなくかたはらの僧にものを言ひければ、その僧、イ ことごとしく歩みよりて、
「もみぢ葉のこがれて見ゆる御船(みふね)かな
と申し侍るなり」と申しかけて帰りぬ。
[4] 人々、これを聞きて、船々に聞かせて、付けむとしけるが遅かりければ、船を漕ぐともなくて、やうやう築島(つくじま)をめぐりて、一めぐりの程に、付けて言はむとしけるに、え付けざりければ、むなしく過ぎにけり。「いかに」「遅し」と、たがひに船々あらそひて、二(ふた)めぐりになりにけり。なほ、え付けざりければ、船を漕がで、島のかくれにて、「ウ かへすがへすもわろきことなり、これをd 今まで付けぬは。日はみな暮れぬ。いかがせむずる」と、今は、付けむの心はなくて、付けでやみなむことを嘆く程に、何事もe 覚えずなりぬ。
[5] ことごとしく管絃の物の具申しおろして船に乗せたりけるも、いささか、かきならす人もなくてやみにけり。かく言ひ沙汰する程に、普賢堂の前にそこばく多かりつる人、皆立ちにけり。人々、船よりおりて、御前にて遊ばむなど思ひけれど、このことにたがひて、皆逃げておのおの失(う)せにけり。宮司、まうけしたりけれど、いたづらにてやみにけり。
(注1)宮司 ――― 皇后に仕える役人。
(注2)船さし ――― 船を操作する人。
(注3)狩袴染めなどして ――― 「狩袴」は狩衣を着用する際の袴。これを、今回の催しにふさわしいように染めたということ。
(注4)島がくれ ――― 島陰。頼通邸の庭の池には島が築造されていた。そのため、島に隠れて邸(やしき)側からは見えにくいところがある。
(注5)御前より申し出だして ――― 皇后寛子からお借りして。
(注6)宇治の僧正 ――― 頼通の子、覚円。寛子の兄。寛子のために邸内の普賢堂で祈禱(きとう)をしていた。
(注7)繡花 ――― 花模様の刺繍(ししゅう)。
(注8)目もなく笑みて ――― 目を細めて笑って。
(注9)連歌 ――― 五・七・五の句と七・七の句を交互に詠んでいく形態の詩歌。前の句に続けて詠むことを、句を付けるという。
[1]〜[3]段落についての説明として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問25(第3問(古文) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)
次の文章は源俊頼(としより)が著した『俊頼髄脳(としよりずいのう)』の一節で、殿上人たちが、皇后寛子のために、寛子の父・藤原頼通の邸内で船遊びをしようとするところから始まる。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に番号を付してある。
[1] 宮司(みやづかさ)(注1)ども集まりて、船をばいかがすべき、紅葉(もみぢ)を多くとりにやりて、船の屋形にして、船(ふな)さし(注2)は侍(さぶらひ)のa 若からむをさしたりければ、俄(にはか)に狩袴(かりばかま)染めなどして(注3)きらめきけり。その日になりて、人々、皆参り集まりぬ。「御船はまうけたりや」と尋ねられければ、「皆まうけて侍り」と申して、その期(ご)になりて、島がくれ(注4)より漕(こ)ぎ出(い)でたるを見れば、なにとなく、ひた照(て)りなる船を二つ、装束(さうぞ)き出でたるけしき、いとをかしかりけり。
[2] 人々、皆乗り分かれて、管絃(くわんげん)の具ども、御前より申し出だして(注5)、そのことする人々、前におきて、ア やうやうさしまはす程に、南の普賢堂に、宇治の僧正(注6)、僧都(そうづ)の君と申しける時、御修法(みずほふ)しておはしけるに、かかることありとて、もろもろの僧たち、大人、若き、集まりて、庭にゐなみたり。童部(わらはべ)、供(とも)法師にいたるまで、繡花(しうくわ)(注7)装束きて、さし退(の)きつつ群がれゐたり。
[3] その中に、良暹(りやうぜん)といへる歌よみのありけるを、殿上人、見知りてあれば、「良暹がさぶらふか」と問ひければ、良暹、目もなく笑みて(注8)、平(ひら)がりてさぶらひければ、かたはらに若き僧の侍りけるが知り、「b さに侍り」と申しければ、「あれ、船に召して乗せて連歌(れんが)(注9)などせさせむは、いかがあるべき」と、いま一つの船の人々に申しあはせければ、「いかが。あるべからず。後の人や、さらでもありぬべかりけることかなとや申さむ」などありければ、さもあることとて、乗せずして、たださながら連歌などはせさせてむなど定めて、近う漕ぎよせて、「良暹、さりぬべからむ連歌などして参らせよ」と、人々申されければ、さる者にて、もしさやうのこともやあるとてc まうけたりけるにや、聞きけるままに程もなくかたはらの僧にものを言ひければ、その僧、イ ことごとしく歩みよりて、
「もみぢ葉のこがれて見ゆる御船(みふね)かな
と申し侍るなり」と申しかけて帰りぬ。
[4] 人々、これを聞きて、船々に聞かせて、付けむとしけるが遅かりければ、船を漕ぐともなくて、やうやう築島(つくじま)をめぐりて、一めぐりの程に、付けて言はむとしけるに、え付けざりければ、むなしく過ぎにけり。「いかに」「遅し」と、たがひに船々あらそひて、二(ふた)めぐりになりにけり。なほ、え付けざりければ、船を漕がで、島のかくれにて、「ウ かへすがへすもわろきことなり、これをd 今まで付けぬは。日はみな暮れぬ。いかがせむずる」と、今は、付けむの心はなくて、付けでやみなむことを嘆く程に、何事もe 覚えずなりぬ。
[5] ことごとしく管絃の物の具申しおろして船に乗せたりけるも、いささか、かきならす人もなくてやみにけり。かく言ひ沙汰する程に、普賢堂の前にそこばく多かりつる人、皆立ちにけり。人々、船よりおりて、御前にて遊ばむなど思ひけれど、このことにたがひて、皆逃げておのおの失(う)せにけり。宮司、まうけしたりけれど、いたづらにてやみにけり。
(注1)宮司 ――― 皇后に仕える役人。
(注2)船さし ――― 船を操作する人。
(注3)狩袴染めなどして ――― 「狩袴」は狩衣を着用する際の袴。これを、今回の催しにふさわしいように染めたということ。
(注4)島がくれ ――― 島陰。頼通邸の庭の池には島が築造されていた。そのため、島に隠れて邸(やしき)側からは見えにくいところがある。
(注5)御前より申し出だして ――― 皇后寛子からお借りして。
(注6)宇治の僧正 ――― 頼通の子、覚円。寛子の兄。寛子のために邸内の普賢堂で祈禱(きとう)をしていた。
(注7)繡花 ――― 花模様の刺繍(ししゅう)。
(注8)目もなく笑みて ――― 目を細めて笑って。
(注9)連歌 ――― 五・七・五の句と七・七の句を交互に詠んでいく形態の詩歌。前の句に続けて詠むことを、句を付けるという。
[1]〜[3]段落についての説明として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- 宮司たちは、船の飾り付けに悩み、当日になってようやくもみじの葉で飾った船を準備し始めた。
- 宇治の僧正は、船遊びの時間が迫ってきたので、祈禱を中止し、供の法師たちを庭に呼び集めた。
- 良暹は、身分が低いため船に乗ることを辞退したが、句を求められたことには喜びを感じていた。
- 殿上人たちは、管絃や和歌の催しだけでは後で批判されるだろうと考え、連歌も行うことにした。
- 良暹のそばにいた若い僧は、殿上人たちが声をかけてきた際、かしこまる良暹に代わって答えた。
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この過去問の解説 (3件)
01
各段落の内容を正しく読み取れているかが問われる問題です。
各選択肢を丁寧に検証し、不正確な情報を含んでいるものを除外していきましょう。
[1]段落の内容です。
第1文で船遊びの準備をしている様子が書かれ、第2文「その日になりて…」以降が当日の様子です。
したがって、当日になってようやく船を準備し始めたという解釈は誤りです。
[2]段落の内容です。
宇治の僧正が祈祷をしているのを知った僧たちや様々な人々が庭に集まった場面であり、宇治の僧正が供の法師たちを呼び集めたということは書かれていないため、誤りです。
[3]段落の内容です。
良暹が船に乗らなかったのは殿上人たちがそう決めたためであり、良暹が自ら辞退したという解釈は誤りです。
[3]段落の内容です。
殿上人たちの会話文の中にある「後の人や、さらでもありぬべかりけることかなとや申さむ」という一節を正しく読み取れるかがポイントです。
ここは「(良暹を船に乗せて連歌をさせることについて)後の世の人々は、『そんなことをしなくても十分に風流を尽くせたはずだったのになぁ』と申すだろう」という意味になります。
したがって、管絃や和歌の催しだけでは後で批判されるだろうと考えている描写は無いため、この解釈は誤りです。
[3]段落の内容です。
本文の内容を正しく捉えているこの選択肢が正解です。
各段落の内容を正しく読み取れているかが問われる問題でした。
正解を絞り込むためには本文を正しく理解する必要があります。
特に、平仮名が連続する部分は一度読んだだけでは意味が分かりづらいので、斜線で区切って品詞分解しながら読むようにすると良いでしょう。
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02
この問題を解答するポイントは以下の2点です。
①各段落で何が起こっているか大まかでいいので把握できているか。
②最も適当なもの=「筆者の意図に沿っているもの」を選ぶこと。
本文に「その日になりて」とあるので、宮司たちは事前に船の飾り付けを行っていたことが推測できるため、不適当です。
祈祷を中止し僧達を呼び集めたという記述はないので拡大解釈と言えるため、不適当です。
良暹が乗船を辞退した記述はなく、句を求められたことに対して喜んでいる描写もないため、不適当です。
連歌は良暹がたまたまその場にいたことから思いついた趣向であり、後の批判を心配していた件は、良暹を乗船させるか否かのことであるため、不適当です。
文章の内容に沿った記述のため、正解です。
最初に提示したとおり、解答するポイントは以下の2点です。
①各段落で何が起こっているか大まかでいいので把握できているか。
→この設問では詳細な現代語訳までは求められていませんので、大まかに流れが把握できると良いと思います。
【1】役人達が船を浮かべて紅葉狩りの計画を立て船を飾り、狩袴を染め、準備をしました。
当日になり、人々が集まると、島隠れから輝く船が2艘出てきて、とても素敵でした。
【2】人々は別れて船に乗り、皇后様から借りた楽器の演奏を行う者達を前に乗せて船を動かしていると普賢堂の前に老若たくさんの僧達が居並んでいました。
僧達は皆、花模様の詩集の装束を着て座っていました。
【3】その中に良暹という和歌の上手い僧がいることを知り合いの殿上人が気がつき、声をかけると良暹は笑いかけました。
良暹の隣にいた僧が「そうでございます」と答えると、周囲の人々から「良暹を船に乗せて連歌をさせよう」と声が上がりました。
「あとでこの話を聞いた人がそんなことをしなくてもと言うだろう」と船に乗せることは辞めたが、連歌をさせたかったので船を近づけて「連歌を詠みなさい」と命じると、良暹は隣にいた僧に言付けをしました。
その僧は連歌を伝えると元の場所に戻りました。
②最も適当なもの=「筆者の意図に沿っているもの」を選ぶこと。
→選択肢を選定する際、勝手な行間の読み過ぎが邪魔になることが多々発生します。
・選択肢の文章と問題の本文が示す言葉にずれがないか。
・書かれていない背景を作問者が拡大解釈のもとで示していないか。
上記に注意し、選択肢のおかしいと思った箇所に印をつけると検討しやすく、見直しもやりやすくなります。
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03
物語の前半の大筋を理解しているかが問われています。
正解の選択肢は「」です。
どこが誤りかも含めて各選択肢を見ていきましょう。
不適当です。
段落[1]の全体にわたり、立派に飾り付けた船を準備していた旨が書かれています。
「まうく(設く)」は「準備する」の意味です。
不適当です。
「かかることありとて〜」の文章で、宇治の僧正は事前に人を庭へ集めていたことが書かれています。
また、祈祷を中止にしてまで殿上人の遊びに付き合うような罰当たりなことはしませんし、殿上人の来訪予定があればよほどでない限り祈祷などは時間をずらして出迎えるのが普通です。
前半後半いずれも不適当です。
良暹が船に乗ることを辞退したのではなく、殿上人たちが勝手に話し合って「良暹は乗りたくないかもしれない」と結論づけた結果、若い僧が伝令することになっています。
また、喜びをあらわにしているのは良暹よりも、良暹を慕う「若き僧」です。
不適当です。
遊びの話のため、何をしようと誰かに批判されることはありません。
また連歌を始めたのは批判を避けるためではなく、歌の名手の良暹がいたからです。
いなければ船遊びや管弦を聞いて終わったことでしょう。
適当です。
名前を呼ばれたとはいえ、一介の僧侶が身分の高い人と直接話すのはマナー違反の時代です。
そのため若き僧を伝言係として使う様子が段落[3]で描かれており、適当といえます。
ここまで下線部で細かな品詞や意味を問うてきましたが、細部だけでなく全体の流れもつかめているかが問われている問題です。
まずは古文に慣れること、単語がいくつかわからなくても大筋をとらえることが大事です。
そのあとは現代文と同じように、該当部分を文章中から探し正誤を確かめましょう。
その後の要約問題にもつながるため、確実に正解しておきたい問題です。
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