共通テスト(国語) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問37 (第5問(漢文) 問8)
問題文
次の【文章Ⅰ】は、『論語』の一節と、それについて江戸時代の漢学者である皆川淇園(みながわきえん)(1735―1807)が著した注釈であり、【文章Ⅱ】は、淇園の弟子である田中履堂(たなかりどう)(1785―1830)が著した読書論である。これらを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で返り点・送り仮名を省いたところがある。
(注1)賜 ――― 孔子の門人である子貢。賜は名。
(注2)一似 ――― 一つのことで。
(注3)夫子 ――― 先生。ここでは孔子のこと。
(注4)諸経 ――― 『詩経』『書経』といった儒教の古典。
(注5)疑言 ――― 推し量って言う。
(注6)龐雑冗乱 ――― 雑然としてまとまりがない。
(注7)先師 ――― すでに亡くなった先生。
(注8)便捷 ――― 早道である。
(注9)粗渉 ――― 大ざっぱに目を通す。
(注10)欽羨 ――― 敬いあこがれる。
二重傍線部b「亦」と同じ意味で用いられている「また」として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
(注1)賜 ――― 孔子の門人である子貢。賜は名。
(注2)一似 ――― 一つのことで。
(注3)夫子 ――― 先生。ここでは孔子のこと。
(注4)諸経 ――― 『詩経』『書経』といった儒教の古典。
(注5)疑言 ――― 推し量って言う。
(注6)龐雑冗乱 ――― 雑然としてまとまりがない。
(注7)先師 ――― すでに亡くなった先生。
(注8)便捷 ――― 早道である。
(注9)粗渉 ――― 大ざっぱに目を通す。
(注10)欽羨 ――― 敬いあこがれる。
二重傍線部b「亦」と同じ意味で用いられている「また」として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
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次の【文章Ⅰ】は、『論語』の一節と、それについて江戸時代の漢学者である皆川淇園(みながわきえん)(1735―1807)が著した注釈であり、【文章Ⅱ】は、淇園の弟子である田中履堂(たなかりどう)(1785―1830)が著した読書論である。これらを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で返り点・送り仮名を省いたところがある。
(注1)賜 ――― 孔子の門人である子貢。賜は名。
(注2)一似 ――― 一つのことで。
(注3)夫子 ――― 先生。ここでは孔子のこと。
(注4)諸経 ――― 『詩経』『書経』といった儒教の古典。
(注5)疑言 ――― 推し量って言う。
(注6)龐雑冗乱 ――― 雑然としてまとまりがない。
(注7)先師 ――― すでに亡くなった先生。
(注8)便捷 ――― 早道である。
(注9)粗渉 ――― 大ざっぱに目を通す。
(注10)欽羨 ――― 敬いあこがれる。
二重傍線部b「亦」と同じ意味で用いられている「また」として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
(注1)賜 ――― 孔子の門人である子貢。賜は名。
(注2)一似 ――― 一つのことで。
(注3)夫子 ――― 先生。ここでは孔子のこと。
(注4)諸経 ――― 『詩経』『書経』といった儒教の古典。
(注5)疑言 ――― 推し量って言う。
(注6)龐雑冗乱 ――― 雑然としてまとまりがない。
(注7)先師 ――― すでに亡くなった先生。
(注8)便捷 ――― 早道である。
(注9)粗渉 ――― 大ざっぱに目を通す。
(注10)欽羨 ――― 敬いあこがれる。
二重傍線部b「亦」と同じ意味で用いられている「また」として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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- これはまたとない絶好のチャンスだ。
- 校長または教頭が説明に来るはずだ。
- 勝負では、運もまた実力のうちである。
- 友であり、そのうえまたライバルである。
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この過去問の解説 (3件)
01
「また」という単語は現代語で考えてもいくつかの意味がありますが、まさにそうした意味の違いを問う問題でした。
この意味の違いを明らかにするには、各選択肢の「また」を言い換えるといいでしょう。
そうすると「またとない」は「二度とない、再びとない」の意味となります。
「校長または教頭」は「もしくは、あるいは」でORの意味になることがわかります。
「運もまた実力」は「〜もまた同様に」の意味です。
「その上また」は「さらに、その上に」です。
これらの意味で最も適当なものは「勝負では、運もまた実力のうちである。」になります。
これは「再び」の意味ですので、不適です。
これは「もしくは」の意味ですので、不適です。
これは難しいところですが、「Aであり、その上またBである」というときの「また」は同じ物事・人物に対して累加しているものです。「諸経を多く学ぶ」ことと、「よくその文を強記して知る」ことは果たして同じ物事について重ねているものかと言われると、並列的に「AもBも」と並べる言い方の方が相応しく見えるのではないでしょうか。よってこれも惜しいところですが不適です。
該当の一語の意味にどんなものがあるかを見分けるまでは簡単ですが、どの意味が正解かは某線部の前後も踏まえて中身を理解しないと解けない問題だったかと思います。漢文は句法や漢字の単語など、断片的な暗記、あるいは部分の暗記でどうにかなってしまう科目と思われがちですが(そして実際そういう面もあるのですが)、古文や英語の長文と同じように、本文の内容を理解する部分も取り組んでみましょう。
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02
「亦」は、
先に述べたものと同じ意味であることを表す語です。
以上のことをふまえて各選択肢を検討していきます。
行為の反復の意味で使われています。
よって不適です。
校長と教頭は同じ意味ではありません。
よって不適です。
適当な選択肢です。
「運」=「実力のうち」という使われ方をしています。
物事の添加としての意味で使われています。
よって不適です。
「亦」以外にも「また」と読む漢字が複数あります。
それぞれの意味の違いを理解しておきましょう。
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03
「また」という語句の意味を把握した上で使い分けることができるかが問われる問題です。
「また」の意味
①二度。ふたたび。
②あるいは。
③等しく。
④さらに。その上。
二重傍線部bの「亦」は、「沢山の書物に大雑把に目を通すよりも、一冊の書物に精通する方がよい。視野が狭くなるように思うかもしれないが、これもまた、実は博学に通ずるのだ」という文章の中で使われています。
この文章の前には「日々数ページの文章をただ読み通すより、日々数文字ずつ理解していく方がよい。遠回りのようだが、かえってその方が早道なのだ」という文章があることから、二重傍線部bの「亦」は前の文を受けて、「(前述の内容と)等しく、実は博学に通ずるのだ」という文脈で使われていると判断できます。
「二度と。ふたたび」の意味で使われているため、二重傍線部aでの意味とは合致しません。
「あるいは」の意味で使われているため、二重傍線部aでの意味とは合致しません。
「等しく」の意味で使われており、二重傍線部bでの意味と合致しているこの選択肢が正解です。
「さらに。その上」という意味で使われており、二重傍線部aでの意味とは合致しません。
前問、本問それぞれにおける「また」の意味の使い分けを問われる問題でした。
・これはまたとない絶好のチャンスだ。
・校長または教頭が説明に来るはずだ。
上記の2つの選択肢は前問、本問ともに該当しないことは文脈から明らかでしょう。
・勝負では、運もまた実力のうちである。
・友であり、そのうえまたライバルである。
迷うのはこの2つかと思われますが、本番の試験では2つの問題のうち自信のある方をまず確定させて、その次にもう一方を消去法で決めるというアプローチも有効です。
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