大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和7年度(2025年度)追・再試験
問17 (第2問(小説) 問7)
問題文
まぶたを開くと、木蓮(もくれん)の枝から、白いはなびらが一枚真下に落ちた。
それがあまりにたやすい落ち方だったので、だから、もう家の中に入ろうと父に声をかけようとしたら、蝶(ちょう)の羽ばたきみたいなゆっくりと不規則な砂利を踏む音が聞こえてきた。澄香の足音だ。サーモンピンクのワンピースに黒のライダースジャケットを着た澄香が庭へ現れる。
「ただいま」
「おかえり」
澄香が私の隣に座ると、窓辺の空気がたゆんだようになり、からだから力が抜けてゆるんでゆく。
「みんなのふつうより、大事なのはきみのふつう」隣で上着のポケットに両手を入れたままの澄香が言った。
「なにそれ?」
「今日、ナバタメさんが施設の壁面に設置した町会の懸垂幕のスローガン。なかなか、いいでしょ。残念なことに、その前を通り過ぎるほとんどの人は気付いてないみたいだけど」
「なかなか、いいかも」と考えずに返答する。通常から自分のふつうを優先し過ぎている(ア)きらいのある私は、みんなの中にいると不安になる。あまり興味のないことをそれでもみんなと笑いながら話していると、体温が低くなってきて、ああ、魚類になりたい、などと思い始める。①みんなの中にあるとされているふつうと呼ばれるものは、自分のふつうの一番外側を薄っぺらく剥ぎ取ってくっつけ合わせたような、すぐにでも破れそうな球体みたいなもので、脆(もろ)いのを知っているのに、その球体の中の方が安楽だと思えてしまうA 危険な装置のようで、呪いの文句のようだ。けれど、信念だとか、誇りみたいなものを持つことは、誰かに対する暴力につながるのではないか、とも恐れている。
「家に帰る前にこの懸垂幕見たら、なんだか後押しされる気がするの」
「後押しって?」と澄香に聞く。
「また明日って思えることの後押し。また明日今日と同じ時間に起きよう、とか、また明日朝礼の時は顔を上げてよう、とか、また明日帰りにスーパーマーケットに寄って魚の品定めをしようとか、ただ、今日の続きを繰り返せば大丈夫って、なんとなく思える気がする」
また明日、と思うことが簡単ではなくなったのはいつからだろう。
「しかも、今回の懸垂幕のフォントは明朝体(みんちょうたい)だったんだよね」
「そうなんだ」
「ゴシック体より、いいでしょ」
「いいかも」とやはり考えずに返事する。
風が通ってゆく。棕櫚(注1)の葉先が揺れる。こうしていると、今日がいつのことだかわからなくなるようだった。④昨日も、今日も、明日もなくなり、わたしたちは、生まれた順番も、男や女という区別も、父と娘という関係も取っ払って、いっこずつのただの鉱石みたいになってここに転がって、長いあいだ語らい合っているような気持ちになる。この星が滅んでも、石になったわたしたちは宇宙で転がっていられるような気持ちになる。
B 澄香は仕事や同僚について、毎日のようにわたしたちに話した。わたしたちに話すことが、世界を納得するための彼女の方法なのだと思う。澄香はひとつひとつの物事を肯定的に納得しながら、進みたいひとなのだ。
⑤毎日物語の続きを聴いているようなわたしたちは、行ったことのない澄香の働いている場所を細部まで思い浮かべることができた。保健所と文化センターが入る地下一階、地上三階建ての古びた施設。ススキのような色の皺(しわ)の付きにくい布地の制服を着て、清掃をして、ゴミの回収と分別を行い、文化センターで催事があるときは集会室にパイプ椅子やテーブルを要望通りの位置へ並べて準備をし、終了後には元の位置に戻す。保健所でこどもたちの検診のあった日は、終わった後も施設のそこかしこに彼らの声が残っているようで、その声までも拾い集めるように片付けをした。ちょっと待って、その振り込み、とか、つくっていこう、誰かが君を語ることのできる街、とか、一寸先は少し明るいはず、とか、あなたと一緒に月しろ(注2)を待つ、などと書かれた行政や町会の標語の懸垂幕を施設の外壁に下げる。これはナバタメさんに任された仕事で、この仕事を任されると一人前と認められることになる。そして、ナバタメさんはこの標語を決める会議になぜか時折参加しているらしい②(けれど、これらの文言は本当に外壁に下げられているのだろうか)。掃除機は、子熊くらいの大きさと重さであり③(と、澄香が言う)、これを引っ張りながらよく滑る廊下を移動して行く。掃除中のコードは、歩行者の邪魔にならないように、見た目もすっきりしなければならないというルールがあって、壁と並行にして沿わせて移動しなくてはならない。文化センターの第四金曜日の午後の琴のサークルの時空を曲げるような、半永久的に続くような弦を弾く音を聴きながら、階段の滑り止めをひとすじずつ掃除するのが澄香の一番好きな作業だった。
⑥ナバタメさんにも会ったことはない。漢字の表記も知らない。でも、彼のことをよく知っている。晴れている日よりも、曇り空で、雨の降る直前の匂いが漂うような、そんなのが似合うひと。澄香の職場の一年先輩で年齢は澄香より十五歳上の四十四歳、痩(や)せ型、趣味は川釣り、歩いていると誰かの落し物を見つけて拾うことが多くて、宴席は常に壁寄りを好み、ずっと枝豆なんかをつまんでいる。仕事の手順や職場のひととの付き合い方というような話よりも、昨日釣った魚やその川水の冷たさや透明さや、岩に這(は)う苔(こけ)のやわらかさ、そんなことを話すひとで、少し寂しがりで、夜になると、これは私の想像だけど、少年の頃から親しんでいる詩集の中からその晩にふさわしい一篇(ぺん)の詩を選び出し、その世界にゆっくりと身を投じてゆくように読んでから眠りに就くひとだ。
澄香のこの職場は彼女が美大(注3)を卒業してから幾つ目だろう。この前は商店街にある耳鼻科の受付だった。耳鼻科の前は246号線(注4)の向こう側の学校の給食センター、給食センターの前は馬喰町(ばくろちょう)(注5)の布問屋、その前は外苑(がいえん)のデザイン事務所。今の仕事は私と同じく今年で三年目だから、これまでで最も続いていることになる。
わたしたち姉妹は、仕事が長続きしない。
「それでも働き続けているのだから、上出来じゃない」と父は言うものだから、それもそうか、と簡単にわたしたちは腑(ふ)に落ちる。父は些細なことを上出来じゃない、と褒める。出汁(だし)巻きたまごが少し破れてしまった時や、切り返し(注6)をしながらバックで駐車をした時や、忘れ物に気が付いて急いで家に取りに戻った時。新しい仕事に就き、父に上出来じゃないと言ってもらい、今度は、きちんとしようと毎回思うけれど、しばらくすると澄香は物事を納得できなくなり、私はC 水越しに見るようなぼやけた世界がさらに歪(ゆが)んで見えてくるのだった。
「春野の会社の主任さんは、今は週に何日同居してるの?」
「週二日のままだよ」
主任は二年程前から妻子と別居しており、最近になって妻子のいる家で週二日過ごすことになっていた。
「週休二日か」「週休?妻子と過ごす日って休日の類(たぐい)なのかな?」「休日じゃないの?」「でも、同居の前日は、主任夕方から電話のかけ違いが(イ)やたら多くなるよ」とわたしたちが話してると、父が、まあでもそれが主任さんたちのふつうなんでしょう、と言った。
ひとりだったり、三人だったりで暮らしている主任のいる衛生用品を扱う小さな商社が、私の三つ目の勤め先だった。急行の停(と)まらない最寄り駅から歩いて十五分程の場所にあるその会社は、社員の氏名をひとりずつ言えるくらいの規模で、部長という役職は存在せず、主任と課長と社長と皆同じ部屋で仕事をしている。総務部で私に任されている仕事は、文房具や備品の補充をしたり、交通費や出金請求の申請書の受付をしたり、年末の全社員で行う親睦会の会場を探したり、毎年参加する地域の盆踊り大会の手伝いなどで、毎週、毎月、季節ごとに決められたことに対処していくものだった。何かを変えようとか、変えないとか、どちらも自分には関係のないことと思うために、結局変わらないよね、と批評しているひとの(ウ)はす向かい辺りでその話を聞いているような私の働き方の姿勢は、三つ目の会社へ移っても同じだった。
「私のふつうは、どんなだろうなあ」さらさらと父が言った。
父は、さもありなん、というようなスタンスのひとで、さもありなん、そんなこともあるだろうさ、というようなことを父が言うと澄香と私はくっつき過ぎた気持ちと自分の間に隙間ができて、執着していた気持ちを、ついと手放してしまうことができるのだった。未練なく手放したその気持ちは、あっさりとただの「もの」のようになってしまう。D だから父のさもありなんは、澄香と私を楽にしてくれる。
(注1)棕櫚 ―― やし科の常緑高木。
(注2)月しろ ―― 月が出ようとする時、空が明るくしらんで見えること。
(注3)美大 ―― 美術大学の略。
(注4)246号線 ―― 東京都から静岡県に至る国道。
(注5)馬喰町 ―― 東京都内の地名。直後の外苑(明治神宮外苑)も同じ。
(注6)切り返し ―― 一方に回したハンドルを反対に回して、車の進行方向を修正すること。
下線部D「だから父のさもありなんは、澄香と私を楽にしてくれる。」とあるが、「私」が捉えている父の人物像と、その父に影響された「私」の変化の説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和7年度(2025年度)追・再試験 問17(第2問(小説) 問7) (訂正依頼・報告はこちら)
まぶたを開くと、木蓮(もくれん)の枝から、白いはなびらが一枚真下に落ちた。
それがあまりにたやすい落ち方だったので、だから、もう家の中に入ろうと父に声をかけようとしたら、蝶(ちょう)の羽ばたきみたいなゆっくりと不規則な砂利を踏む音が聞こえてきた。澄香の足音だ。サーモンピンクのワンピースに黒のライダースジャケットを着た澄香が庭へ現れる。
「ただいま」
「おかえり」
澄香が私の隣に座ると、窓辺の空気がたゆんだようになり、からだから力が抜けてゆるんでゆく。
「みんなのふつうより、大事なのはきみのふつう」隣で上着のポケットに両手を入れたままの澄香が言った。
「なにそれ?」
「今日、ナバタメさんが施設の壁面に設置した町会の懸垂幕のスローガン。なかなか、いいでしょ。残念なことに、その前を通り過ぎるほとんどの人は気付いてないみたいだけど」
「なかなか、いいかも」と考えずに返答する。通常から自分のふつうを優先し過ぎている(ア)きらいのある私は、みんなの中にいると不安になる。あまり興味のないことをそれでもみんなと笑いながら話していると、体温が低くなってきて、ああ、魚類になりたい、などと思い始める。①みんなの中にあるとされているふつうと呼ばれるものは、自分のふつうの一番外側を薄っぺらく剥ぎ取ってくっつけ合わせたような、すぐにでも破れそうな球体みたいなもので、脆(もろ)いのを知っているのに、その球体の中の方が安楽だと思えてしまうA 危険な装置のようで、呪いの文句のようだ。けれど、信念だとか、誇りみたいなものを持つことは、誰かに対する暴力につながるのではないか、とも恐れている。
「家に帰る前にこの懸垂幕見たら、なんだか後押しされる気がするの」
「後押しって?」と澄香に聞く。
「また明日って思えることの後押し。また明日今日と同じ時間に起きよう、とか、また明日朝礼の時は顔を上げてよう、とか、また明日帰りにスーパーマーケットに寄って魚の品定めをしようとか、ただ、今日の続きを繰り返せば大丈夫って、なんとなく思える気がする」
また明日、と思うことが簡単ではなくなったのはいつからだろう。
「しかも、今回の懸垂幕のフォントは明朝体(みんちょうたい)だったんだよね」
「そうなんだ」
「ゴシック体より、いいでしょ」
「いいかも」とやはり考えずに返事する。
風が通ってゆく。棕櫚(注1)の葉先が揺れる。こうしていると、今日がいつのことだかわからなくなるようだった。④昨日も、今日も、明日もなくなり、わたしたちは、生まれた順番も、男や女という区別も、父と娘という関係も取っ払って、いっこずつのただの鉱石みたいになってここに転がって、長いあいだ語らい合っているような気持ちになる。この星が滅んでも、石になったわたしたちは宇宙で転がっていられるような気持ちになる。
B 澄香は仕事や同僚について、毎日のようにわたしたちに話した。わたしたちに話すことが、世界を納得するための彼女の方法なのだと思う。澄香はひとつひとつの物事を肯定的に納得しながら、進みたいひとなのだ。
⑤毎日物語の続きを聴いているようなわたしたちは、行ったことのない澄香の働いている場所を細部まで思い浮かべることができた。保健所と文化センターが入る地下一階、地上三階建ての古びた施設。ススキのような色の皺(しわ)の付きにくい布地の制服を着て、清掃をして、ゴミの回収と分別を行い、文化センターで催事があるときは集会室にパイプ椅子やテーブルを要望通りの位置へ並べて準備をし、終了後には元の位置に戻す。保健所でこどもたちの検診のあった日は、終わった後も施設のそこかしこに彼らの声が残っているようで、その声までも拾い集めるように片付けをした。ちょっと待って、その振り込み、とか、つくっていこう、誰かが君を語ることのできる街、とか、一寸先は少し明るいはず、とか、あなたと一緒に月しろ(注2)を待つ、などと書かれた行政や町会の標語の懸垂幕を施設の外壁に下げる。これはナバタメさんに任された仕事で、この仕事を任されると一人前と認められることになる。そして、ナバタメさんはこの標語を決める会議になぜか時折参加しているらしい②(けれど、これらの文言は本当に外壁に下げられているのだろうか)。掃除機は、子熊くらいの大きさと重さであり③(と、澄香が言う)、これを引っ張りながらよく滑る廊下を移動して行く。掃除中のコードは、歩行者の邪魔にならないように、見た目もすっきりしなければならないというルールがあって、壁と並行にして沿わせて移動しなくてはならない。文化センターの第四金曜日の午後の琴のサークルの時空を曲げるような、半永久的に続くような弦を弾く音を聴きながら、階段の滑り止めをひとすじずつ掃除するのが澄香の一番好きな作業だった。
⑥ナバタメさんにも会ったことはない。漢字の表記も知らない。でも、彼のことをよく知っている。晴れている日よりも、曇り空で、雨の降る直前の匂いが漂うような、そんなのが似合うひと。澄香の職場の一年先輩で年齢は澄香より十五歳上の四十四歳、痩(や)せ型、趣味は川釣り、歩いていると誰かの落し物を見つけて拾うことが多くて、宴席は常に壁寄りを好み、ずっと枝豆なんかをつまんでいる。仕事の手順や職場のひととの付き合い方というような話よりも、昨日釣った魚やその川水の冷たさや透明さや、岩に這(は)う苔(こけ)のやわらかさ、そんなことを話すひとで、少し寂しがりで、夜になると、これは私の想像だけど、少年の頃から親しんでいる詩集の中からその晩にふさわしい一篇(ぺん)の詩を選び出し、その世界にゆっくりと身を投じてゆくように読んでから眠りに就くひとだ。
澄香のこの職場は彼女が美大(注3)を卒業してから幾つ目だろう。この前は商店街にある耳鼻科の受付だった。耳鼻科の前は246号線(注4)の向こう側の学校の給食センター、給食センターの前は馬喰町(ばくろちょう)(注5)の布問屋、その前は外苑(がいえん)のデザイン事務所。今の仕事は私と同じく今年で三年目だから、これまでで最も続いていることになる。
わたしたち姉妹は、仕事が長続きしない。
「それでも働き続けているのだから、上出来じゃない」と父は言うものだから、それもそうか、と簡単にわたしたちは腑(ふ)に落ちる。父は些細なことを上出来じゃない、と褒める。出汁(だし)巻きたまごが少し破れてしまった時や、切り返し(注6)をしながらバックで駐車をした時や、忘れ物に気が付いて急いで家に取りに戻った時。新しい仕事に就き、父に上出来じゃないと言ってもらい、今度は、きちんとしようと毎回思うけれど、しばらくすると澄香は物事を納得できなくなり、私はC 水越しに見るようなぼやけた世界がさらに歪(ゆが)んで見えてくるのだった。
「春野の会社の主任さんは、今は週に何日同居してるの?」
「週二日のままだよ」
主任は二年程前から妻子と別居しており、最近になって妻子のいる家で週二日過ごすことになっていた。
「週休二日か」「週休?妻子と過ごす日って休日の類(たぐい)なのかな?」「休日じゃないの?」「でも、同居の前日は、主任夕方から電話のかけ違いが(イ)やたら多くなるよ」とわたしたちが話してると、父が、まあでもそれが主任さんたちのふつうなんでしょう、と言った。
ひとりだったり、三人だったりで暮らしている主任のいる衛生用品を扱う小さな商社が、私の三つ目の勤め先だった。急行の停(と)まらない最寄り駅から歩いて十五分程の場所にあるその会社は、社員の氏名をひとりずつ言えるくらいの規模で、部長という役職は存在せず、主任と課長と社長と皆同じ部屋で仕事をしている。総務部で私に任されている仕事は、文房具や備品の補充をしたり、交通費や出金請求の申請書の受付をしたり、年末の全社員で行う親睦会の会場を探したり、毎年参加する地域の盆踊り大会の手伝いなどで、毎週、毎月、季節ごとに決められたことに対処していくものだった。何かを変えようとか、変えないとか、どちらも自分には関係のないことと思うために、結局変わらないよね、と批評しているひとの(ウ)はす向かい辺りでその話を聞いているような私の働き方の姿勢は、三つ目の会社へ移っても同じだった。
「私のふつうは、どんなだろうなあ」さらさらと父が言った。
父は、さもありなん、というようなスタンスのひとで、さもありなん、そんなこともあるだろうさ、というようなことを父が言うと澄香と私はくっつき過ぎた気持ちと自分の間に隙間ができて、執着していた気持ちを、ついと手放してしまうことができるのだった。未練なく手放したその気持ちは、あっさりとただの「もの」のようになってしまう。D だから父のさもありなんは、澄香と私を楽にしてくれる。
(注1)棕櫚 ―― やし科の常緑高木。
(注2)月しろ ―― 月が出ようとする時、空が明るくしらんで見えること。
(注3)美大 ―― 美術大学の略。
(注4)246号線 ―― 東京都から静岡県に至る国道。
(注5)馬喰町 ―― 東京都内の地名。直後の外苑(明治神宮外苑)も同じ。
(注6)切り返し ―― 一方に回したハンドルを反対に回して、車の進行方向を修正すること。
下線部D「だから父のさもありなんは、澄香と私を楽にしてくれる。」とあるが、「私」が捉えている父の人物像と、その父に影響された「私」の変化の説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
- 父は娘たちの仕事が長続きしないことよりも働き続けていることを評価し、また日常の些細な失敗に対しても達成できたことに目を向けさせるように、物事を積極的に肯定しようとする人物であり、その父の姿勢や言動によって、「私」は自身の物事に対する否定的な見方を省みることができるようになる。
- 父は姉妹の仕事が長く続かないことに対しても働いているだけで上出来だと認めて心の負担を軽減させ、また主任と妻子についての話もさりげなく打ち切るように、困難を抱えた人に繊細に気を配る人物であり、その父の姿勢や言動によって、「私」は自責の念を捨て冷静に問題に向き合うことができるようになる。
- 父は仕事が長続きしない姉妹に対しても非難せず、また主任と妻子の暮らし方についても特別視せず自然に受けとめているように、人の様々な生き方をあるがままに受け入れる人物であり、その父の姿勢や言動によって、「私」は自身の生きづらさにとらわれる気持ちから距離をとることができるようになる。
- 父は日常の些細なことを上出来だと褒めたり、仕事が長く続かないことに対しても働き続けている点に目を向けたりするように、娘たちに自身の勝手な期待や理想を押しつけない人物であり、その父の姿勢や言動によって、「私」はとらわれていた自己像を手放してありのままの自分を受け入れられるようになる。
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残念...
この過去問の解説 (1件)
01
下線部Dの直後の文章に注目しましょう。
父は、さもありなん、というようなスタンスのひとで、さもありなん、そんなこともあるだろうさ、というようなことを父が言うと澄香と私はくっつき過ぎた気持ちと自分の間に隙間ができて、執着していた気持ちを、ついと手放してしまうことができるのだった。未練なく手放したその気持ちは、あっさりとただの「もの」のようになってしまう。
この文章の中にある言葉を適切に捉えている選択肢が正解となります。
具体的には、「そんなこともあるだろうさ」が父の性格、「くっつき過ぎた気持ちと自分の間に隙間ができて、執着していた気持ちを、ついと手放してしまう」が澄香と「私」の心情であると読み取れます。
確かに父親の具体的な行動内容は本文に即していますが、性格に関しては本文で「さもありなん」と語られています。これは物事をありのまま受け入れる(=否定も肯定もしない)姿勢を意味しており、積極的に肯定しようとするという解釈は誤りです。
なお、「自身の物事に対する否定的な見方を省みることができるようになる」に関しては、文中の「くっつき過ぎた気持ち」は主に、無意味に周囲に同調してしまう「私」の生きづらさを指していると読み取れるため、「物事に対する否定的な見方」とするのは適切ではありません。
父親の性格についての「さもありなん」というスタンスに関する記述が無いため、誤りです。
また、「自責の念を捨て冷静に問題に向き合うことができる」という点に関しても、「私」が抱えているのは自責の念ではなく、周囲に同調し続けることによる生きづらさです。加えて、本文を読むと「問題に向き合える」ではなく「楽になる」と書かれているため、この部分も本文とズレがあります。
「自然に受けとめている」「あるがままに受け入れる」→さもありなん
「自身の生きづらさにとらわれる気持ちから距離をとることができる」→くっつき過ぎた気持ちと自分の間に隙間ができる
父の性格および「私」の心情に関して、ともに本文を的確に捉えた説明になっているこの選択肢が正解です。
一見すると正解らしく見える説明ですが、「けれど、信念だとか、誇りみたいなものを持つことは、誰かに対する暴力につながるのではないか、とも恐れている。」という一文に注目すると、「私」がとらわれているのは「こうありたい」という自己像ではなく、意味もなく周囲に同調してしまうことから生じる「生きづらさ」であることが分かります。
したがって、この選択肢は誤りです。
読解問題では、下線部で示された箇所の前後に注目しましょう。ヒントとなる文章のキーポイントを過不足なく捉えている選択肢が正解となります。
逆に言えば、いくら正解らしく見える選択肢でもヒントとなる一文の中にある要素を全てカバーしきれていない説明文は誤りです。迷った際はこの点を手掛かりにしてみましょう。
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